番外編② 父娘の語らい(アナルド視点)

アナルドは居間のソファに座りながら、ちらりと向かいに座る少女を見つめた。自分と同じ瞳の色を真摯に向けて、静かに本を読んでいる。

題名は『良い領主の資質とは』だ。内容はともかく、勉学というものは身をたすくものだ。年齢には目をつぶる。

本人の興味があることをやらせるのが一番だと最愛の妻も言っていたからだ。


暖炉で燃え盛る木がパチンとはぜる音をたてるのを合図に、彼女はパタンと本を閉じて顔を上げた。


「お母様に仕事部屋から追い出されたからって、有益な作戦はありませんわよ。そもそも大事な時間のお邪魔はしないように忠告してさしあげましたけれど」

「別に作戦を求めているわけでは……」

「では、留守中のお母様の行動の報告をお聞きになりたいのですか。アダルティン様もハワジャイン様も頻繁に出入りがありましたから」

「なぜ、中将が?」


ゲイルは手紙のやり取りをするほど、仕事仲間として妻に信頼されているが、まさかヴォルクの名前まで挙がるとは思わなかった。


彼は以前にクーデターに荷担したとして僻地へと降格のうえ左遷させられた。だがその僻地で暴動が起こり、それを鎮圧した功労者として昇格して、数年前に帝都へと戻ってきたのだ。

それからは自分と同じようにモヴリスの手足となって方々の戦へと参加させられ順調に中将にまでなった。

確か、北部の国境沿いに赴任させられていたはずだが、なぜまたバイレッタの前に姿を現すのかつながりが不明だ。


「あら、お父様ならすでに報告書を読んでいるものだと思っていましたわ。ご存知ないだなんて。そう、まぁ、どうしましょう」

「何が言いたい?」

「そうですわね。取引をいたしましょう、お父様。情報をお伝えしますから、私に狐さんの右前足だけでも無期限で貸してくださらない?」


アナルドは独自に諜報部隊を持っている。もとは敵国などを探らせるために退役軍人や一部現役の軍人、商人などに声をかけて集めた部隊だ。人数は多くないが優秀な人材を集められたと自負している。

それを右前足やら尻尾などとコードネームをつけて管理しているのだが、以前に娘に頼み事をしてしまい右前足をとられたままなのだ。


因みにかつてバイレッタの素性を調べて報告してもらったこともあるし、最近では妻の一週間の行動を報告させてもいる。

だが、戦地に半年間もいたためか報告書は滞りがちで、手元に届いたのは僅かだ。

もしかしたら、消失した報告書があるのかもしれない。


「お前に借りを作ると高くつく」

「ふふ、お父様も商才をお持ちでいらっしゃるの。それにしては可愛い娘に対して借りだなんて、失礼な話ではありません? 少しでもお父様の心が安らかになるように願っておりますのに」


モヴリスを前にしているような、鏡を見ているような不思議な気持ちになった。

娘はまだ十歳のはずだが、自分は年齢を覚え間違いしているのかもしれない。


「何をするつもりだ?」

「領地で困った方がいらっしゃるの。お爺様は見逃しておられるけれど、悪人はやはりきちんと裁かれるべきではありませんか。そりゃあ清濁併せ飲むとは言いますし、光あれば影ありなんて言いますけれど、モノには限度というものがありますでしょう。目に余るのを放置するのは後々禍根を残しそうですし。以前に右前足さんに情報を掴んでもらって手伝っていただいた時にはスッキリと解決できましたの。できれば今後も力を貸していただきたいのです」


これが十歳の娘のお願い事か。

そもそも諜報員を貸してほしいなんてお願いが年齢から逸脱しているが、内容も内容だ。なぜ領地の話を娘が詳細に把握する必要があるのか。しかも領主よりも正確に、だ。父が手のひらで転がされるのも思わず納得してしまう。


いや、その前に。これが父娘の語らいでいいのだろうか。


「あれ、お父様、お帰りなさい!」


居間の扉を乱暴に開けてズカズカ入ってきたのは、息子だ。アナルドの小さい頃に似ていると領地にいる使用人たちが口々に言うほど自分にそっくりらしい。だが、表情がいきいきとしているところは似ても似つかない。作りあげた自分とは違って、本当に生きている者の笑顔だ。そして妻譲りのアメジスト色の瞳は明るく楽しげに光る。


同じ髪色だが、暖炉の光に当たって、きらりと眩しく輝く。屈託ない笑顔を向けられて、さらに眩しいものを見たかのように目が眩んだ。


「僕ね、少しはボードゲームが強くなったんだよ。お父様、一緒にやらない?」

「レイナルド、お父様は戻られたばかりよ。少しは労ってさしあげたら?」


家に半年ぶりに戻ってきた父にすぐに取引を持ちかけた娘とは思えない気遣いに、思わず笑いが込み上げた。


「構わない、少しやろうか」

「やったあ、今すぐ持ってくるから。少し待っていて!」


飛び上がって喜んだ少年は、そのままバタバタと居間を出ていく。


「お父様、先ほどのお話ですけれど、返事はもちろん承諾ですわよね?」


また二人きりになった居間で、何事もなかったかのようにエルメレッタが問いかけてくる。


当然、承諾するものだと思われている。

その理由はなんだ、と問いただしていいものかどうか。どうせ、バイレッタのことになると余裕がないとか、当然知りたいだろうとか、そんなところか。

間違ってはいないし、自覚もあるが、この娘に知られるのは何か不味い気がする。


「……少し考えさせてくれ」


返答すれば、娘は余裕たっぷりに微笑んで了承を告げるのだった。

なぜか、敗けた気がした。

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