閑話 子を思う親の気持ち(アナルド視点)

「長い間、ご挨拶に伺えず申し訳ありませんでした」


アナルドは部屋に現れた男に向かって、勢いよく頭を下げた。


「ああ、いや、その…とにかく、顔をあげてください」

「私はまだ爵位はありません。軍の階級は下になりますので、敬語は不要です」


本来伯爵位の嫡男ともなれば成人と同時に子爵や男爵などの叙爵を受けるが、アナルドは軍人として飛び回っていたので無爵となっている。

嫡男としては珍しいことではあるので、目の前の男は知らなかったのだろう。本来ならば許されないことだが、アナルドの場合は父が静観している間は、自由にするつもりだ。


男は戸惑ったように視線を泳がせて、着席を促す。


「え、あ、そうか…まあじゃあ座ってくれ」

「はい」


バイレッタの実家に顔を出せばすぐに応接間へと通された。

挨拶に伺う旨の手紙はあらかじめ出していたが、数日をおかずにこれほどすぐに叶うとは。長い間心配をかけていたのか、アナルドによほど聞きたいことがあったのだろう。


ソファに座って、向かいに座った男に目を向ける。

ミゼガン=ホラント子爵だ。妻の実父で、軍の階級上は上になる。


バイレッタには少しも似たところがない。厳めしい顔立ちに、落ち着いた威厳がある。

此度の戦争で、自分と同じく一個大隊を率いて東の砦を攻め落としたと聞いた。

直情型の大佐としても有名だが、部下想いで随分と下からも慕われているらしい。


部下から怯えられている自分とは全く対照的な男だ。

それがバイレッタの父親なのだから、彼女の親らしいといえばらしい。


「その、君は娘の噂を聞いているとは思うが…」

「彼女が浮気をしているという話ですか。それとも父の愛人だという話ですか」

「…知っていたのか。まあ軍の中でもこちらに残っていた者たちのあいだでは随分と噂になっていたからな、当然か」

「私は事実無根だと知っております。そのような噂になってしまったことをお詫びしたい」


最初はすっかり信じていたことはちゃっかりと棚上げだ。

伝えなくていい事実には黙っておくのも情報戦には大事なことだろう。


「いや、娘には昔からその手の話が絶えなくてね。君ばかり責められないのも確かだ。まあ8年間も放っておかれた娘の気持ちもわからなくはないとも思っていたが…そうか、事実無根なのか…」

「彼女はむしろ噂を利用して、他の男たちからうまく逃げていたようです。ですから、まあ彼女の行動にも噂を広げる要因ではあったのですが」

「うん、それは納得できる。なんせあの子は本当に、女にしておくのはもったいないくらいにやんちゃなんだ。昔から恋愛やら結婚やらを夢見るような娘じゃなくてな。むしろ商売人の義弟の話を聞くのが大好きで、彼の後ばかりついて回って…帝国のみならず異国の地理や歴史や特産品にもやたらと詳しくて…父親に憧れる息子のように彼に、とにかく色恋なしで義弟に懐いていてね」


普通、女の子ならお父さんと結婚するとかいうだろう?と同意を求められたが、アナルドは曖昧に頷くしかなかった。アナルドにも妹はいるが、ほとんど話したことはない。だが、彼女が父を大好きかといえばそんな様子は少しもない。

昔は怯えていたような様子さえあった。

今はすっかりバイレッタに懐いていて、自分にすら敵意に近い視線を向けてくる。


「それでも可愛い娘には違いない。手を焼くだろうが、よろしく頼むよ」


頭を下げてくる義父を見やって、アナルドは子を思う親の気持ちになんとも不思議な感情を抱いた。

自分を残していく母もこんな気持ちだったのかもしれない。

心の奥が熱くなるような、喉の奥がつかえるような居心地の悪さだが、不快ではない。


「ええ、任せてください」


自然とアナルドは応えていた。



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