閑話 女性への品行方正な行い(ウィード視点)

目の前で酒を一滴も飲まずに管を巻いている男は誰だ?


時刻は日暮れすぎ。行きつけの酒場の片隅でささやかな夕食と一杯の麦酒でちびちびやっていたところに、元上官が乗り込んできた。

折り入って話があるという。


いったい何事かと固唾を飲みつつ長い説教をまとめると、どうやら南部戦線の極秘作戦を部外者にベラベラ話したことでお叱りを受けているらしいとわかった。


「ですが、詳細は洩らしてませんよ?」

「当たり前です。ですが、部外者に話していいことではないでしょう?」


アナルドの立てた作戦は敵国の補給部隊を叩くという定石のようなものだった。だが、さすが彼だと感心したのは、補給部隊を半壊させたことだ。

半分は見逃した。だが、ただ見逃しただけではない。その補給物資の食料の一部に毒を仕込んだのだ。

命からがら補給物資を守り抜いた者たちのうち、ランダムに人が死ぬ。同じものを食べてある者は生き残り、ある者は死ぬ。飢えと退路を絶たれ追い詰められた相手は疑心暗鬼に陥り、結果的に敵国の内部分裂まで引き起こした。


あの作戦で随分と戦況が楽になった。


だが、そんな話を詳細に語ったわけではない。ただアナルドの人間の感情を利用した心理作戦をすごいと褒め称えただけだ。

だが、どうやら告げた相手が悪かったらしい。


「ああ、アダルティン総監督は奥様の火遊びの相手ですか?」


昼間にバイレッタに話しかけた時に、隣に並んでいたゲイルを思い出しながら、からかうように口を開けば、物凄い殺気が飛んできた。

ゲイルからも冷ややかな視線を向けられたが、あの時以上に身が凍る。慌てて、表情を引き締めた。


「うわっ、冗談じゃないですかっ。アンタの奥さんが浮気とかするはずがないでしょう。分かってるくせに、本気で怒るんだからな…」

「なぜ浮気しないと言い切れるんです?」

「え、そりゃあ、あんな切り返しされれば、どんな馬鹿でも分かりますよ。いや、心底馬鹿には通じないかもしれないが」


バイレッタは夜の誘いをかけた相手に自分は安くないと挑発してきたのだ。とんだ牽制だ。

見た目は派手な女性で、噂も華やかだが内情は堅実なのだろう。

そもそも賢い男は噂で遠巻きにする。頭の軽い遊びたい男は、彼女の挑発に怒りを感じるだろう。自尊心を傷つけられた男の行動など、大体は力技だが、きっと撃退できる方法も心得ている。

そんな彼女が噂通りな訳がない。全くもって隙がないのだ。

ゲイルも分かっているから、口を挟まなかったに違いない。


「俺の妻に何をしたんですか?」


不用意な一言は慎もう。

先程よりもさらに凄みの増した視線に、心底肝が冷えた。


「うわ、ちょっと…瞳がマジだから! 本当に恐いからやめて! ただ、いつものように褒め称えただけだから。アンタの奥さんがイイ女すぎるのが悪いんですからね?! オレだって、久しぶりに楽しみたかったんだ…っ」

「全く…本当に変わりませんね」


自分の女癖の悪さを知っているだけに、アナルドはあっさりと引いた。嫌がる相手に無理強いはしないことだけは定評があるのだ。

女性に対する日頃の行いは品行方正であってよかった。一般的な行いという意味では相容れないだろうが。


「連隊長殿は、随分と変わりましたね」

「そうですか?」

「アンタが嫁に入れあげてる姿とか、誰も想像できなかったでしょうねぇ」


鉱石のような男だと信じていた。彼の上司ですら人形のような男だと語っていたのだから。

それが、嫁という単語でこうも豹変するとは驚きだ。

かつての仲間たちの驚きを間近で見られないことを残念に思った。一緒になってからかえば命も危ないだろうが。


「アンタが想うようには奥さんに慕われてないってところがまた笑えるなぁ」

「そう見えますか?」

「慕われてないというか、信用されてないですよね。アンタのこと本気にならないよう忠告したら存じ上げておりますときましたからねぇ。さすがは我らの氷の連隊長殿だ、異名は伊達じゃあないって感動したんですけど…アンタあの奥さんに何やったの?」


彼女の笑顔は仮面のようだった。下に潜む激情を綺麗に隠すための蓋のようなものなのだろう。

それだけアナルドが妻を怒らせているということだ。頭のいい連隊長のことだから、何か意図があるのだろうとも思うが、上手くいっていないような気もする。


別にウィードは二人の仲が拗れようがどうでもいいのだが、元上司である彼には借りがある。本当に戦場であの高級娼婦たちは最高の夜を与えてくれたのだ。

元上司の恋の悩みに少しくらいなら付き合ってやってもいいかなと思えるほどには感謝している。


「なるほど。その観察眼は、今の俺に必要なものなのかもしれません。では、効果的な女の孕ませ方を教えてください」

「は、あの連隊長殿…酔ってます?」

「酒を飲んでいるのは貴方ですが」

「ですよね、いや、それはオレもわかってますが…」


会話の行方が突拍子もなくて、ウィードの頭が働かない。


「あの、酒を追加で頼んでもいいっすか?」

「それが素晴らしい助言につながるなら許可します」


作戦立案にゴーサインを出すように、アナルドが重々しく頷くのを、全く思考を止めてしまった頭でぼんやりと眺めるのだった。

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