第78話 聞こえる筈のない声
「すっかり夜になったが、何か食べるか。すぐに用意させるが」
「いいえ、結構です。あ、いえ、いただけるなら、お茶をもらえませんか。少し落ち着きたいので」
「ふん、さすがのお前も観念したようだな。しおらしくしていれば、もてなしてやる」
悪役のような台詞を吐いたエミリオが機嫌よく笑う。
なんとも似合う表情だ。
自分にとっては敵だからだろうか。
呼び鈴を鳴らすのかと思えば、エミリオはそのまま部屋を出て行った。
隠れ家と言っていたから使用人は最低限にしているのかもしれない。それにしても貴族らしい彼が小間使いのようなことをしているのには果てしなく違和感がある。
さすがに彼が手ずから茶を淹れることはないと思うが。そんな茶など怖くて飲めない。
先ほど見せられた書類がなくなっているので、元の場所に戻しに行ったのかもしれない。
とにかくエミリオが部屋から出ていったので、そっと寝台を降りる。
バイレッタの格好は、外出着のままだ。連れてきてそのまま寝かされたのだろう。下手に着替えさせられていなくて安堵する。
窓に近づけば二階のようだった。
そのまま鍵を外して窓を開けて眼下を覗く。
バルコニーはなく、下の草地が見えた。街の明かりは庭の雑林の向こうだ。ぼんやりとした光に、やはり帝都の外れにいることを確信した。
なんとか下に降りて、街まで行ければいいだろうか。飛び降りることは難しい高さなので、カーテンかシーツを縄がわりに壁面を伝って降りられそうだと思案する。
だが、そこから何処に行くのがよいだろう。スワンガン伯爵家に戻っても、騒動を連れていくだけのような気もする。また爆発騒ぎになるのも困る。今度はミレイナが犠牲になるかもしれない。
このまま行方をくらませて、ほとぼりが冷めるまで隠れているほうがいいだろうか。
叔父に頼めば、商会のツテでどこかの商隊に潜り込ませてくれるかもしれない。
部屋の真ん中に戻って、ウロウロしながら考えをまとめてみる。
うん、と一つ頷いて決意する。
とにかく叔父のところへ向かうのがよさそうだ。
「よし、逃げよう」
決意した時、カタンと開いた窓が音をたてた。
そして信じられない声を聞いた。
聞こえる筈のない、聞き慣れた低い落ち着いた声だ。
「俺の妻は、どこへ逃げるつもりですか?」
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