番外編③ 可愛い令嬢(アンリ視点)
主家の令嬢はとにかく可愛い。いや、神々しい。いや、もう全ての美を超越した何かだ。
アンリが叔父のドノバンから、スワンガン伯爵家を紹介されてからずっと思っていることだ。
ただ、規格外なのは見た目だけではないのだけれど。
王都のエルメレッタが通う貴族学院の校舎を背に正門までの並木道を並んで歩きながらこっそりとため息つく。
ここは貴族の子弟が15歳になるまで通える学校だ。寮もあり、自宅から通うのも認められている。帝国の教育制度が見直され、10歳からの入学が可能で、アナルドも通っていたところでもある。
彼は寮に入ったそうだが、エルメレッタは家からの通学を選択した。
「それでね、アンリ?」
横に並ぶ少女が、可愛いらしく小首を傾げればそれだけで大抵の男は言いなりになるに違いない。
「分かっていますよ、お嬢様。ですが、この鬱陶しい視線だけはなんとかなりませんか?」
眉をしかめれば、きょとんと自分を見上げるエメラルド・グリーンの瞳とぶつかる。
口止めの件は了承するが、この視線はいただけない。
「あら、気づいちゃったの」
「可愛いらしく言っても騙されませんからね。全く若様に何をお願いされたのかは知りませんが、私を範疇に入れるのはやめるようにお伝えください」
「右足さんはここにいるのが気に入らなくてアンリに嫌がらせしてるだけなの。でも、あんまりおいたをするようなら、躾を考えてみようかしら」
今日のおやつは何かなと問うような口調で、なんだか物騒な言葉を吐く。
「背筋がぞわっとしたので、お手柔らかにしてあげてください」
「あら、アンリは優しいわね。嫌がらせされているのに」
殺気と呼べるほどの敵意を向けられているわけではない。精々が見張っているぞ、と警告されているだけだ。木の上から器用なことだなとは思うし、少し鬱陶しいだけで、そこまでの不快感はない。
彼女の躾はきっと過酷だ。人間の尊厳を踏みにじられる気がする。
今回、アンリが呼び出された件のように。
「てっきり護衛を願われたのかと思いましたが、違うのですね」
「護衛ならメイがいるから十分よ。彼の領分は別なのだけれど、気にくわないみたい。でもアンリが頼むから、話し合ってみることにするわ」
話し合いだけでも十分に怖い。
誰だか知らないが、馬鹿なことをするものだ。エルメレッタに少しでも不快な感情を抱くなんて。
退屈しきっている彼女の新しいおもちゃになるだけだけなのに。
ちなみにメイはエルメレッタ付きの侍女だ。武闘に特化しているので確かに一人いれば十分ではある。
「えー、もうお聞きしてもよろしいですか。マデッタ伯爵家のお坊っちゃんは何をされたのですか?」
とにかく木の上にいる何者かの話題を掘り下げるのは、彼の今後にも良くないと思い、話題転換をはかる。
本日、アンリが秘密裏に学院に呼ばれたのはマデッタ伯爵から謝罪したいと申し出があったからだ。学院内での揉め事だから、学院長も交えて正式な形を整えたいと書簡を貰った。
貰ったのはエルメレッタで、それをこっそりアンリに渡してきたのは、彼女が両親などの家族の介入を好まないからだ。きっと多忙な両親に心配を掛けたくないに違いない。
いや、違うか。うん、違うな。単に邪魔されたくないだけだろうな、とは思う。
アンリを伴ってエルメレッタが学院長室に現れた時、子供と使用人だけの格下を寄こすなんてと激高するかと思えばとても安堵していた。エルメレッタの両親のことをよく知っているに違いない。そのあと、エルメレッタの口撃でこてんぱんにやられていたが。
甘いなあ、うちのお嬢様は最恐なんだぞ、と心の中でつぶやいておく。
「私を妻にしてあげると言ったの。ことあるごとに突っかかってきて、仕方ないから父親の秘密を暴露してあげたってわけ」
「また、ですか」
思わずこぼしてしまった。
エルメレッタが学院に通いだして、高位貴族から数多の求婚が舞い込んだ。そのどれもに断りを入れているが、諦めの悪い子息はエルメレッタに直接頷かせようと強行手段に出るのだ。
こうして学院に呼びつけられるのも五回目となる。入学してまだ半年も経っていないはずだが、遠い記憶だ。
大抵は親の秘密を暴いて、もう二度と近づかないことを約束させて終わる。毎度付き合わされて秘密を聞くことになる学院長が憐れだ。さぞや胃の痛い思いをしていることだろう。会う度にやせ細っていく初老の男を思い出して同情する。
「一つ一つ丁寧に潰すのも効率が悪いわ。ここは二年で辞めるつもりだしと思って我慢していたのが良くなかったのよね」
エルメレッタは母が通っていた帝都の最高学府への進学を希望している。あちらは12歳からしか入れないので、時期が来るまではこちらで学ぶ予定だ。
入試があるが全く落ちる可能性を考慮していないところが、彼女が彼女たる所以であるが、自分もそんな姿は全く想像ができないのだからため息しか出ない。
「大規模粛清とかはお止めくださいね? 穏便に婚約者を作るっていうのでいかがですか」
「あら、手っ取り早いかと思ったのに。そんなにまだるっこしい手を使う方を勧めるなんて、アンリは本当に優しいわね」
優しくないです、一般的な考え方ですと告げたいが、下手な反論をして彼女の気が変わるのは問題だ。帝都の高位貴族が揃って逃げ出すかもしれない事態は避けたい。
必死で口を閉じる。
「あら、躾に婚約者選びに領地の取り締まり。意外に忙しいわね」
ウキウキと語る少女の小さな肩を見つめて、アンリは微笑む。
学生の本分は勉強だろうが、そんな単語が一つもない。一つもないが構わない。
エルメレッタは今日も可愛い。可愛いは正義だ。
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