第69話 誰のせい?

「しばらくは外出は禁止です」


くどくどとした説教の締めくくりは、そんな暴君な一言だった。上から目線もいいところだ。

さすがのバイレッタも、これには反抗精神がむくむくと湧く。


「そんな横暴な! 仕事がありますから無理です」

「落ち着くまでです。命と仕事とどちらが大切なんですか」

「そんな大げさな…、簡単に殺されたりしません」


実際には実行犯は爆死しているし、近くにいた自分が危ないところだったとわかっている。だが、それを告げるつもりはなかった。認めるのが悔しいというのもある。

売り言葉に買い言葉というやつだ。

だが、アナルドの眼差しが瞬時に鋭くなる。


「ほう、そうですか。では爆弾でも剣で切られても銃で撃たれても貴女は死なないのですね」

「そんなことは言っていません。そんな人は人間ではないでしょうに、屁理屈ですわね」

「俺は頭が固くて、意固地のようですから。そのうえ、融通が利かなくて狭量のようですし?」

「な、なんの話ですか?」


唐突な独白に、思わずきょとんと夫を見つめてしまう。

怒りの気持ちが萎んで肩透かしをくらったような気持ちになる。


「とにかく、外出は禁止です。なんなら、このまま動けなくしてもいいのですよ」


夫のエメラルドグリーンの瞳が怪しく光る。

ぎしりとベッドに乗り上げてきたので、思わず手元にあった枕を彼の顔に押し付けた。


「賭けの期間は一月でした。もう終りましたから、二度と、私に触れないでください」


夫婦生活は一月の間だけだ。

念書に記載された日付はもう過ぎている。

アナルドは枕をどかすと、少し考えつつ口を開く。


「でも貴女は俺の妻でしょう?」

「今はそうですけれど、離婚していただけるなら、直ぐ様応じますわ」

「もしかしたら子供が腹の中にいるかもしれませんよ」

「だとしても、夫婦生活を送るのは一月の約束です」

「子供がいれば、夫婦生活は続行ですよね」

「いないかもしれませんよね。そうであれば離婚していただきますから夫婦生活を送ることはありません」


証明できないのだから、離婚できずとも夫婦生活を断る理由に足るとバイレッタは考えている。


「なるほど、どちらとも判断がつきませんし、貴女の意見を変えることは難しそうですね。ところで話は変わりますが、エミリオ=グラアッチェと会っていたと?」

「なにを…仕事ですわ」

「俺の妻は本当に花のようだ」


ふっと顔を歪めてアナルドが嗤う。

バイレッタは震えるほどの怒りを覚えた。

彼はまるで自分の悪名高い噂を聞きつけた男たちと同じ口ぶりだ。


ざあっと音を立てて記憶が頭の中で再生される。

いつも、いつも、いつも―――。


「一方的に寄ってきて好き勝手にさえずるのは、いつも相手ですのよ!」


そこに自分の意思はない。勝手に寄ってきて自由気ままに自分を蹂躙する。言葉でも態度でも。少女の心はそのたびに傷ついて、それをバネに奮い立ってきた。守ってくれる腕にすら意図が絡んでいるのを知っている。だからこそ、自分の力だけで立たなければならなかった。


思惑も思考も、バイレッタの望みとはかけ離れたところで動く。いつも巻き込まれて押し付けられて、レッテルを貼られて。噂が付きまとう。毒婦だの売女だの娼婦だのと。

どれだけ足掻いて、押しのけても、次から次へと向けられる視線に吐き気がする。

欲望も打算も侮蔑も嘲りも。

純粋に自分を見つめる瞳など、どこにもありはしない。


いや、一つだけ。目の前にあるガラス玉のようなアナルドのエメラルドグリーンの瞳は無機質だ。それでも、そこに何かしらの熱量を感じるようになったのはいつからだろう。

初めからのような気もするし、初めの頃とは異なっているようにも思える。

それでも、欲望混じりの瞳はバイレッタにとっては嫌悪の対象だ。

その視線の中に、確かにある見透かすかのようなまっすぐな光には目を反らす。


だって彼は、いつだってバイレッタを怒らすようなことしか言わないから。

彼の本心が、全く見えないから。

それは、今も同じだ。


「バイレッタ、君のせいですよ」


いつだって悪いのは男を誑かす美貌を持つバイレッタで。

気が強くて自尊心の高い、高慢な態度のバイレッタで。

頭の回転が速くて機微に敏いバイレッタで。

誰が悪いのか、誰のせいなのか。問いかけても答えはいつも自分だと返ってくる。


今も、彼はそう言ったのだろう。


もっと醜く、気が弱く、低姿勢で、頭も鈍ければ幸せになれるとでも言うのか。

でもそれは、バイレッタではないのだ。

なのに、そんな自分はいつも否定の対象で。


バイレッタは思い切り、アナルドの頬を張り飛ばしたのだった。


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