第68話 メタモルフォーゼ

「お、おはようございます…?」


目を開ければ、不機嫌を絵に描いたような夫がベッドの脇に立っていた。

スワンガン伯爵家の夫婦の寝室だと場所を把握するよりも先に、夫の状況を知る方が早かった。

久しぶりに項がぴりぴりする。

逃げたいのに逃げられない。

自分が自然と目覚めたのか、この暗黒ともいえるオーラで目覚めたのかは判断がつきかねた。


忙しい筈のアナルドが日が昇っても自宅にいる。

そもそも家にほとんど帰ってこないとドノバンから聞いていた。

実際バイレッタが領地から戻っても顔を合せなかった。

それなのに、なぜここに立っているのか。


「おはようございます。もうすっかり昼も過ぎていますが」

「え、昼…あっ、選定した布の回答の締め切り!」

「朝早くに貴女の秘書とかいう男が来て、回答しておきますと話していました。今日くらいは一日安静にしているようにと医者からも言われています」

「ああ、よかった。あの21番の光沢があれば素敵な上着が格安で量産でき…すみません、安静にしています」


ごごごと音が聞こえそうなほど闇が濃くなった。

仕事の話はダメだ。

夫が何か違う存在にメタモルフォーゼしてしまう。


「あ、そうだ、爆発! どうなりましたか。ええと、ドノバンは無事……」


目に見えてアナルドの顔色が変わる。それはもう劇的に。


まさかあの家令が亡くなった?


バイレッタは蒼白になった。

男を怪しんだ時点でドノバンをもっと下がらせておけばよかった。まさか自爆するとは思わなかったのだ。だが相手はクーデターを起こし、あちこちを爆発はさせているではないか。もっと慎重に対処すべきだったのに。

後悔が胸を突く。

アナルドは静かに口を開いた。


「倒れている貴女たちを見つけたのは父です。しっかりとドノバンを抱きしめて離さないまま気を失っている貴女を引きはがすのが、それはもう大変だったと長々と語られました。しっかり、べったりくっついていたようで」

「え? ドノバンは無事なのですか」

「貴女が爆風と熱を浴びたので、彼は吹き飛ばされた拍子に顔をこすった程度のかすり傷です。すでに通常業務に戻っていますよ」

「はああ…よかった。本当によかったです。どうしてそうもったいぶった言い方をなさるのです」


やや批難を込めて夫を見上げれば、なんだか冷笑を浮かべている夫がいた。

あれ、表情筋を駆使している。

家の中ではあまり使わないようにされていたのでは。

いや、妻には気を遣ってか表情を動かしていたようだが、冷笑はなかった。

なぜ今ここで?

見せつけるべき相手はいないのだが。

というか、その顔を初めて拝見させていただきますが…。


項のぴりぴりは刺すような刺激に変わっている。

できれば、逃げ出したい。いや、逃げたい、一刻も早く。


「貴女は背中に1度の熱傷を負いました。髪も少し焦げていましたので、焼かれた部分は整えさせています」

「あ、はい。ありがとうございます」

「屋敷の玄関ホールは半分以上吹き飛んで、男は肉塊になりました。掃除が随分大変だとメイドたちが失神を起こしつつ苦慮していましたので、専門の業者を呼んでついでに玄関ホールも修理しています」

「あ、そうなんですね」

「そんな貴女がドノバンの心配ですか、そうですか」

「え、いけませんか?」

「そうですね、不愉快です」

「なぜ?!」


不愉快とはどういうことか。

ここは褒められるべきところでは?

それなのに、不愉快?

バイレッタは頭が混乱した。

それからのアナルドの説教は長かった。

だが結局、男とくっつくなという話だったような気がしないでもないが。人命救助を優先してこうまで叱られる理由はなんだ。

だが口を挟むのはよろしくない気もするのだから不思議だ。それでも必死で弁解してしまうのが自分なのだが。


そうして滔々と叱る夫に対して、バイレッタはただひたすらに弁解と謝罪を繰り返すのだった。

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