第67話 不可抗力です!
玄関ホールへと向かえば、簡素な外套をまとった男が佇んでいた。
工場の用件を伝えに来たにしては、見覚えがない。
工場で働いている女たちの夫かと疑ったが、思い詰めたような表情が気にかかる。思い詰めるというか、ひどく陰鬱な顔だ。
しかも立ち姿が、どこか軍人を思わせた。
彼らは右利きならば銃を左肩にかけることが多い。そのため銃を落とさないように左肩が上がり体の重心がやや右下がりになる。気をつけていても敬礼の際にやや偏りが見られるのでなかなか直らないものなのだろう。
だが現在も軍人かと思えば、そんな様子はない。
アナルドほど怜悧ではないが、軍人ならば独特の空気を纏っている。いつでもぴんと張った糸の上にいるような緊張感を孕んだ空気だ。父も軍人だったのでバイレッタはそういうものを感じとるのに慣れていた。
―――元、軍人だろう。
瞬時に思い当たり、彼の現在の状況を分析する。
クーデターがあちこちで起きている。加担しているのか、金の無心か。アナルドとの関係はあるのだろうか。
そして、そんな彼が用事を偽ってまで屋敷にやってきた理由はなんだ。
なぜ自分に会いたいなどというのか。
「工場からの至急の用件と伺いましたが?」
次々と湧き上がる思考をまとめつつ、ドノバンを制して、やや離れた場所から声をかける。
男は顔をあげてニタリと笑った。
「あんたが、バイレッタ=スワンガン?」
自分が働いている工場長を呼び捨てにするはずがない。ドノバンが横で顔色を変えたのがわかった。相手が嘘をついていたと悟ったのだろう。
だがバイレッタの頭は冷静だった。
近々離婚予定ですけれど、と内心で付け加えながら、男に向かって小さく頷いた。
「あんたの旦那に天誅を!」
男が叫んだ途端に薬品の臭いが鼻をついた。
バイレッタはすかさずドノバンに飛び付いて後方へと駆けた。
「わ、若奥様?!」
後にドノバンはアナルドに泣きながら土下座して謝罪したと聞いた。何時間も。
わりと高齢で優秀な家令に何をさせているのか。
いやもう本当、不可抗力だから。押し倒したわけでも襲ったわけでもありませんから。
緊急事態だったから。
人命救助だから!
ベッドで休んでいる自分に怒りの圧力を与えてくる夫にバイレッタも何度も弁明した。
それが明日の話になるとは、今の自分は知る由もない。
ドーンっと鼓膜を破るほどの音とともに出現した強烈な爆風と熱に吹っ飛ばされながら、ドノバンを抱えた腕に力を入れる。
男の断末魔の笑い声のような幻聴を聞きながら意識を失った―――。
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