第5話 レタおねぇさま
スワンガン伯爵家当主は酒に依存する日々を送っていたらしい。
バイレッタとの勝負であっさりと負けてから、義父はきっぱりと酒をやめた。
そのかわり、剣の稽古と称した勝負の日々が続いている。小娘に負けたことがよほど悔しかったのか、別人のような変わりようで鍛錬に打ち込んでは、手合わせを望んでくる。
酒の抜けた義父の腕は確かになまっているだろうが、なかなかに手ごわい。
舌戦を繰り広げたかと思えば、真剣片手に庭先で剣を交えているのだから、おかしな関係になったものだと呆れる。
まるで実家にいるようだ。
存外、居心地がいいらしい。
夫という存在がいなければ、好き勝手できるらしいと気が付いたバイレッタは、のびのびと生活させてもらっていた。
今日も屋敷を我が物顔で歩いていると、可愛らしい少女がこっそりと扉から顔を覗かせた。
家族に怯えた姿はなりを潜めて、幼子らしい好奇心に満ちた視線が向けられる。
「あの、おねぇさま…」
容易く心臓を打ち抜かれた。
舌ったらずな口調は、あまり話慣れていないからだろうか。年齢よりも幼く思えたが、可愛らしい少女からお姉さまと呼ばれ慕わしげな瞳を向けられるとか、何のご褒美だろうか。
「どうしたの?」
できるだけ優しい声で、にこりと微笑めばぷっくりとした白い頬を染めて少女が上目遣いで見上げてくる。
決して犯罪を匂わせるような怪しげな笑みにはなっていない、筈だ。
「レタおねぇさまとおよびしてもいいですか?」
「もちろんよ! 私もミレイナと呼んでもいいかしら」
「はい」
満面の笑顔で頷いてくれた義妹に心の中が温かくなった。結婚生活も悪くない。
夫がしばらく戻らないのならばこのまま、伯爵家で快適に過ごさせてもらおう。
しかし、この伯爵家は数日過ごしただけでも問題だらけなのがすぐにわかった。
目の前の義妹は義父と義母の子供だが、思ったとおり義母は後妻で今年30歳になるという。義父は56歳で、夫は25歳だからほとんど夫に年齢の近い母親ということだ。そんなことは貴族階級の者にはよくある話なのだが、貧乏な男爵家の出である20歳になる夫人と金にものを言わせ無理やり結婚した挙句、実の息子を追い出して義父はやりたい放題をしていたようだ。主に酒と暴力だ。
夫となったアナルドは12歳で帝都にある初等学校に入って、15歳になると士官学校に入学してしまったため、ほとんど屋敷に戻ってこない生活をしていたらしい。どちらも寮の設備があり、家に戻らなくとも困りはしない。卒業後は軍で与えられた部屋に住んでいるらしく家人の誰も彼の居場所を知らないという。
そのため母娘を守る者もおらず、使用人たちはいつか夫人や令嬢が殺されるのではないかとひやひやしていたが、主に逆らうこともできず、また腐っても帝国軍人でもある伯爵を止めることもできず常に緊迫した日々を送っていたようだ。
食堂で義父を諫め剣を持ち出しての勝負に、とうとう刃傷沙汰かと使用人一同は青くなったそうだが、結果的には丸く収まったため屋敷中の人間から感謝された。
じゃじゃ馬だのお転婆だの、もっと女らしいことをしろだのと昔から口がすっぱくなるほど言われ続けてきたバイレッタは、生まれて初めて自分の性格を褒められて、感謝され有頂天になったほどだ。
義父が暴れ始めればすぐに駆け付け、取り押さえ叩きのめす日々を繰り返している。最初は猫を被るつもりだったが、素でいても持て囃され救世主扱いだ。
浮かれるのも当然だろう。
実家に知られれば、即戻って来いと言われるだろうが、ばれるまでは好き勝手させていただこうと義妹の小さい手を取りながら心に誓う。
なにより、この愛らしい手を守れたことが嬉しい。
暴力のなくなった義母の顔色もよくなって、重苦しい伯爵家を包む空気も晴れたような気がする。
「何をして遊びましょうか。ミレイナは何が好き?」
「いつもはお人形さんであそびます。ご本もあるの」
「そう。じゃあまずはお人形を紹介してもらえる?」
「はい」
二人で連れ立っていると廊下からやや急ぎ足の男が現れた。家令のドノバンだ。
「若奥様、見えられました! いかがなさいますか」
「そう、わかりました。ミレイナ、ごめんなさいね。少し用事ができてしまったの。お話が終わればすぐに部屋に行くわ、ちょっとだけ待っていてくれる?」
「……わかりました」
義父の暴力に怯えていた少女は我儘は言わない。滅多に願いを口にすることもない。そんな彼女が一緒に遊んで欲しいなどと可愛らしいお願いをしてくれたというのに、なんてタイミングで現れるのだろう。
ふつふつと腹に怒りを貯めながら、そっと金色の髪を撫でる。
「ありがとう。すぐに行くから待っていてね」
「はい」
不安げに揺れる水色の瞳を安心させるように微笑んで、ドノバンとともに急ぎ、玄関へと向かう。
さあ、悪者退治の時間だ。
伯爵家に巣食う悪は一つ残らず撃退してみせよう。
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