第79話 誰の妻?
「……どうして」
驚くと同時に、彼が目の前にいることが不安になってくる。
もし、この場にいることが知れたらクーデターの最高幹部に仕立てあげるエミリオたちの計画が成功したということだ。
バイレッタの心境など全く構わず、灰色の髪を揺らしてアナルドは開いた窓からスルリと体を滑り込ませると、大股で近づいてギュッと自分を抱き締めた。
すらりとした肢体だが、腕の力は存外強い。
嗅ぎ慣れた彼の匂いに、現実だと知る。
思わず体を強張らせれば、アナルドは呑気にもゆっくりと背中を撫でた。
不安をほぐすかのような労わりに満ちていたが、バイレッタは怒りのあまり気が付かない。
「なぜ、来たのです。これがどういう状況かわかっていらして?!」
「自分の妻を迎えに来るのに、理由が必要ですか?」
バイレッタの髪を撫でながら、のほほんと語る夫に殺意すら湧く。
「もう貴方の妻ではありません!」
「離婚の書類にサインした覚えはありませんが?」
「でしょうね。偽造されていましたから。仕事柄、署名することは多いですから、真似られたようです。ですから、私たちの婚姻は正式に国から無効が認められているのです」
「ああ、その件ですか。それは後でも構いません。何も心配はいりませんよ」
「はい?」
「一緒に家に帰っても大丈夫ということです」
彼は言うなり、優しい口づけを降らせた。
「っ…ふあっ…待って、待ってください!」
アナルドの腕の中でもがけば、すぐに触れそうな近くで、彼のエメラルド・グリーンの瞳が優しく瞬いた。
「なんでしょう?」
「こんなことしてる場合じゃないでしょう! どういうことか説明してください」
「脅威は除きました。他はすべて制圧しました。ここもすぐに終わりますよ。貴女が逃げる必要はどこにもありません。ですから、家に帰ろうと言っているのです」
相変わらず説明が足りない。
全く、わからない。
再度、口を寄せてきた夫をもう一度ひっぱたいてやりたい衝動に駆られた。
だが、その前に荒々しく扉が開いた。
現れたのは血相を変えたエミリオだ。彼の後ろにヴォルクもいる。
「すぐに、場所を―――っ、アナルド=スワンガン!」
「くそっ、遅かったか…」
だが、すぐに部屋の真ん中で抱き合っている自分たちに気が付くと、鋭く叫んだ。
全てを察したヴォルクの顔色は悪い。
上官とともに来たという様子ではない。
明らかに悪事を暴かれたという方だ。
「おや、私の方が年上ですが。家格が上だと呼び捨てにされることもあるのですね。けれど、まだ爵位も継いでいない嫡男ごときに呼ばれるとは思いませんでしたが」
「友人の妻から手を離していただこうか。上官が無理やり部下の妻を誑かすのは軍では当然でも外聞的によろしくないのでは?」
「なるほど、そういう筋書きですか。友人というと貴方の後ろにいるヴォルク=ハワジャイン中尉でしょうね。書類に名前を見たときから繋がりはあると考えていましたが。そういえば、バイレッタ。家に帰ればお仕置きですよ。俺は家から一歩も出るなと言いましたよね」
「いやだと言いました!」
その話は今、蒸し返すことだろうか。
怒気を込めて叫べば、くっと表情を歪めたアナルドが顔を近づけてきた。
そのまま深く口づけされる。
「ちょ、ふうっ、ま、待って…んんっ」
「俺の妻はとても可愛いので、仕方ありません」
「意味がわかりません!!」
近づいてくる顔を押しのければ、絶句しているエミリオとヴォルクが目の端に映る。
羞恥で真っ赤になれば、アナルドがさらに笑みを深めた。
「ほら、可愛いでしょう?」
「いい加減にしてください!」
言葉が通じないのか。
外国にいるような気分になってバイレッタは眩暈がした。
だが、アナルドは楽しそうに笑うだけだ。
この状況で笑える精神が全くわからない。
「貴女が誰の妻なのか、教えておこうと思いまして」
そう言いつつ、再度口付けられた。
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