第3話 顔は小さいに決まってる

父は心配そうにしながらも帰っていった。

結婚式も行われないのだから、いても仕方がないと伯爵に追い出された形だ。

また様子を見に来ると言っていたが、父もこの度の戦争には駆り出される予定になっている。前線部隊ではないので、遅れて招集されているが自分の方がより安全な場所にいることは間違いない。

無事を祈れば、帝国軍人たる者いついかなる時も勇猛果敢に馳せ参じるべし、といつもの真面目腐った言葉をいただいた。

勢い込んで失敗しなければいいけれど、と心の中でつぶやくにとどめる。


昼間のやりとりを思い出していると、耳障りながしゃんと食器が割れる音が食堂に響いた。

夕食時、伯爵家の食堂の長机に着くのは四人だ。伯爵夫妻と小さな少女。今年6歳になったばかりのミレイナだ。義妹にあたる。

母親譲りの金色の髪に、父親譲りの水色の瞳をした少女は、怯えたようにおずおずと自己紹介をしてくれた。6歳にしてはひどく大人しい。自分と比べても格段に静かだ。内気というよりは何かに怯えているような様子に、こちらに残ってよかったと内心で息をつく。


元凶は食器を床にたたきつけた男だろうことは安易に推測ができた。


「うるさい、うるさい! お前まで指図するのか?!」


癇癪の原因は義母が義父を窘めただけだ。お酒の飲みすぎだと。だが、それが怒りに火をつけたようだ。義父は強い力で義母の頬を打った。腫れ上がった頬を見ると、口の中も切れているようだ。真白な肌に染まる朱が痛々しく映る。

だが、食堂にいる家令も給仕の男もメイドも誰も当主の暴行を止める様子はない。

できるだけ顔に出さないように眺めている。


「あの愚かな息子がいなくなったのだ、少しくらいは好きにさせろ」


再度、手を振り上げ暴れる男に、慌てて近づいてそっと手を掴む。


「守るべき婦女子に手を上げるなど、元とはいえ帝国軍人の風上にもおけませんわね」


伯爵は退役軍人だ。戦中肺を患って傷病兵となり以後は屋敷に籠って領地経営にいそしんでいると聞いていた。だが、この様子だと怪しいこと限りない。スワンガン伯爵は領地持ちだがその経営は上手くいっていると聞いていた。大きな借金もないようだったが、義父を見ているとそうは思えない。

領地経営についてはおいおい調べるとしても、今は目の前の男を押さることの方が優先だ。


「なにをするっ」

「こちらの台詞ですわ、お義父様。よほどお酒を召し上がられたのかしら。お義母様もこうおっしゃっておりますし、もうおやめになられた方がよろしいかと」

「うるさいっ、子爵ごときの小娘が、儂に指図する気か。名ばかりの捨てられた妻のくせに大きな顔をするな!」

「あらお義父様、おかしなことをおっしゃいますわね。小娘ですもの、顔など小さいに決まっておりますわ」


ほほほ、と乾いた笑いをあげれば、顔を真っ赤にした義父は唾を飛ばさんばかりの勢いで怒鳴った。


「屁理屈をこねるな! さっさと手を放さんかっ」

「元帝国軍人でいらっしゃるのにおかしなこと。か弱い小娘の力でも抑え込めるほど酔っていらっしゃるの、呆れたことですわね」

「貴様、表に出ろ! すぐに剣の錆にしてくれるっ」

「だ、旦那様…おやめくださいっ」


怒鳴り散らした義父に、義母が慌てて縋る。心根の優しさに感動する。

バイレッタの母など、父娘の喧嘩など空気の扱いだ。日常茶飯事すぎて止めるどころかあきれ返って口にも出さない。


「まったく小娘相手に容赦のないこと…けれど、ご自身がどれほどお酔いになっているのか実感されるのもよろしいでしょうね」

「なに?!」

「受けて立ちますわ、そこの軒先でよろしいかしら?」


バイレッタの言葉に義父を除く、その場の全員が息を飲んだ気配がした。

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