第77話 足掻いても覆せない

目を開けると、エミリオが傍らに座って顔を覗き込んでいた。


先ほどまでいた屋敷とは随分と赴きが変わっている。派手な調度品は一切ない、落ち着いた雰囲気は屋敷の主人の意向を反映していると察せられた。

間違ってもカーラ=ライデウォール女伯爵ではないだろう。


別の屋敷に連れてこられたのだと瞬時に判断した。


体をゆっくり起こせば、殴られた鳩尾がずきずきと痛む。

すっかり夜になり、窓から覗く月は高く昇っている。部屋の灯りは寝台の近くに置かれたサイドテーブルの上のランプだが、煌々と輝く月の光だけでも十分だ。


自分がどれだけ意識をなくしていたのかはわからないが、とにかく数時間程度だろうと考える。


「ようやく目を覚ましたか」

「ここはどこです?」

「俺の隠れ家だ。しばらくはゆっくりとしてくれ」

「家に帰してもらうことはできないのですか」

「中佐とは縁が切れていると言っただろう。お前は今、ヴォルクの妻だ。家というなら彼の家だろうが、アイツは軍の独身寮住まいだからな。しばらくはここにいるといい」


バイレッタは瞬きをしながら、周囲に意識を向けた。

人の気配は少ない。だが、街中の喧噪も感じない。

随分と静かな場所だ。

エミリオの隠れ家というから、帝都でも外れのほうにあるのかもしれない。


「グラアッチェ様はそうおっしゃいますが、私には今、どなたと婚姻を結んでいるのか確かめようがありませんもの。実感もわきませんわ」

「今から証拠を持ってきてやる。見れば実感するだろうさ。そのまま大人しくしているんだな」


尊大なエミリオの言葉を聞いて、ここにいても何も解決しないことを悟る。

ヴォルクはいないようだが、屋敷の中はどうかはわからない。逃げられるだろうか。


助けが来る可能性はほとんどないだろう。スワンガン伯爵家の馬車はカーラの屋敷で別れたのだ。あちらならば、まだ助けが来る可能性があったが、こちらの屋敷がどこにあるのか自分には見当もつかない。誰かに所在を伝える方法もまったく思いつかない。


そして、すぐにエミリオが戻ってきた。

書類を手にしている。


「これが証拠だ、読んでみろ」


渡された書類を眺めて、目をみはる。

そこにはバイレッタとアナルドの名前が記載されていた。

しかも婚姻無効証だ。

離婚届ですらない。婚姻したことが無効になっている。

八年間も結婚していた事実がなくなっていた。


ひっそりと息を呑みつつ、書類を捲れば次の書類にはヴォルクとの婚姻が記載されていた。


「こんな……、署名を書いた覚えはありませんが…」

「そうだろうさ。だが、実際にそうして書類は受理されている。そら、そこに記載された日付は一昨日のものだ」

「なんてこと…」


行政府の正式な受理された証に、バイレッタは眩暈がした。

アナルドとの離婚を望んでいたが、こんな形だとは思ってもみなかった。

そもそもヴォルクと婚姻を結んでいる時点で、自分の望んだ形ではなくなっている。


「中佐とは離婚したがっていたのだろう。ちょうどよかったじゃないか」


なぜそんなことを彼が知っているのかは謎だ。だが、アナルドと離婚できたとしても、誰かと結婚したかったわけではない。

そもそも書類を捏造してまで、人生を好き勝手にいじらないでほしい。


「だとしても、ハワジャイン様との婚姻など認めません」

「書類上では夫婦だからな。どう足掻いたところで覆えせない」


得意げな顔をしているエミリオを、バイレッタは凝視した。

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