FILE8 銃殺 4

 明日、母を殺そうと決めた。

 母と喧嘩をしたのだ。いや、これは喧嘩などではない。銃殺が勝手に居辛さを感じて、引きこもっているだけにすぎない。

 母は以前から不機嫌になると、足音や動作がやかましく、威嚇するような具合になる。自身のうしろめたさからそう感じているだけかもしれないが、母は不都合があるとそのようになり、口数も少なくなる。

 今日もそうだった。

 中学生の時に殺人鬼になり、謀殺の下で銃の腕を磨き、十や二十ではきかない数の人間を殺してきた。しかしそうやって殺人鬼として動く半面、彼女は普通の人間として、生活もしていた。

 同胞である刺殺のように。

 同胞である抉殺のように。

 同胞である謀殺のように。

 彼女は自身が殺人鬼になる前から生きてきた世界を、捨てずに生活してきていた。

 中学校で痛ましい事件が起こったあとも。

 中学校の事件が謀殺が用意した身代わりが犯人として捕まり終息してからも。

 銃殺は人間として生きた。

 人間の名を捨てることなく。

 人間である自身の家族を捨てることなく。

 人間である自身の生活を捨てることなく。

 彼女が希望したからだ。

 彼女が希望を持ったからだ。

 まだ戻れると。

 また戻れると。

 しかし彼女は――どうしようもなく、殺人鬼だった。

 中学校を卒業し、高校に入学して、やはり彼女は孤立した。

 殺意を収める方法がわからなかったのだ。普通の人間である高校生たちも、鈍感ながらもその異様に感づき、自然と銃殺から距離を取った。銃殺には異変がわからない。自身が放つ殺意の大きさに、彼女自身は気付いていなかった。

 そもそもが謀殺と同一の殺意なのだ。規模も、鋭さも、なにもかもがその他大勢の持ちうる小さな殺意とは比較にならない。

 だから彼らは彼女から距離を取った。それはいじめというより保身に近い。

 大きな殺意を目の前にして、余計な刺激を与えないよう取り計らうことのなにを責められよう。

 しかし銃殺にとってそれは酷い寂寥に繋がった。

 誰も自分を受け入れてくれない。

 その寂しさを埋めるだけの技量や余裕や器用さは、銃殺にはなかった。

 殺人鬼クラブに行けばそんな寂しさを感じる暇もないが、舞台が違えば役割も変わる。

 学校という舞台に、殺人鬼クラブの出る幕などない。

 銃殺が欲しかったのは同じ高校の、同じクラスの、普通の友人だ。

 銃殺は願ったが、叶わなかった。

 高校にも愚かな人間はうじゃうじゃと存在した。

 授業中に騒ぐ男子。彼らは教師の忠告も無視して騒ぎ続けた。

 だから殺した。

 クラスメイトの机や持ち物に落書きをする女子。彼女らはひとの痛みがわからない。

 だから殺した。

 生徒にセクハラをする教師。被害者の苦しみより自分の快楽を優先した。

 だから殺した。

 あまりにも愚かで、低俗で、見ていられない。

 殺したって害になることはあるまい。彼らがこのまま生き続けて益になるようなことも起こらない。

 銃殺は殺し、謀殺が隠し、彼らは死んだ。

 殺してしまったから、銃殺が一般人に戻れる機会は永遠に失われた。

 銃殺自身が、手放した。

 自ら望んで、成り代わった。

 彼女がどんなに渇望して普通の友人を求めようと、自ら手放した機会を、神様は二度は与えない。

 彼女がどんなに切望して朝日の射し込む世界を夢見ようと、鬼の生きる夜に朝日は眩しすぎる。

 結果、銃殺はほとんど高校に通えなくなってしまった。

 勉強は謀殺に教えを乞うてなんとかなったが、出席日数や、日に日に数が減る学校関係者などの問題はどうしようもない。出席日数も学校関係者の数も、失えば戻って来ることはない。ゲームのように、残機は用意されていない。

 気付くには遅すぎた。

 そして今なお、銃殺は気付けずにいる。

 卒業も危ぶまれ、謀殺は当時銃殺に通っている高校から転校することを勧めた。謀殺には見えていたことだ。できる限り銃殺の意志を尊重したかったが、あまり尊重しすぎると、真面目な彼女は壊れてしまう。壊れるまで頑張ってしまう。ならば高校を滅ぼしてしまわないかと、謀殺は銃殺に投げかけた。銃殺に疑いの目が行かないように他の高校もいくつか巻き込むようにしよう、と、彼女の心を守る安心材料も用意して。

 銃殺ひとりの心と一般人多数の命、天秤にかければ明白だ。謀殺は迷わず銃殺ひとりの心を選ぶ。

 しかし彼女は「そんなことをするくらいだったら転校するわ」と答えた。何故かと謀殺が問うと、

「あの学校でも、私に優しくしてくれた子がいたわ。友達にはなれなかったけれど、その子たちまで殺したくないもの」

 と、読んでいる本から目線を外さずに答えたのだった。

 銃殺の家族と学校とのあれこれはすべて謀殺が引き受けた。なに、学校の教師を装える人間など、謀殺の人脈をさらえばいくらでも出てくる。

 穏便に、穏やかに。

 銃殺は普通の高校から、蜜薔薇学園の系列校へ転校する運びとなった。

 蜜薔薇学園本校――ではない。普通を夢む銃殺は、世界最高峰の教育機関であるとされる本校へ転校することを拒否したのだ。しかし銃殺の異常性はもう成すすべなく開花している。だから謀殺は、本校に比べればランクは下だが、異常性という観点から見れば間違いなく本校よりランクが上の蜜薔薇学園の系列校へ、銃殺を転校させた。

 蜜薔薇学園本校に集まるのが花鳥風月の系統ならば、銃殺が転校したのはもっと後ろ暗い、裏社会の系統を色濃く反映させた学校だった。

 習うより慣れよ。

 慣らすより均せ。

 銃殺の異常性を目立たなくするには、そうするのが一番手っ取り早い方法だった。

 銃殺を普通にするには、それしか方法がなかった。

 しかし、やはりそれも――悪手であったことには変わりない。

 謀殺は気付いていた。聡い彼が気付かぬはずのない失点。どうしようもない過失。

 銃殺は気付かない。自分が『普通』でいるには、周囲を異常で塗れることしか方法がなかったという事実に。

 卒業はなんとかできた。

 高卒程度の学歴は得た。

 蜜薔薇学園系列の大学に進まないかと謀殺は打診しようとしたが、やめた。

 彼女は疲弊していた。

 彼女は疲れきっていた。

 進学を、と言いかけた口で、謀殺は一言、

「休みましょう」

 と、銃殺に言った。

「お金の心配はいりません。今後の心配もいりません。すべて私に任せてください。すべて私を頼ってください。貴女が心置きなく殺人鬼でいられるのと同様に、貴女が心置きなく生きてくれるのが、私の望みです。拠り所にしてください、私を、私たちを。貴女の心が癒えるまで、私たちは貴女の傍らにいることを誓います」

 平常に則るならば、謀殺はここでこそ笑わなければならなかった。見る者すべてを安心させるその笑顔で、銃殺をこそ安心させるべきだった――が、彼は笑わなかった。

 笑って誤魔化す真似をやめ、極めて真摯に、銃殺に向いた。

「謀殺さん――」

 謀殺の手に優しく心をほぐすように包まれた銃殺の手は震えていた。

「――なんだか、プロポーズみたいね」

 あまりにも真剣そのものだった謀殺の言葉をそんな風にからかって、銃殺は謀殺の顔を見た。彼の顔はあまりに真面目過ぎる。まるで小学生の頃から真面目を取り得に生きてきた自分みたいだ。

 その顔がなんだかおかしくて、面白くて――愛しくて。

 銃殺にはいつからか笑みが零れていた。

 くすくすと声を漏らして、綻んだ。

 久しく忘れていた笑顔だった。

 そうして銃殺は学校に通うことはなくなり、一般人を装いながら殺人鬼として生きることへ方向を定めた。これが四角四面な彼女の、彼女なりの割り切った生きやすい生き方だった。

 そのように方向を定めることで、多少銃殺の心に平穏は訪れた。

 だが――そうは問屋が卸さない。

 家族、特に銃殺の場合は、母親である。

 理想の高い銃殺の母親は、ある日、大学にも進まず就職もせず、怪しげな集まりにばかり顔を出す彼女をこう揶揄した。

「学校にも行かなかったのに、遊びには行くのね」

 いつものからかい半分の言葉だ。

 無視すれば終わる。

 しかし彼女はそれを無視できなかった。

 ぷつん。

 と、切れた。

 ああ、そうか。

 自分の苦しみは、母に理解されることはないのだ。

 殺人鬼クラブに行くことは遊びではない。だがそれを母が理解することはない。

 銃殺の受けてきた苦痛を矮小化することはあったが、理解することはきっとこれからもないだろう。

 失望とか、落胆とか、相当する言葉は数あれど、なによりも彼女は母親に、嫌悪を抱いた。

 遊びに行くと勘違いしたまま銃殺に対して威嚇する動作を繰り返す母親を、嫌悪に基づいて――

 殺そう。

 と思った。


 ◆◆◆


 だから殺した。

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