第6話 お風邪を召されたのですか

「おや、お嬢さん。こんにちは。伯爵様はおられるかな?」


家令とともに玄関ホールへ着くと、やたらと太った大きな男が立っていた。チョッキははちきれんばかりで、サイズの仕立て直しをお願いしたいほどだ。


「ええ、おります。ですが義父は少し体調を崩しておりまして同席させていただいてもよろしいかしら」

「義父? ああ、確か伯爵様のご子息様がご結婚なさったとか。おめでとうございます。こちらは構いませんよ。こんなに可憐なお嬢様が隣にいれば伯爵様もすぐによくなるでしょう。申し遅れました、私、カレンダ商会のタンドと言います。土地から小物から何でも取り扱っておりますので、何かご入用でしたらいつでもお声をかけてくださいな」

「ええ、そうさせていただくわ。早速で申し訳ないのですけれど、一つお願いしたいものがあるの」

「おや、なんでしょう?」


男は愛想よく応じる。


「お義父様にも聞いてほしいので、部屋についたら話しますわ。こちらへどうぞ」


男を案内しながら、目線で家令に合図を送る。心得ているとばかりに小さく頷き返されたので、バイレッタは応接室へと向かった。


「お義父様、お客様です」

「う、うむ。お通ししろ」

「失礼します」


室内は落ち着いた調度品で整えられている。さすがに趣味がいい。

そのソファーへと促すとタンドはすぐさま愛想笑いを浮かべた。


「伯爵様、体調がよろしくないと伺いましたが、いかがですか」

「今は問題ない。それより、今日は何の用だ」

「いつもの進捗報告ですよ。店のほうも出来上がってますので、そろそろ現地を見に行きますか? 明後日ですと現場も落ち着いておりますのでご案内できますが」

「そうだな、使いに行かせるつもりだが、場所はどこだったか」

「一度足を運んでいただければ覚えますよ。こちらですね」


タンドは持ってきていたカバンの中から地図を出して広げた。


「ガイデイア通りとランクス通りの南西、大通りに面した、こちらです」

「住所は?」

「サンクスミリア地区の第5区画2番地ですよ」


契約書を持ちだしてきた義父が、住所を見比べてふうむと唸った。

横から覗き込んで、あたかも今気が付いたかのように声をあげる。


「あら、こちら一文字間違っておりますわ」

「え、どこでしょう」

「ほら、ここです。地図だとサンクスミリアとなっておりますが、この契約書ではサクスミリアとなっておりますでしょう?」

「おっとこれは失礼いたしました。契約書を作り直してまた改めて伺わせていただきます」


タンドはとたんにそわそわとし始め、契約書を取り返そうと手を伸ばした。

それを義父が見逃すはずはない。


「どういうことだ、不備のある契約書にサインさせたということか?」


義父が眼光鋭く睨みつければ、タンドは大汗をかきつつ、口早に答えた。


「も、申し訳ありません! 至急、作り直してまいりますので…」

「まあもう少しゆっくりされてもいいのではありませんか。ところで、話は変わりますけれど、こちらの契約書を見ていただけます?」


あらかじめ用意していた契約書の写しを渡せば、一読した男はぷるぷると震えた。


「なっ…、これをどこで……」

「ふふ、おかしなことをおっしゃる。契約者の名前は私です。旧姓になっておりますので、新しく作り直すつもりでこちらに持ってきておりましたの。どこぞの方が偽りの住所で似たような契約書を作成されていると聞いて驚いてしまいましたわ」

「あ、あなたが契約者だと?!」


バイレッタが男に差し出したのは、サンクスミリア地区の第5区画2番地の土地の売買契約書だ。

契約者にはバイレッタ=ホラントとある。ただし、一般には土地の持ち主は違う名前が上がるように手配されている。こんな16歳の娘が土地の名義人だなどと知られない方がいいとの配慮だ。

タンドが知らないのも無理はなかった。


「この土地にあるお店ですけれど、仕立て屋と貸衣装の店なんですのよ。それはもう好評をいただいておりまして、連日盛況なのですけれど。最近、困ったことが起きてまして。店の定休日に鍵を壊して中に侵入している者がいるようなんですの。ちなみに店の定休日は明後日ですわ。ところで、先ほど同じような日程を口にされた方がいらっしゃったような……ねぇ、お義父様」

「そうだな。明後日、店に案内できると言われたな」

「そ、そんなもの、偶然ですよ」

「あら、そうですか。そうそう話は変わりますが、こちらの土地を私がどなたから買ったかご存知? ハイレイン商会ですのよ」

「ハ、ハイレイン?!」


ハイレイン商会は帝国のみならず大陸に店舗を構える大店だ。本拠地が帝国にあるので、帝国商人の頂点に君臨しているといっても過言ではない。そこの会頭はやり手で一度睨まれると、大陸では商売できないと言われるほどの影響力を持っている。


「先ほどお願いがあるとお伝えしましたけれど、店の鍵が壊された請求書です。こちらの支払いをお願いしてもよろしいかしら。全部で3枚ありますの」

「な、なぜ私が?!」

「ハイレイン商会から一店舗任されておりますのに、こんな請求書を見せれば睨まれてしまいますもの。無能者と叱られてしまうわ。ただでさえ小娘と侮られていて立場もありませんの」


もちろん無能者と謗られることはないが、しおらしく訴えておく。


「ですから代わりに支払ってくださいますでしょう? 引き受けていただけるのであれば、今回はこのままお帰りいただいても構いませんわ」

「この請求書を受け取ればよろしいのか?」


にこりと微笑めば猜疑心に満ちた瞳を向けられた。


「ええ、もちろん。ちなみに逃げればハイレイン商会からの追手がかかりますわ。賢明なご判断ができると思われますが、ゆめゆめ軽率な行動はなさらないでくださいましね」


真っ青になりながら請求書を受け取って、タンドは転がり出るように部屋を飛び出していった。

屋敷から出れば憲兵隊に捕まえてもらう手はずになっている。

被害総額がいくらになったのかはわからないが、同様の手口で3件は騙された者がいるのは間違いがない。


「先ほどから随分と大人しくしていらっしゃいますけれど、いかがされましたの、お義父様」

「貴様が猫を被っていると寒気がするな。その余所行きの声でお義父様と呼ばれると気色が悪い」

「あら、大変。お風邪を召されたのではございません? ですから、あのような小者にも騙されるのですわ。まったくいくら騙し取られたとおっしゃいました。もう一軒別邸を建てるほどの金額でしたかしらね」

「毒舌を聞いて安心するのだから、相当な病にかかっているのだろう。もうこのまま休むとしようか」

「ほほほ、冗談が過ぎますわね。こんなもの軽い挨拶ですわ」

「いつから我が帝国の挨拶はこんな寒々しいものに変わったのだ」


憮然とした義父との応酬は家令が呼びに来るまで続けられるのだった。


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