閑話 不快に感じたら敗け(アナルド視点)
堤防の建設現場では、大勢の男たちが働いていた。これほどの人員を導入するのだから、確かに領地の一大事業だ。あのやる気のない父に許可を得たのもすごいが、これだけの人数を集めたバイレッタの努力も凄まじい。
アナルドは現場を見ながら、妻の手腕に惚れ惚れとした。
川べりに立って指揮をしていた男が近づくバイレッタたちに気がついて、駆け寄ってきた。
現場監督らしき男は年かさのようだ。皺に覆われた顔はよく日に焼けている。厳めしく見えるが、目元は穏やかなそうな印象を与える。
「これは若奥様に、ゲイル様、ラスナー様、今日はどうされました?」
「領主様の視察だ。工事の進捗状況を説明してくれるか」
「ああ、そういえば連絡が来ていましたね。進捗具合はまあ見ての通り半分ほどといったところです。人手は増えてありがたいんですが、思うほどには進んでいないですかね」
ゲイルの説明を受けて男が作業をしている者たちを示しながら、説明をしていく。
と、突然ドボンと大きな水飛沫が上がった。
作業をしていたはずの数人の男たちが川の浅瀬で乱闘になっていた。殴ったり蹴りあったりと凄まじい。
軍でも時折見かけるが、軍規に違反するような大事になることは珍しい。人数を見れば十人程度か。抑えようと思えばすぐに沈められるが、手をつけるとなると少し骨が折れそうだ。
だがここでは日常茶飯事なのだろう。
男がやれやれと口を開いた。
「ああ、また始まったか…」
「いつものことなのですか?」
「古参でずっと作業している者たちと戦争帰りの新参者たちとの間に、つまらないいざこざが起こるんですよ。戦争に行ったのが偉いとか残っていたから腰ぬけだとか、まあ罵る言葉は決まってますがね」
戦争から戻ってきた元軍人がいざこざを起こしているというのはやはり事実のようだ。帝都にいた時も不満が溜まっていると聞いたが、実際に見てみると動きに煽動的なところもある。
真ん中で声を張り上げている男が中心になっているようだ。
やはり領地に視察に来て、正解だった。
アナルドは求める答えを得られそうで満足する。
だが、一際大柄な男が暴れている男たちを次々と川に放り投げてあっさりと解決してしまった。
漆黒の艶やかな黒髪に、男らしい顔つきをした男だ。褐色に焼けた肌は逞しく鍛え上げられており、自分と同年代にも見える。
「こんなとこで急に遊び出すなよ。頭冷えたら、仕事しろ」
男が腹に力を入れた重低音で告げる。決して声をあらげた訳ではないが、よく通る声に川から上がった男たちがまた作業に戻っていく。
バイレッタが感嘆の声を上げた。
「凄いですね、彼の一言で作業が再開しました」
「ああ、ウィードですね。まぁ騒ぎを大きくすることもありますが、時々はああやって沈めてもくれます」
監督らしき男が苦笑混じりに告げれば、ゲイルが穏やかに続ける。
「彼が昨日話していた人物ですよ。ほら、アナルド様の元部下です」
「ああ、確かにアイツは怪我が元で帰ってきたと言っていましたね。アナルド様の元部下の方でしたか。ウィード、ちょっとこっちに来い」
ゲイルの話を聞いた男が気を利かせて、彼を大声で呼んでくれる。
だがアナルドは見慣れた男の姿に、作戦をぶち壊されたような気持ちになった。
そうだ、あの男はいつも綿密に立てた計画を無意識に破壊していくのだ。だがそれが結果的にいい感じに収まってしまうので直接叱ることも少なかったような気がする。
「なんですかね、監督…って、ありゃ連隊長殿じゃないっすか?!」
気だるげに歩いてきた男は、アナルドに気が付くと目を輝かせた。髪色と同じく黒い双眸が太陽の下きらりと光る。
曇りのない双眸に、アナルドは納得した。自覚のないバカは今も健在だ、と。
「ウィード=ダルデ少佐、いつも言いますが落ち着いてください」
「除隊しましたから元ですよ。普通に名前で呼んでください。それにしても、相変わらず連隊長は美人ですね!」
「貴方は本当に変わりありませんね」
「そりゃあ、唯一の俺の取り柄ですから。いつも元気で明るくってね」
アナルドは決して誉めたわけではない。だが、ウィードは嬉しそうに破顔した。
会話が微妙にかみ合っていないが、昔からこの男との会話はこんなものだ。そして戦時中の極秘作戦の内容を部外者にペラペラ話したのも彼だということがわかった。
「バイレッタ、彼はウィード=ダルデ元少佐です。元部下ですので、覚えなくてもいいですが」
「うおー美人の隣にこれまた美人が。お嬢さん、おキレイですね」
「妻に気安く話しかけないでください」
「妻って…なに? え、アンタ結婚したの?!」
驚愕の表情のまま敬語の抜け落ちたウィードがアナルドに物凄い勢いで噛みついてきた。
元とはいえ、上司に対してなんとも無礼な男だが、彼はそういう些事は気にしない男だ。知っている。不快に感じたほうが敗けなのだ。
「結婚はもともとしていましたが」
「ああ、確かに既婚者だとか聞いたっけな。信憑性の低い噂だって話じゃなかったか? いやでも、アンタの嫁なんて想像できなかったんだけど…こんな人非人に、妻だと。 しかもこんな美人! 羨ましい!!」
頭を抱えて絶叫したウィードの横でアナルドは作り物めいた笑顔を浮かべた。
「視察を続けてください、バイレッタ。彼は俺が引き受けますから」
こんな愚かな男の前に、妻を晒しておくのはもったいない。
「えー、オレも入れてくださいよ。もう彼女の隣で息吸ってるだけでいいですから」
「妻が穢れるのでやめてください」
「ちょっ、連隊長殿酷い! 昔は色々と下の世話をしあった仲じゃないですか」
なんて気持ち悪いことを妻の前で言うのだ。
アナルドは瞬時に否定した。
「俺には全くそんな記憶はありませんが」
「えー、奥様聞いてくださいよ。連隊長殿ってば部下のために自分たちの給金から高級娼館のすんごいイイ女たちを宛てがってくれてたんですよ。泣かせる話じゃないっすか!? おかげでもうイイ女しか抱きたくなくなっちゃって、どうしてくれるんですかね…」
やはりこの男に口を開かせたのは間違いだった。今すぐに抹殺しようと決める。とにかく口を塞ぐことが先決だ。
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