閑話 贅沢な体(ウィード視点)

南部戦線の戦は結局8年かかった。

長引くだろうと言われていたのに、たった8年か、もう8年と言うべきか。


戦争の途中に怪我が原因で右足を失って除隊となったウィードには告げることは難しい。

もともと領地をもたない伯爵家の次男だ。兄は文官として皇帝陛下に仕えているので、頭では決して兄に勝てない弟は軍人となっただけだった。

だから軍人としての誇りだとか、帝国のためにと剣を掲げる同僚の気持ちはいまいちわからない。

ただそれが仕事だから、ずっと命じられるままに動くだけだ。

その命令がなくなれば、もうやることもなかった。足の傷にいいと聞いてスワンガン領地の温泉街をぶらりとしていると川の堤防を作るための人手が足りないと聞いた。暇潰しのために参加した。義足はズボンを履けばわからないほどに自由に動けるが、力仕事などできるかわからなかったから、軽い気持ちで仕事に就いて、もう2年になる。

終戦になり戦争から戻ってきた兵たちが、工事の人足として雇われるようになった。今のところ見知った顔は二人くらいだ。旧交を暖めるような間柄でもなく、それよりも揉め事が増えるようになったことのほうがよほど問題だった。

もともと現場で働いていた男たちは体力もある。軍人にひけをとらないほど屈強だ。双方を抑えるのは一苦労だが、いい鍛練にもなる。


今日も些細なケンカを止めるために、数人の男たちを川に向かって放り投げた。


「ウィード、ちょっとこっちに来い」


そんな時に現場監督のセゾンが、大声で自分の名前を呼んだのでぎくりとする。

叱られても怖くはないけれど、面倒なことには代わりない。

足取り重く向かった先、セゾンの隣に記憶の中そのままの美人がいた。


「なんですかね、監督…って、ありゃ連隊長殿じゃないっすか?!」

「ウィード=ダルデ少佐、いつも言いますが落ち着いてください」


除隊前と全く相違ない物言いに、笑いが溢れる。いつでも冷静沈着で、感情なんてないような男が、ウィードが絡むと少しだけ声のトーンがかわる。不快だろうが、感情が動くのを見れるだけで不思議と安心してしまう。彼も生きた人間なのだと。


「除隊しましたから元ですよ。普通に名前で呼んでください。それにしても、相変わらず連隊長は美人ですね!」

「貴方は本当に変わりありませんね」

「そりゃあ、唯一の俺の取り柄ですから。いつも元気で明るくってね」


アナルドは決して誉めたわけではない。だが、ウィードは思わず破顔した。

懐古が湧いて、不意に仲間たちの声が聞こえた気がした。アナルドは軍服を脱いで、一見貴族らしい格好をしているというのに、今も南部の草原に立っているような錯覚を覚えた。


だが、そんな感情もアナルドが視線を隣に移した途端に霧散した。


「バイレッタ、彼はウィード=ダルデ元少佐です。元部下ですので、覚えなくてもいいですが」


アナルドとはまた違った女神のような美貌を持った派手な顔立ちの女だった。男を手の平で弄んで楽しむような妖艶さも併せ持つ凛とした美貌は、一度見たら忘れられないほどに印象深い。

思わず触れてみたくなる滑らかなストロベリーブロンドに、魅入られるアメジストの瞳はどこまでも輝かしい。


「うおー美人の隣にこれまた美人が。お嬢さん、おキレイですね」

「妻に気安く話かけないでください」

「妻って…なに? え、アンタ結婚したの?!」


驚愕したため、思いっきり敬語が抜け落ちたまま、アナルドに物凄い勢いで噛みついてしまう。

血の色が緑色をしていると言わしめたあの冷血漢に嫁だと?!

美人と迫力美人の夫婦だと?!!


「結婚はもともとしていましたが」


抑揚のない声で告げられれば、遠い記憶で連隊長が既婚者だと聞いたような気がした。

あんな美人な男の横に並べる女の気が知れないとか同情的に語られていた。外見的にも辛いが内面も相当にキツイ。

的確に痛いところを突いてくるし容赦がない。その上、フォローも全くないのだ。

よほど鈍感か図太くないとやっていけないだろうが、そんな女がいるわけないと仲間内で話したことがあった。


「ああ、確かに既婚者だとか聞いたっけな。信憑性の低い噂だって話じゃなかったか? いやでも、アンタの嫁なんて想像できなかったんだけど…こんな人非人に、妻だと。 しかもこんな美人! 羨ましい!!」


頭を抱えて絶叫したウィードの横でアナルドは作り物めいた笑顔を浮かべた。


「視察を続けてください、バイレッタ。彼は俺が引き受けますから」

「えー、オレも入れてくださいよ。もう彼女の隣で息吸ってるだけでいいですから」


戸惑った表情を浮かべた女は物凄くいい香りがした。久しぶりに汗臭い労働階級以外の上等な女に出会えたのに、ここでお別れするとか悲しすぎる。


「妻が穢れるのでやめてください」

「ちょっ、連隊長殿酷い! 昔は色々と下の世話をしあった仲じゃないですか」


アナルドは軍ではモテまくった。女には決して見えないし、氷のように表情の動かない男だが、とにかく美人だったからだ。

上官や部下に限らず狙われまくっていたため、わりとウィードは影ながら彼の尻を守っていた。

アナルドの直属の上司であるドレスランほどではないが。


「俺には全くそんな記憶はありませんが」

「えー、奥様聞いてくださいよ。連隊長殿ってば部下のために自分たちの給金から高級娼館のすんごいイイ女たちを宛てがってくれてたんですよ。泣かせる話じゃないっすか!? おかげでもうイイ女しか抱きたくなくなっちゃって、どうしてくれるんですかね…」


好き嫌いはよくないし、食わず嫌いもよくないと思っているが、旨いものを一度味わってしまうとなかなか不味いものには食指が動かない。なんとも贅沢な体になってしまったのだ。

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