第37話 本物の毒婦
「バイレッタ=スワンガン様でいらっしゃいます?」
ちょうど廊下に出た途端に、声をかけられてバイレッタは勢いよく振り返ってしまった。
立っていたのは、金色の巻き毛の豪奢な女だった。紫色の毒々しいドレスが清々しいほどよく似合っている。
原型がわからないほどの厚塗りの化粧と鼻が痛くなるほどの香水に、思わずバイレッタは顔を顰めそうになるのを必死でこらえた。
「そうですが…」
「突然、申し訳ありません。私、カーラ=ライデウォールと申します」
年齢は三十代だろうか。濃い化粧のせいでよくわからないが、落ち着いた雰囲気は大人の女性らしさを表している。
ライデウォールといえば、スワンガンと同じく伯爵位だ。
社交界でもよく噂を耳にした。
『魅惑の女帝』と呼ばれている女伯爵だ。
ライデウォール伯爵家当主クリアネス=ライデウォールに15歳で後妻として嫁いだ若きカーラは、その3年後に夫を亡くし未亡人になった。それからは数々の男たちの間を渡り歩き、社交界の徒花として名を広めた。
今は彼女の息子が成人するのを待っている最中で、中継ぎの爵位となっている。
実質の執務は、クリアネス元伯爵の実弟であるカライデ男爵が担っているとの噂で、カーラは恋愛にいそしんでいるとの話だ。
バイレッタの噂はほとんど事実無根だが、彼女は本物の毒婦である。
社交界だけでは飽き足らず、軍の関係する夜会にまで参加してくるのだから相当に顔が広い。彼女の周囲には軍人がいないはずだから、どこかの男に頼んで連れてきてもらったというところだろうか。
わざわざ何のためにそんな労力をかけるのかといぶかしんでいると彼女が口を開いた。
「スワンガン中佐殿はどちらに?」
「主人なら、会場のほうにいると思いますが…」
「私たち、昔馴染みなんですのよ。といっても彼が成人されてからですけれど…ほら、殿方って初めての相手って記憶に残るって言いますでしょう。まあ奥様にこのようなお話を耳に入れるのではなかったですわ、ごめんなさいね。久しぶりに少しお話がしたくなりまして…少し彼を借りてもよろしいかしら?」
「そうですか…」
ねっとりとした声音は、どこか不快な印象を与える。それとも性別が違えば耳に心地よい声に聞こえるのだろうか。
わざわざ自分に確認しつつ関係を暴露するということは、宣戦布告か牽制されているのだろう。
もちろんどうぞ、と押し付けたい気持ちもあるが、それと同時に夫の趣味の悪さに心の中で毒づいてもいた。
いくら夫と同年代と言ってもこれはない。
ミレイナの方がよほどいい女だ。
実妹の可憐さには全く興味を示さなかったくせに、この毒婦とは関係を持つなどと、夫の女性歴に思わず眉を顰める。
それを見て満足したのか、カーラは失礼と言って去っていった。
一瞬だったが、ひどく強い香水の匂いがどこまでも残って不快さが増した。
ムカムカする胃を抑えながら、バイレッタは足早にレストルームに向かうのだった。
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