第59話 祝杯のお味はいかが

「お見事ですね」


バルコニーから夜空を見上げていたら、いつの間にかゲイルが立っていた。

迎賓館での夜の晩餐会が終わって、男性陣はゲームに興じている頃だ。だが、抜け出してきたのか、両手に掲げたグラスの片方を差し出してきた。


「全てが貴女の手の平の上だ」

「あら、いやだ。まるで私が悪役になったかのようですわね?」


ハイレイン商会の裏の会頭といい、まるですべてを操っている黒幕のようだ。

顔を顰めてみせると、ゲイルは面白そうに笑う。


「褒めているんです。むしろ敬服していますね。バイレッタ嬢の領民への慈悲の心に捧げます」


差し出されたグラスを受け取って、お互いに目上に掲げる。

そして口をつけた。爽やかな柑橘類の香りが鼻腔をくすぐる。味わっていると、ゲイルがからかうような口調になった。


「祝杯のお味はいかがです?」

「祝杯だなんて…まだまだ途中ですよ、目標は遠い上に時間がかかりますから」

「ふっ、さすがは貴女ですね。上ばかり見て終わりがない。若様と別れても領民たちを見守るおつもりですか?」

「ゲイル様をはじめとした担当者が優秀ですので、私はいなくても全く問題ありませんわ」

「貴女がいなくなったら、私も逃亡するかもしれませんよ?」

「あら、それは大問題ですわね!」

「貴女が私の元に来ていただけるなら喜んで引き止められますが」


バイレッタはゲイルの男らしい顔つきを眺めて、ふっと微笑んだ。


「ゲイル様がここを去ると決めた時はお国の方でどうしようもない事態が起きた時でしょうから、私ごときの頼みで引き止めることはできませんわ」

「私の生まれをご存知でしたか」

「こう見えても、情報通ですのよ?」

「それは初めてお会いしたときから知っていますが、貴女には情け容赦なく仕事を押し付けられたので知らないのかと思っていました。部下たちは私の身分を知っているので、未だに遠慮があるほどです」

「あら、ひどい。では今から敬いましょうか?」

「もう少し仕事を減らしてくれるとありがたいですね」


口では懇願しているようだが、彼の瞳は何とも思っていないことが読み取れる。

適材適所―――仕事ができると思える人に、割り振っているだけなので、その分彼が有能だという証拠だ。


ゲイルはもともとナリス王国の現国王の実妹を母に持つ侯爵家の次男だ。王位継承権もあり、5番目だと聞いている。補給部隊の部隊長を任されていたのも血筋を考慮されてだろう。だが、剣の腕も確かで部下からも慕われている。統率力もある。

ナリス王国のタガリット病が流行らなければ、今も十分に高い地位についていただろう。本人はあの一件で王侯貴族に嫌気がさしたとガイハンダー帝国で水防事業を手伝ってくれているが、それでも国になにかあれば戻れるように準備していることも知っている。

そもそも出奔したのは本人の意志で、ナリス王国側としては王位継承権すらはく奪していないのだ。本音としては戻ってきてほしいと思っていることは明白だった。

病が流行したときに王家の対策が失敗し、影から支えていたゲイルの行いが未だに民から感謝されているのだから、あちらの国としてもゲイルを追い出すことができないのだ。一部隊を引き連れて戦線を離脱したことは罰則の対象にはなるが、そのあとの功績でお釣りが来るというところだろう。


ちなみに穀物はゲイルが私財を投入して購入していたとの美談で落ち着いた。購入先はぼやかされているため、スワンガン領地から盗まれていたものだとは公にはなってはいない、一応。


「仕事大好きなゲイル様は、減らしてもどこからかお仕事を見つけてきますわよ。ここ数年は貴方に休日らしい休日もないって部下の方がぼやいてましたから」

「それこそ買い被りですね。休める時に休む。そうでないと、騎士など務まりませんから」

「心は騎士ですね。貴族がいやになったと話されていましたけれど、戻りたくなりませんか?」


彼の本質は騎士なのだ。この帝国にはいないが、誰かを護って過ごすのがゲイルには似合っている。


「そうですね、騎士の性分はなかなか抜けません。今でも爵位などには興味はありませんが、王位継承権を発揮してきちんとした地位に就ければ、貴女が手に入るのかと思えばがんばりたくはなります」

「あら、動機がわりと不純ではありませんか?」

「いいえ、これ以上ないくらいに純粋ですよ。ただ、貴女を愛しているのですから」

「ゲイル様…」


裏庭での告白は、彼の想いを知っただけだと、深く考えることをやめた。あの日から彼が恋の進展を望むような行動を仕掛けてくることもなく、いつもの穏やかな関係を保てていたからだ。けれど、ゲイルにとっては始まりだったのかもしれない。

ならば、彼には赤面してはいけない。動揺して声を上ずらせてもいけない。


悟られれば、きっと彼は何処までも自分に付き従ってくれるから。どれほどの困難からも護ろうとしてくれるから。


「ご夫君から逃げる際には、是非ともお供をさせてください。騎士の本領を発揮させていただきますから」

「それはなんとも頼もしいですわね」


軽口を叩きながら、バイレッタはグラスに口をつけた。

だからこそ、彼に甘えてはいけないと強く誓いながら。

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