序章 拝啓

序章 顔の知らぬ妻からの手紙

戦争終結の知らせは瞬く間に、ガイハンダー帝国全土を席巻した。

それに紛れ、残務処理中の南部戦線の戦場に1通の手紙が届く。


「お前宛に家族から連絡など、珍しいな」


幕内で手紙を読んでいたアナルド=スワンガンは顔を上げて、同じく中佐である友人を見つめた。切れ長のエメラルド・グリーンの瞳は涼しげで白磁の肌によく映える。美貌の中佐として有名だが恋文が届くことはあれど、戦中には一度として戦場に血縁者からの手紙が届くことはなかった。終戦を告げた途端に届いた手紙にざっと目を通していたアナルドは口の端を僅かに持ち上げた。

そのまま手紙を友人に手渡す。


「なんだ、そんなに面白いことでも書いてあるのか?」


友人は面白そうに手紙を読み進め、表情を一変させた。


「お前、これ悠長にしてる場合じゃないだろう?!」


友人が慌てふためくさまに、アナルドはふむと息を吐く。

作戦を練る時のように、怜悧な瞳に酷薄な光を宿す。

敵を追い詰め、罠を張り巡らす。アナルドがその灰色の髪から戦場の灰色狐と呼ばれる所以でもある。

次は政敵にでも向けられるはずの瞳はなぜかここにはいない顔も見たことのない妻へと向けられた。

戦争は終ってしまったが、次の新たな争いの匂いがする。

謀略の限りを尽くせる相手だとなお嬉しいが、手紙からは窺い知れることなど僅かだ。


分からないからこそ、新たな戦場にどこか胸が躍る。


「さて、どう追い詰めていきましょうかね」


手紙は女性らしい文字で、丁寧に綴られていた。スワンガン伯爵家の家紋をかたどった封蝋でしっかりと閉じられていた。父も把握しているということだろうか。

なんにせよ、相手の本気度が知れて、笑いがこみ上げる。


まだ一度も顔の見たこともない妻を思い浮かべ、アナルドは手紙の内容を反芻する。


『拝啓 見知らぬ旦那様』

そんな挑戦的な文言で始まる手紙だった。



#####


『拝啓 見知らぬ旦那様

この度休戦が締結され、事実上の終戦になったとのお話を聞きました。あなたと結婚して8年目を迎え、便り一つもないどころか互いの顔すら知らない名ばかりの妻ですもの。この機会にぜひ、離婚に応じていただきたく存じます。

顔の知らないあなたの妻より』


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