番外編⑤ 優しい娘の思惑(アナルド視点)
「君のところだけ副官が女性っていうのが、ね。なんだろう、僕に見せつけているわけ?」
帝都にある軍の本部。アナルドに割り当てられた仕事部屋に入ってくるなり、悪態ついた上司を見やって、ひとまず副官たるセイテス中佐の様子を窺う。
自分についた副官は二人だ。彼女ともう一人年かさのダルテ少佐がいる。ダルテは男なので、上司の目当ては彼女なのだろう。
年齢は三十手前だが、藍色の髪を一つにぴっちりと括ったセイテスは、隙がなく落ち着いている。背筋を伸ばしたまままっすぐにモヴリスを見つめている姿には揺るぎがない。
「今日は一体、何用でしょうか。呼んでいただければ、すぐに参りましたが」
「たまには部下のところに顔を出したっていいだろう。それに華がないんだよね、僕のところは。君のところなら、彼女がいるからね。たまにはむさい男でなく、可憐な花を見つめて話したいじゃないか」
「すまない、セイテス中佐。席を外してもらって構わないから」
「大丈夫ですわ、スワンガン准将閣下。大将閣下の妄言などいつものことですから」
あっさりと流した彼女は、にこりと微笑んだ。涼やかな目元は理知的で好感が持てる。だからこそ、モヴリスの邪な思惑から逃がしてやりたくなる。
「僕のところは辞退したくせに、彼のところならいいわけ。誘惑でもされたの?」
「誤解を生むようなことを言わないでください。妻の耳に入ったらどうするんですか」
セイテスを副官に欲しいとモヴリスが騒いでいたことは知っているが、なぜ彼女が自分の副官になったのかはわからない。
だが、嫌がらせを企んでいることはわかった。
余計な噂が、妻の耳に入ったらあっという間に離婚されてしまう。相変わらず、夫に全く執着のない妻の姿を浮かべてアナルドは震えた。
「昔の君に聞かせてあげたいなあ。妻のことなんか目もくれなかったくせに」
「それは妻を知らなかった頃の話です。いいですか、どんな些細なことが火種になるかわからないのですから、言葉には気を付けてください」
「やだやだ、これだから愛妻家の馬鹿は困る。そんなに家がいいなら、仕事を辞めればいいじゃないか」
「素晴らしい考えですが、俺が四六時中傍にいることは嫌がられるんですよ」
「あはは、いいきみだね。せいぜい嫌がられていればいいよ」
「訂正してください。常に嫌がられているわけではないのです。四六時中傍にいることは嫌がられるだけです」
「はいはい、それはいいとして。今日はちょっと相談に来たんだよ」
モヴリスから振ってきたくせに、きっと面倒になったのだろう。いつものことなので、拘ることなくアナルドも返した。
「なんでしょうか」
「君、暑いところと寒いところならどちらがいい?」
また戦か。
帝国は領土を広げる際に、蹂躙したため、争いか絶えない。わかってはいるが、もう少しどうにかできないものかと顔を顰める。
自分の希望は一つだけ。
気候などどうでもいい。
「どちらでも構いませんから、早期に解決するところにしてください」
「折角希望を聞いてあげたのに可愛くないなぁ。はあ、8年も戦地に行っていた頃の君が本当に懐かしいよ。半年地方に行かせただけで不満たらたらだなんてさ」
「当たり前です。そうでなくても一度も妻の出産に間に合わなくて落ち込んでいるんですから。次こそは、絶対に出産に立ち会うと決めているんです」
決めているというか、これは未来の確定事項だ。
確実に達成するミッションでもある。
「え、奥さん、また妊娠したの」
「まだ、ですが。これから妊娠する予定です。ですから、半年以内に終結する戦争にしか参加しませんからね。人生のビッグイベントを間男ばかりにとられているわけにはいきませんから」
力説すれば、上司が腹を抱えて笑っている。
ゲイルとの因縁は年をおうごとに、深まっている。あの間男はバイレッタを奪うつもりはないと言いながら、ちゃっかり夫の地位にいるのだ。妻と仕事をし、手紙のやりとりをし、出産に立ち会い、子育てにだって参加する。
許すまじ。
だが、戦争に行けと命じたのはモヴリスなのだ。その彼が大笑いとはどういうことか。つまり諸悪の根源に自覚がないのだ。こちらにも暗い怒りがわく。
「たいして子供に興味もないくせに、三人目を望むのはよくないなぁ。神への冒涜だよ?」
「子供に興味がないなんて言ったことはありませんが?」
「君のところの優しく聡明な娘さんからのお言葉だよ」
「エルメレッタですか?」
「君の家に遊びに行ったときに、父は母にしか興味がないので、さっさと戦地へ向かわせてくださいと頼まれたんだよ。母想いの優しい子だよね。きっと家で母親が父親に絡まれてうっとうしがっている姿を見て懇願しに来たんだよ。少しでも負担を減らせるようにってさ」
「ねつ造と憶測はやめてください」
エルメレッタの狙いはわからないが、純粋に母の負担を心配しただけではないはずだ。そしてバイレッタが自分をうっとうしがっているわけでは決してないはずだ。
想像するだけで今すぐに家に帰りたくなってくる。
「まあ、准将閣下の娘さんは随分とお母様想いの優しい子なんですね」
感心したように告げるセイテス中佐に、アナルドは無言を通した。
優しい娘と称された彼女の思惑に考えを馳せることで精いっぱいだった。
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