第7話 恋も知らない乙女ですから

「あら、よく私の前に顔を出せたものですわね」


玄関ホールで出迎えると、男は紅眼を細めて笑う。華やかな男は、ただ微笑むだけで絵になる。軍服ではなく、ズボンにシャツにジャケットを羽織った姿ですら様になるのだから、制服で騒がれるのも無理はない。

栗毛の髪を横に流した優男は、モヴリス=ドレスラン中将だ。


「久しぶり、お嬢さん。ああ、今は若奥様になったんだったっけ」

「白々しい。閣下のおかげでしょうに」

「やあやあ、君にそこまで感謝されるとは嬉しいかぎりだね。ミゼガン君には責められたけれどうまくやっているようじゃないか」


ミゼガンは父の名前だ。

親しげに呼ぶ声には苦笑も混じっている。相当に絞られたのだろう。真面目な父は怒るとすこぶる怖いのだ。だからといって態度を改めるほど、彼の性格は可愛くないが。


「本日はどのような件でお越しでいらっしゃいますの?」

「もちろん―――」

「モヴリス様?」


後ろから聞こえた声は、義母のものだ。あまりに弾んだ声にぎょっとした。

いつも物静かな微笑みを浮かべている彼女が、これほど大きな声を出せるとは知らなかった。


「やあ、シンシア。元気そうだね」

「ええ、あなたも」


ほほ笑みあう二人はまるで恋人同士のような雰囲気を醸し出している。お互いを熱い瞳で見つめ合っている姿に、軽いめまいを覚えた。


「あの、どういうご関係ですの?」


義母の心が義父にないことはわかっていたが、こうもあからさまにさらけ出されても戸惑いしかない。まだ16歳の小娘には大人の恋愛は難しい。


「幼馴染みなんだよ。家が近所で子供のころからの知り合いだ」

「そうなの。私は一人っ子だったから兄ができたみたいで嬉しかったのよ。優しくて頼りがいのあるステキなお兄様だったわ…」

「今も十分にステキだろう?」

「ふふっ、立派な軍人様ですものね。ちょうどいいわ。いただき物のおいしいお茶があるの。ぜひ、召し上がって?」

「ではお言葉に甘えて」


ドレスランは義母の腰にするりと腕を回すと、応接間へと向かう。

勝手知ったる足取りに、呆然としているといつの間にかやってきた家令が、こっそりとささやいた。


「奥様とは昔から懇意にされていらっしゃいますので…くれぐれも応接間にはお近づきにはならないように」

「癪だけれど、閣下を敵に回すのは下策よ。そんな恐ろしいことするものですか。ところで、お義父様はご存知でいらっしゃるの?」

「もちろんです。ですが、そこは好きにさせろと放置されていらっしゃいます」

「大人の恋愛って難しいのねぇ」


呆れたように息をつけば、ふっと家令は微笑んだ。


「若奥様も自由になさっていいとのお言葉をいただいておりますが?」

「それはお義父様から? それとも旦那様からかしら?」

「どちらもですね。ただし、できる限り隠してほしいとのことです」

「偲ぶれどってことね…今のところは興味はないの。縁があればそうさせてもらうわ」


初恋すらしたことがなく嫁いだバイレッタには、夫以外の男に懸想する自分が想像できない。そもそも夫にすら愛情が芽生えないのだ。自由を愛し、自立をこよなく愛するバイレッタには縛り付けられる妻という立場が心底我慢ならない。

どちらかといえば、そんな足枷としか思えないような恋愛を自分がするとは考えられなかった。


16歳の少女は、まだ恋も知らない乙女なのだから。


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