第49話 靴を脱がせて
「ありゃ、こんなところでなにやってんです、奥様」
川べりで補修工事を眺めていたバイレッタの元に、ウィードが近づいてきた。
隣にはゲイルがいるが、アナルドはいないので安心してやってきたのだろう。
もしくは逃げてきたのかもしれない。
彼の元上官は今、ラスナーとセゾンと共に、新たに築かれた堤防の詳細を聞きに行っていて離れているのだから。
ウィードは無言で警戒しているゲイルを気にした様子もなく、飄々とやってくるのだからかなりの大物かもしれない。
「補修工事の様子を確かめておりました。何か御用でしょうか」
「アンタ随分と有名だそうじゃないか。スキモノなんだって? どうかな、今夜はオレに靴を脱がさせてくれないか。なかなか上手いぞ、自慢の一品もあるしな」
夜を共にしようという帝国貴族の誘い文句だ。寝台に上がる前には必ず靴を脱ぐ。それを脱がせるから、一緒に寝ようという意味だ。
つまり彼は爵位持ちかその関係者ということになる。言いなれた口上には、気品すら感じるのだから不思議なものだ。内容は相当にゲスだが。
大方、作業中の男たちからバイレッタの噂でも聞きつけたのだろう。領主とその息子を手玉に取る女とか、総監督たるゲイルと怪しげな関係をしている女だとかだ。
「私、それほど安い女じゃありませんの」
にこやかに微笑めば、ウィードは少し目を瞠って、破顔した。
裏に込めた意図を男は正確に読み取ったようだ。
だが、これほど衒いのない笑顔を向けられたのは初めてのことで、むしろ自分の方が戸惑ってしまう。
「連隊長殿と結婚するだなんて、どんな勇気のある女かと思ったが…なるほど、これは手ごわそうだ」
「その気もないのに、口説かれる方にはおっしゃられたくないですわね」
軽く睨みつければ、彼は至極真顔で当然のように述べる。
「何言ってんだ、イイ女がいれば口説くのは当たり前だろ」
「呆れた方ですこと」
元上官の妻だろうと関係ないということか。相手によっては軍法会議ものではないだろうか。
アナルドの苦労がしのばれるというものだ。
不意に顔を横に向けて、ウィードはぎくりと顔を強ばらせた。危機察知能力は動物並だ。
「おっと、連隊長殿に気づかれたな…なあ、素晴らしくイイ女であるアンタに忠告してやろうか」
「早く逃げないと、殺されるんじゃないですか?」
大股でずんずんと近づいてくるアナルドを見つめながら、ぐずぐずしている男に向かって辛らつに告げれば、彼は嬉しそうににやりと口角をあげる。
あら、いやだ。変態なのだろうか。
アナルドに痛めつけられたい願望でもあるのかと疑いたくなるほどに。
「連隊長殿には本気にならないほうがいい。本質は鉱石みたいな男だ」
アナルドを鉱石に喩えるなんて洒落ている。
硬くて無機質。夫を表現するのにこれほど適した物はないだろう。
だが、それはバイレッタにもよくわかっている。だからこそ、最上級の笑顔で頷いた。
「ええ、存じ上げておりますとも」
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