番外編④-1 天使の悪魔のささやき(ゲイル視点)

帝都の昼下がり。スワンガン伯爵家の中庭の木陰の近くに座りながら、10歳の少女に本の読み聞かせをしていた。本人から望まれたからだ。随分と大人びた子供だったが、絵本なんて可愛らしいことを好むのだな、と快く引き受けた。

帝都にやってきたのは、スワンガン領地で新たに建設中の橋の工事の進捗状況を報告するためだ。図面を見せて説明したほうがわかりやすいとやってきたわけだが、肝心の報告する相手が別件で対応に追われているため、暇ができた。

だからこそ、引き受けたということもある。


だがゲイル=アダルティンは、目の前の絵本に目を落として呻いた。

可愛いらしい真っ白なウサギが目を真っ赤にして泣いている挿し絵に、思わず共感しそうになる。

この挿し絵のように泣いたら、彼女は追撃の手を緩めてくれるだろうか。


「ゲイル様、聞いておられます?」


子供特有の可愛いらしい声で名前を呼ばれて、はいっと思わず背筋が伸びる。


「ですから、お父様は戦に行ってしまってしばらく戻られませんし、今ならお母様を口説き落とせますわよって教えて差し上げたのですけれど?」

「いえ、勘弁してください」


天使な子供が悪魔のようなささやきを繰り返している。

ゲイルは必死で首を振った。


自分は清廉潔白、隣国の王家の血筋の者らしく高潔に騎士として生きてきた。国を出奔したとしてもその気持ちは変わらない。どこまで行っても、魂に刻まれている。騎士としての本分が。

そして、騎士として助けられた恩を返すため、心底惚れた女性を護るために、献身的に彼女を支えることを信条にしている。


そうして、二十年近くの歳月が経っているわけだが、なぜか彼女の娘から叱られている。

解せない。


「意気地がないですわね」

「意気地がないというか、それは私の望みではありません。彼女の嫌がることはしたくないし、彼女が望んでいないことはやりません」

「あら、お母様が望んでいるかもしれないですわよ」

「ありえません。それは家族として近くにいる聡明な貴女が一番よく分かっていらっしゃるでしょう。それで、私を焚き付ける目的はなんでしょうか。できることなら、協力しますよ」

「では、お母様を誘惑してください」


きっぱりと告げてくるエルメレッタに、軽く頭を抑えて問い返す。


「先ほどと話が変わっていないように思うのですが?」

「目的は一貫しておりますわ。お母様を誘惑して一緒に寝ていただきたいんです」

「無理です!」


ゲイルの魂の叫びが、スワンガン伯爵家の庭の片隅に響き渡った。

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