番外編④‐3 これで満足?(ゲイル視点)
帝都にあるスワンガン伯爵家は由緒ある古い家柄であるため、建物は広大で重厚だ。
自国とはまたおもむきの異なる歴史的な背景を思わせる館は、増築と改修を重ねてわりと複雑な建物になっている。
ゲイルに宛がわれた部屋は客室の一室で、バイレッタたちが普段使う本館から少し離れた場所にある。
今の時期は自分以外に泊まりの客はいないようで、わりと静かだ。
人気のない場所に言われるままについてくる彼女の危機管理はどうなっているのか。
年齢を重ねて色香も増して、妖艶な美女として名を馳せている自覚はないのだろうか。
やや心配になりつつ、部屋の扉を開けた。
「そちらに座ってください。見せたいものがあるんです」
部屋にあるソファとテーブルを示しながら、持ってきていた旅行鞄を開く。
目的の物はすぐに見つかった。
振り返れば、バイレッタと視線が絡む。
「はい。橋の建設場所のお話ですよね。地図を広げるならこのテーブルでは少し小さいかしら」
「ああ、それもありますけれど、最初はちょっと違う話になります」
「そうなんですね」
言われた通りに部屋にあるソファに座って、自分を見つめてくるバイレッタにドキドキと胸が高鳴る。
初めて会った時は、まだまだ可憐な美少女という様子だった。今は落ち着いた色香が艶かしく妖艶だ。
本当に美しい人だと見とれる。
思わず触ってみたくなるストロベリー・ブロンドの髪も、いつだっていきいきと輝いているアメジストの瞳も。
出逢う順番が異なっていたら、彼女は自分の隣に並んで居てくれただろうか。
想像して、すぐにそれならば出逢っていなかっただろうと打ち消す。
彼女がスワンガン伯爵家の領地に来ることもなく、手を貸すこともない。
出逢わない過去より、出逢えた今をゲイルは何度でも選んでしまう。結局、彼女という存在を知れた奇跡に感謝するのだ。
「なんだか、甘い香りがしますね」
「温泉地の店で焚くのにどうかと考えているものらしいですよ。あの湯場の独特な香りがダメだという方も多いので、混じっても違和感のない香りを楽しんで買い物や食事を堪能して貰いたいそうで。試しに部屋でも焚いてみたんですが」
「なるほど、それは面白いですね。この香りの中で食事ですか。食べ物の香りを邪魔しないかしら」
「心配されると思って、今飲み物を頼みましたから……ああ、来たようですね」
コンコンと部屋にノックの音が響いて、ワゴンにティーセットを載せたメイドが静かに入ってきた。
「後はこちらでやりますよ」
ワゴンを受け取ってメイドに退室を促せば、彼女も心得たようで一礼して部屋を出ていった。
「ゲイル様がお茶を淹れてくださるんですか?」
「なんでも一通りはこなせます。わりと上手いと言われますが、貴女のお口に合うかどうかは心配ですね。今、用意してもらったのはスワンガン領地で採れたハーブですよ。この前、色々と研究されていたものですよね。乾燥させて細かく刻んでみました」
「ああ、あのハーブ園の! なんとか収穫量が確保できそうだって報告書があがってました」
温泉地の地熱を活かした温室を作り、暖かい地域の作物を安価で作るという案をバイレッタが打ち立てた。
その第一弾がハーブ園で、暖かい地域で育つハーブを多種類育てている。
今回は、それも持ち込んでみた。
彼女の嬉しそうな笑顔を見ているだけで満足だ。
ポットにドライハーブの粉末をいれ、湯を淹れて蒸らし、温めてあるカップに移す。
独特なハーブの香りが、部屋の香りと混ざる。そのまま、テーブルの上にカップを置いた。薄い黄色の液体は、爽やかな香りだ。
「うーん、料理やお茶の香りと混ざると難しいですか? では、いただきますね」
香りを嗅いで、首を捻りつつハーブ茶を飲んで目を丸くする。
「随分とまろやかな風味なんですね。香りが優しいから、飲みやすいです」
「食後に飲むのもお勧めらしいんですが、ほっとしたい時に飲むといいそうですよ」
「ああ、わかります。なんだか、眠たくなって……ええ、あれ……?」
かちゃんと音を立ててカップを受け皿に戻して、そのままバイレッタは頭を軽く振った。
「ごめんなさい、ゲイル様。何だか、意識が……」
「そんなに即効性のあるものではないのですが」
「え…?」
驚いた表情をしつつも、瞼はどんどん落ちていく。
彼女のアメジストの瞳が見えなくなって、長い睫毛に覆われるのを、じっと見つめる。
やがてソファにだらりと伸びた手を見て、ゲイルはそっとバイレッタの体を抱き抱えて、寝台の上にゆっくりとおろした。
そのまま彼女を挟む形で手をつけば、リネンは交換されていて、パリッとした感触を伝えてくる。
ぎしりと寝台が軋む音がやけに生々しく響いた。
『お母様を誘惑して一緒に寝ていただきたいんです』
「これで満足ですか?」
少女の愛らしい無邪気な声を思い出しながら、ゲイルはバイレッタの頬にかかった髪を丁寧に払うのだった。
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