第70話 慰謝料の請求先
「迎えにきてやったぞ」
慇懃な態度すら取らない男を、バイレッタは静かに見つめる。
一日では修繕は終らなかったらしい。伯爵家の修復中の玄関ホールにはあちこちに布が駆けられ、仮の扉が据えられているがそんな中で堂々と立っている軍服姿が恐ろしく違和感だ。
「一応、貴方の上官の妻にあたるのですが」
全てを脇に置いて、ひとまず一言だけ言い返してみた。
だが相手は尊大な態度を崩そうともしない。
「お前は上官ではないからな。しかも護衛だなんて非情にくだらない任務だ」
「ではお引き取りいただいて結構ですが」
「上官命令だ。逆らえない」
「そこは従うのですね」
夫を怒らせた罰だろうか。こんな嫌がらせをしてくるなんて。
意外に彼は狭量なのだな、と変なところで感心してしまった。
「わ、若奥様…こちらの方は…?」
横で成り行きを見守っていたドノバンが、たまりかねたように口を挟んだ。
バイレッタは安心させるようににこりと微笑む。
「アナルド様の部下の方よ」
陰湿で陰険で態度が悪いだけで、軍人であることには変わりない。
心の中でそっと付け加える。
ヴォルク=ハワジャインは自分たちの会話など少しも頓着せずに、明るいサニーブロンドの金髪を帽子の下に隠して、玄関の仮設扉をあけた。鳶色の瞳を細める。どこか貴公子然とした姿に、エミリオの姿が重なる。
さすが、悪友。
友人関係を築けば態度も似てくるらしい。
「で、どこに行けばいいんだ? さっさと言え」
前言撤回。
ヴォルクはどこまでいってもヴォルクだった。
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「あれ、何ですか?」
工場長室で布をかたずけていたレスガラナがたまりかねたように、机に座って書き物をしていたバイレッタの耳にこそりと問いかける。
あれ、というのが応接セットでレットの淹れた紅茶を足を組んで優雅に啜っている男を指していることは明らかだ。
「護衛と称した番犬というか、害獣というか…」
「なんですか、それ」
本当はバイレッタが声を大きくして聞きたい。
ヴォルクを寄こした理由はなんだ、と。
結局、昨日アナルドの頬を張り飛ばした後、彼は頬を赤くしながらさっさと部屋を出て行った。一言も発しなかったのは怒っていたからだろうか。
冷静になれば、そこまで怒ることではなかったし、夫の頬をぶっていい理由もなかった気がする。いや横暴な夫に制裁を加えるべきだと頭を振ったが、すぐに消沈した。
一か月間のイライラをアナルドにぶつけただけだ。一月と言わず、長年の鬱屈した感情だ。
彼は、十分の一ほどしか悪くない。いや、多少は悪い。
なぜか夫は自分を怒らせる天才なのだから。
その日はそのまま戻ってこなかったから、謝罪することもできず。
朝になって仕事場に行く準備をしているとドノバンに見つかった。怪我の治療を優先にという家令と玄関ホールで押し問答をしていると、彼がやってきたのだ。アナルドの命令で自分の護衛につくように言われたと不機嫌そうに。
外出禁止を言い渡していたくせに、部下をつけてくるあたり自分の行動は分かりやすいのだろうか。それとも譲歩案だろうか。相手がヴォルクという時点で嫌がらせは決定したが。
「圧がすごいんですけど、ずっとつきまとわれるんですか?」
「しばらくはそうかもしれないわね」
「工場長になんの恨みがあるのか知れませんけど、早く犯人たちが捕まるといいですね」
「本当に」
襲われる心配よりも、ヴォルクの態度が鬱陶しくて気鬱になりそうだ。ノイローゼになったら慰謝料をどこに請求すればいいのだろう。クーデターを起こしている者か。それとも命じた夫か。
思わず書類を見つめながら、ううんと呻いてしまった。
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