第1章 時候の挨拶

第1話 条件は度胸と腕

「お父様、どういうことですの?!」


バイレッタは荒々しく子爵家の居間に通じる扉を開いた。

中で夕食後のお茶をしていた両親が振り返って、同時にため息をついた。


「相変わらず騒々しいこと。妙齢の乙女の態度ではありませんよ、バイレッタ」

「お母様、お小言は後になさって! お兄様から信じられない話を伺ったのですけれど、本当ですの」

「ああ、ヴォクシアから聞いたのか。そうだ、この度伯爵家から縁談が来たのだ。素晴らしく名誉なことだな。絵姿を見たか、見目麗しい男だろう?」

「そんなもの、今頃暖炉の中で形すら残っておりませんわ。私、どなたにも嫁がないと言いましたけれど?!」

「見もせずに放り込んだな…大体結婚しないなどとそんなことが許されるはずがないだろう。ホラント子爵家は代々騎士の家系だ。武勲に恥じないよう、夫を立てなさい。相手は陸軍の少佐だ。この度の戦で中佐になられた方でそれはそれは立派な方なんだぞ。年齢は25歳と少し上だが、お前の手綱を握る…懐柔する…手懐ける?にはちょうどいい年齢だろう」

「何度も言いなおさないでくださいまし。そのような素晴らしい方でしたら、何も私でなくともよろしいでしょうに」

「それがぜひともお前に、との話でな」

「伯爵家のしかも地位も名誉もあられる方が直接、申し込まれるはずもありません。どなたからのご紹介ですの?」

「あー……」


それまで饒舌に語っていた父は、一瞬にしてきまり悪そうに頬を掻いた。嘘を考えている時の父親の癖に、ますますバイレッタの瞳は鋭くなる。

母親譲りの月の女神もかくやという美貌に、勝気な少女の意思が光るアメジストの瞳は、燃えるような炎を宿している。

ストロベリーブロンドの長い髪をかき上げて、父をねめつける。


「お父様、まさかとは思いますけれど、ドレスラン中将閣下ではありませんわよね?」


帝国陸軍の大佐である父は15年ほど前の北方戦線で連隊を率いていた際、師団長を務めていたモヴリス=ドレスラン中将に気に入られ、友人関係を築いている。単なる悪友どまりであれば、家族もそれほど心配しないのだが、モヴリスは酒、賭博、女と派手な遊び人で有名だ。真面目、実直な父となぜ馬が合うのかは不思議なところだが、賭け事に連れ出されては、恐ろしい額を出費して帰ってくる。

目下、我が家の頭痛の種、悪魔の申し子と言っても過言ではない。


父の無言を肯定と受け取って、ばしんとテーブルを叩くように両手をついた。

がちゃんと茶器が派手な音を立てるが、気にするものか。


「お父様、正気ですか! いったいどのような理由があって16になったばかりの可愛い娘を嫁がせようなどとお考えになられたのです」

「はあ、自分から堂々と可愛い娘などと言い切るお前なら大丈夫だ」


開き直った父は手にしていたカップをテーブルに戻し、凪いだ瞳を向ける。


「お前の想像通り、ドレスラン中将閣下からのご紹介だ。なんでも可愛がっている部下に嫁を探していたらしい。今度の南部は時間がかかるだろう? せめて思い出だけでも愛らしい娘を嫁がせてやりたいと仰せだ」

「愛らしいという点は同意いたしますけれど。閣下が可愛がっているだなんて、どんな危険人物なのかしら。きっと、愛らしい娘を宛がうだけではない何かがあるんでしょう?」

「お前のその自信はどこから来るのか、お父さんはちょっと心配になるんだが……まあ、実際は根性があって肝が据わっている腕っぷしのたつ性別が一応女性に分類される方を探しておられたんだが、そんな女性なかなかいないだろう。そんなわけでお前に白羽の矢が立ったというわけだ」

「まったく愛らしい要素を感じないのですけれど?」

「正直、見た目は条件に入っていない。度胸と腕だ」

「どこの道場志願者の条件ですの?!」

「ははは、お前の縁談の条件だ。さすがは武勲に名高いホラント家の娘だな」


快活に笑う父に、バイレッタもにこやかにほほ笑む。


「なるほど。お父様はここで胴と足を離れさせたいとお望みでいらっしゃいますわね」

「待て、待て、待て! 目が本気じゃないか」

「ああら、私、真面目なお父様の娘ですもの。嘘も冗談も大嫌いですわ」


ほほほ、と乾いた笑いを向ければ、父は顔面蒼白になった。


「お父様の望みを叶えられるなんて、歓喜で涙が出そうだわ」


壁にかけられた真剣を取ると、おもむろに振り下ろす。

父も素早く壁に飾られたもう1本の剣を掴むと、応戦する。

がきんと剣がぶつかる音が居間に響いた。


「お前のそういうところが縁談が来ない理由なんだ! 早々に片が付いてよかっただろう」

「ですから、嫁ぐ気はないと散々申し上げております」

「それは許さないと言っているだろ!」


父娘が真剣を振り回し、居間の隅でやりあう間、母はゆっくりとお茶を飲み干すのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る