第88話 賭けからの約束
「なっ…なっ…あ、…っ」
顔が真っ赤になるのを止められない。
口をぱくぱくしていて間抜けなことこの上ないとわかっているのに、言葉が出ない。
羞恥でこんなに体が熱くなるなんて初めて知った。
何故、突然の褒め殺し?!
今度は何を企んでいるのか。
甘い言葉に騙されるな、は商人の鉄則だ。
バイレッタは必死で表情を殺した。
「褒められ慣れていないことも知ってます。綺麗と言われるより可愛いと言われるほうが照れるのでしょう?」
確信犯だ。
性悪の確信犯だ。
アナルドが冷静に収集した情報を分析することを知っている。戦場の灰色狐だなんてだてに呼ばれているわけでもない。
だからって、それを妻に駆使するとか。
能力の無駄遣いだ。
もっと仕事に役立てろと言いたい。いや、役立てたからきっとクーデターも穏便に収束させたに違いない。
だが、その手腕は別なところで発揮してほしい。
切実に!
「金のかかった贈り物よりも心を込めた何かを好みますよね。普段使いの宝石は派手すぎないものばかり。甘い物は苦手で、酒は後口のすっきりした飲みやすいもの。花は香りの強いものよりほのかに香る小ぶりのものが好きでしょう。洋服は売りたい商品を着ているので、自分の好みはあまりないようですが。相手の行為は素直に受け取り、悪意は無視するか、受け流す…」
「もう、結構です。そんなに賭けを続けたいのですか?!」
「ああ、俺は最初から間違えたんですね。バイレッタ、君と初めて会った夜はこんなに不快なことがあるのかと憤っていたんです。むしろ裏切られたと勝手に思い込んでいました」
「は?」
突然、何の告白が始まったのか。
もう夫の思考回路が全く理解できない。最初から、何も理解できなかったが。
「妻になんて期待していなかった。必要のないもので、自分が関わるほどの気持ちもない。そもそもが戸籍上の関係で、書類の上だけの話でした。それが、まさか終戦直後に手紙でケンカを売られるとは思いませんでしたが」
「売っていません!」
事実をありのままに綴っただけなのに、なんとも誤解のあるとらえ方をされたものだ。
「それで少し興味が出たんです。けれどこちらに戻って調べれば、俺はとんだ愚かな道化になっていた。上司の策略にうかうかと乗って、父の愛人を押し付けられたのだと。騙されたのだと思ったんです。それで、貴女にあんな賭けを持ちかけたんです。貴女の言うように、別に勝敗などどうでもよかった。その場だけ、貴女を貶められれば。翌朝には自分の思い違いに気がついて猛省しましたし、父にも叱られました。俺はあの朝に間違えたんですね」
一旦言葉を切ったアナルドはゆるく頭を振った。そうして真っ直ぐにバイレッタを見つめた。
見透かすかのような光の中に、鈍く光るのは後悔か。
「自分の間違いを、貴女への仕打ちを謝罪して、きちんと許しを乞うべきでした。そして賭けを撤回して、約束をとりつければよかった」
「約束?」
「俺は貴女を縛らない。仕事でもなんでも自由にしていい。外国だってどこに出掛けたっていい。子供だって、別にいてもいなくてもいいんです。ただ、貴女が俺の妻でいてくれさえすれば。それをバイレッタ、貴女に約束すればよかったんですね」
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