第53話 非常に残念ながら
「あらあ、ようやくお会いできて光栄ですわ、お義父様? しばらく会わない間に随分とお顔の色がよろしくなられたようですわねぇ」
言外に人を働かせて自分は悠々自適な快適生活を送っていることを批難してみた。
嫁だけ働かせるって、どうなの?!
息子の面倒くらい自分でみてくれ!
文句を、恨みを込めた結果、随分と低い声がでたがそれは愛嬌というものだ。こればかりは仕方がない。
順調に視察が済んで1週間後には今回のヤマ場である温泉場のある町テランザムに到着した。
バイレッタたちの馬車がスワンガン領地の迎賓館の前の広場に到着すれば、恭しく町長と温泉組合の組長が出迎えてくれた。
その彼らから義父の名前が出た時には、一瞬表情が止まったほどだ。
挨拶もそこそこに、義父がいるという部屋に案内係を振り切って、突撃すれば昼間からワイン片手にすっかり寛いだ姿が見られた。
「それに今回の視察の最も大事な話し合いの場に早々に来ていただいているだなんて、領主様のやる気が感じられて感動いたしますわね! できれば私たちにも到着していることを教えていただければもっと良かったんですけれど?」
「こうして来ているのだから文句を言われる筋合いはないぞ」
「そうですか。では私もこのまま黙って帝都に戻らせていただきますわね?」
「ふん、そういつもいつも小娘の口車に乗ると思ったら大間違いだ。貴様こそ、ここに滞在したいのだろう? ここは儂の領地だ。大人しくしていれば、色々と便宜をはかってやるぞ」
どこぞの悪役のような台詞を吐きながら、不敵に笑う。様になっているが、別に自分は彼を倒したいわけでも敵対したいわけでもない。
ただ仕事をしてほしいだけだが、彼の弁は謎だ。なぜそうまで自信があるのか。
「あら、どういうことです?」
「ふふん、ここは代々皇帝の寵妃たちが切望した土地だ。いつまでも瑞瑞しく柔らかな極上の肌になるという美肌の湯だぞ。それを堪能せずに帰れるのか」
なるほど、女性にとっては懇願してでも入りたい湯という訳だ。
皇帝の寵愛を競うような女たちなら尚更に肌を磨くことには余念がなさそうではある。
「非常に残念ながら…お義父様、私にはそのような必要はありませんから」
競う相手も見せたい相手もいないので、肌の手入れなど必要最低限にしかやっていない。湯に浸かって肌を磨くという望みがないのだ。
「くっ…若さに胡座をかいているとそのうちきっと後悔するからな!」
だが、何故か義父は悔しそうに歯噛みした。
彼の隣に立っていた執事兼従者のガリアンがやれやれと肩を竦めている。
「旦那様…潔く負けを受け入れるほうが男らしいですよ?」
「うるさい、一言が余計だ。お前も眺めていないで諌めろ、嫁だろうが…。本当にふてぶてしい小娘め!」
いつの間にかバイレッタの後ろに立っていたアナルドに義父が噛みついた。負け犬の遠吠えにしか思えなかったが夫はただ静かな瞳を向けた。
「妻の肌は本当に綺麗なので、当然必要はないでしょう? 極上の手触りですよ」
「は、あ?」
何の話だろうか。
というか夫は何を暴露しだしたのだ?
肌と聞いて閨事を思い浮かべて瞬時に赤くなってしまった。
「まさか惚気ているのか? そんなことを儂の部屋でするな。今すぐに出ていけ!」
しれっと答えたアナルドとともにバイレッタは部屋から追い出された。とりつく島もなかった。
真っ赤になったバイレッタは、横に立つ夫を睨み付ける。
「なぜあのようなことをお義父様におっしゃられたのです?!」
「思っていたことをそのまま、言葉のとおりに言っただけですが? それより、折角来たのですから湯に入りましょう。馬車での移動ばかりで疲れた体を癒せますよ」
アナルドは少しも悪びれた様子もなく、にこりと微笑んだ。
悪魔の笑みだと気が付いたときには後の祭りだったが。
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