第52話 寡黙な夫はありがたい?
山歩きの帰りはゲイルと学者たちとは別行動になった。バイレッタの顔色があまりに悪かったからだ。
無表情のまま体調を気遣うアナルドの真意は不明だが、いつものことだと笑えばそれ以上は何も言わなくなった。ただゲイルの提案には素直に従う。
確かに貧血で世界が回っている。今から山を歩いて下るとなると、短い距離でお願いしたい。
麓まで戻って、待機させていた馬車に乗り込む頃には正直、一歩も動けない状態になっていた。アナルドの正面に座って、早々にクッションにもたれかけて目を閉じる。
こんな時には寡黙な夫というのはとてもありがたい。
今は馬車の揺れだけでも辛い。
屋敷に戻れば、ゆっくりと風呂に浸かって寝台でゴロゴロしてやると心に決める。
目を閉じていると、不意に向かいの座席がぎしりと音を立てた。目を開けるのも煩わしいので、そのまま目を閉じていると隣に誰かが座る気配がする。
動いている馬車なのだから、隣に座ったのはアナルドだ。
だがなぜわざわざ狭くなるような隣に座るのだろうか。何をするつもりなのかといぶかしんでいると、クッションを奪われた。この状況でクッションを奪ってくるとはなんとも帝国軍人は野蛮なっと元気ならばさっそく文句を言っているところだ。だが、そんな気力もない。
だがクッションをどけられた代わりに、硬くて温かいぬくもりに包まれた。
薄いシャツの感触に、アナルドの体にもたれかけさせられたのだとわかる。
彼の心臓の音が規則正しく拍動している。腰に回った腕がしっかりとバイレッタの体を固定していた。
何、捕まった?
状況に軽く動揺している間に、頬にかかった髪をさらりと横に流されたのがわかった。しげしげと視線を感じる。
人の寝顔を眺めるとはなんとも失礼だ。
だが、見るなと怒ることもできない。
そもそも意識をすれば顔が赤くなりそうで、必死でアナルドを感じないように努めた。
自分は貧血で気分が悪くて、死にそうだ。馬車は揺れて、目を閉じているのに視界が回っている気がする。顔色を悪くする要因を思い浮かべて、何度も唱える。
彼の鼓動も、自分の髪を撫でる優しい手つきも、腰をしっかりと抱えた力強い腕にも何もわからないふりをする。
そうでないと口元が勝手に緩んで、なんだかくすぐったい気持ちになる。
夫の無言の優しさだろうか。
寡黙な夫はありがたいが、行動を説明してほしい。どのような意図があって、こんなことをしているのか。
「無様だな…」
だが、ぽつりと落ちた言葉に、思わずぴくりと瞼が動いた。
説明してほしいと思ったが、思っていたのと随分と異なっている。
無様ってなんだ?
まさか、貧血を押して無理やり視察についてきて、帰りの馬車で倒れ込んでいる自分のことだろうか。それとも別の話?
アナルドは言葉が少ない。そもそも誰にも聞かせることがないのだから端的に言葉を吐いても問題はないのだが、バイレッタに向かって言われた言葉なのだとしたら気になる。非情に気になる。
負けず嫌いだからこそ、妙な敵愾心を夫に抱いてしまうのかもしれない。
よし、ならばその喧嘩を買ってみせよう。
元気になれば覚えていろよ、と決意してバイレッタはひたすら身を固くして目を閉じ続けるのだった。
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