FILE8 銃殺 2

「世間ってのは」

 銃殺は母親の亡骸を撃つのをやめた。

 その行為は別に母親の亡骸を撃つのが嫌になったからでも、可哀想に思ったからでもなく、ただ銃の弾丸が切れたから。それだけだ。もっと弾丸が装填されていたなら、その数だけ母親の亡骸を撃っていたにすぎない。

 それほどまでに、銃殺は母親を憎んでいた。

 生みの親の亡骸さえも蹂躙しなければ気が済まないほどに。

「わたしみたいな人間には厳しすぎるよ」

 自殺は悪。

 不登校は悪。

 逆境に立ち向かうことこそ正義。

「反吐が出る」

「だから私たちが存在するんです」

 謀殺はにこやかに言った。

「自殺は悪かもしれません。不登校は悪かもしれません。しかし私に言わせていただくなら、逆境に立ち向かえと叱咤する世間も悪です。子供の不幸を矮小化する親は、子供の成功も矮小化するでしょう。なにをしても悪い方向にしか進めないなら、本当の『悪』になってしまった方が救いがあるとは思いませんか」

 貴女の発言を否定することをお許しください。

 謀殺は一度断りを入れて、

「しかし貴女は殺人鬼です。人間ではなく鬼でありますから、そこだけはお間違えなきよう」

 と訂正した。

 さもありなん。

 銃殺は先ほど自分のことを『人間』だと言ったが、彼女が人間だったのはもう五年も前の話で、今は人を殺す鬼だ。

「はいはい」

 銃殺はおざなりに返事をした。

 銃殺自身、自分が人間として生きていた頃よりも、今の方がずっと心地よく暮らせていると思っている。人間は案外窮屈で、殺人鬼は存外自由だ。

 なにより、自分の障壁となった人間が全員死んでいることが、彼女の心を軽くした。

 謀殺が銃殺に声をかけてから、彼女の世界は一変した。


 ◆◆◆


 今日も『じゃむ』と呼ばれた。

 事情を知る友人に相談をしても、『じゃむ』という一見愛らしい呼称では深刻な問題とは捉えられなかった。むしろ可愛いあだ名なのだからいいだろう、と励ましにもならない助言をもらった。確かに可愛らしい呼称ではあるが、元が『邪魔』である。そう易々と受け入れられるものではない。さらに言えばただ呼称として呼ばれているのではなく、ほぼ蔑称として使われているものだ。少女の心を蝕むには十分すぎる毒であった。

 そうした毎日を送るなかで、彼女は空想をして心を逃がした。

 以前、殺人鬼を題材にした小説を読んでから、少女は自分が殺人鬼になる空想をするようになった。

 実際にいる殺人鬼なんてそれほどの数の殺人を犯しているわけではないし、殺人を犯してもすぐに捕まってしまう。けれど空想の中ならば、たくさんの人を殺せるし、どんなに殺しても捕まらない。

 そうした空想を繰り広げている間だけ、少女は幸福だった。

 本物の殺人鬼は近くまで来ていた。

 苛まれる日々に溜まっていた涙を流す帰り道、細い道を往く少女の道を遮るように、彼は立っていた。

 謀殺と名乗る、空想通りの殺人鬼が。

 甘い言葉に、優しい声。穏やかな表情に、柔らかな物腰。

 彼が少女にかけた言葉は少女がいつも待ち望んでいたもので、けして誰からも与えられなかったもの。

 許容。

 寛恕。

 慰労。

 先導。

 ――煽動。

 数日の間、少女は中学校を休んだ。

 その間学校では少女の名前など誰も挙げず、なにも変わらない日常の平行線が続いていた。

 彼女はいてもいなくても問題のない存在で、いれば嘲笑をすればいいが、いなければそれで問題ない存在だった。

 彼らは気付くべきだった。

 不用意に、軽い気持ちで他人を害してはならない。

 その他人が鬼だった場合、どうなるかなど想像に難くない。

 この程度で――と思われるかもしれない。けれど、どんなに小さな悪意でも、どんなに些細ないじめでも、受けた人間が殺意を抱くには十分な致死毒たりえる。

 人を鬼へと変貌させるには、十分な。

「はなしがあるの」

 少女は人数分、手紙を出した。

 可愛らしい便箋にハートのシールで飾って、彼らの下駄箱にそっと投函した。

 思春期とは単純なものである。

 害した少女からでもラブレターじみた手紙を受け取れば、浮足立って約束の場に赴いた。

 もしかしたらラブレターを使ってまた少女を害そうと思ったのかもしれない。嘲笑い、コケにして、少女の心を蝕もうとしたのかもしれない。

 しかしそんな低俗な考えで鬼に向かおうなどと、蛮勇を通り越して愚昧でさえある。例え少女が鬼であると知らなかったとしても、窮鼠猫を嚙むという言葉を知っていれば。

 彼らはもうこの世にいない人間である。

 死んだ子の歳を数えたってどうにもならないように、死んだ者の過去の思惑を推測したってどうにもならない。

 手記などが残っていれば話は別だが、日記でさえ満足につけない彼らにそのようなものを求めたって無駄である。

 だから、彼らが殺されたのは必然だった。

 体育館裏の人目のつかない場所で、少女は彼らを待っていた。

 手を後ろ手に組んで、長い髪をだらりとさげて、俯いて待っていた。

 そして彼らは何気なく言う。彼女を蝕む呪いじみた呼称を。いつも通りの、愚かな悪意によって。

「よう、じゃむ」

 先頭を歩いていた男子は最後の言葉を口にした。


 パン。


 呆気ない乾いた音と、白いワイシャツに広がる赤い斑紋。

 それだけで、すべてが覆った。

 呆然としていた他の男子たちは一瞬の静けさのあと、混乱に襲われた。

 赤い液体に彩られて倒れる同級生。

 正面に立つ、黒光りした鉄の塊を掲げる、今まで散々馬鹿にしてきた女子。

 踵を返してその場から去ろうとするが、体育館裏の狭い通路の先には立ち塞がるふたつの影があった。

 明るい茶髪にスーツを着込んだ、銀縁眼鏡の男性。

 それから、気怠い雰囲気を全身から醸し出している、白衣を羽織った男性。

 風貌から中学校の教師かと思って男子たちは安心した。

「助けて、じゃむが、あいつが、…………」

「いけませんね」

 叫ぶ男子中学生の声に被せて、銀縁眼鏡の男性は言う。

 少女を叱責しているのはわかったが、次に男性の発した言葉で、叱責の意味合いが全く違うことに、彼らは嫌でも悟らなければならなかった。

「逃がしてしまっては意味がありません。ちゃんと全員殺さなければ、貴女の望みは叶えられない」

 言って、銀縁眼鏡の男性は懐から、少女が持っているものとよく似た鉄の塊を取り出し、縋ってきた男子中学生の脚を撃った。

「このように、まずは動きを封じるところからです。きちんと教えたでしょう?」

「……はい、謀殺さん」

 中学校を休んでいた間、少女がなにをしていたか……など、もう説明の必要はないだろう。しかしあえて表記するならば、少女は銀縁眼鏡の男性――殺人鬼謀殺の指導の下、鉄の塊、まさしく銃の取り扱いを学んでいた。

 最初は銃の構造から正しい扱い方、手入れの方法。モデルガンを使っての練習。そして本物の使い方、撃ち方、コツ。

 驚異のスピードで銃のノウハウを学習していく少女の潜在能力に、謀殺は感心すると共に舌を巻き、素直に少女を称賛した。残念ながら少女が称賛を素直に受け取ることはできなかったけれど。

 謀殺と同じように、残りの男子中学生たちの脚を撃って自由を奪ってから、少女は浅い呼吸を繰り返しながら彼らに近付く。脚を撃つのも少女の手際は非常に良かった。

 まるで物心つく前から銃に触れてきたかのようだ。

「う……う、うう……」

 呻く声は少女のものか男子中学生たちのものか、判然としない。

 僅かに冷静を取り戻した少女は、自分がとんでもないことをしていると気付いたのか、銃を持つ手が僅かに震え始めた。

 その様子を見て、謀殺の横に立つ白衣の男性が「まずいですね」と呟く。

「どの人間もそうですが、やっぱり最初の殺人ってのに恐怖を抱く。犯したあとならなおさらね。どうします? このまま躊躇ったままなら、放置しても……」

「それは悪手ですね、毒殺さん、十点減点です」

「はあ」

「彼女ほどの宝石の原石を放置しておくなど、あまりに愚かしい。まだお気づきではないかもしれませんが、私は謀殺ですよ。手練手管で自らの手を汚さず人を殺す、謀殺です」

 冷徹な微笑を浮かべて、謀殺は震える少女へと近付いた。汚いものでも避けるような足取りで男子中学生をよけ、震える少女の手に自身の手を重ね、耳元で囁く。

「さあ思い出しなさい。この少年たちは、貴女になにをしましたか?」

 少女は手と同様、震える声で答えた。

「……わたしを、『じゃむ』と呼んで……嘲笑った……」

「ほかには?」

「『じゃむ』というあだ名を広めて、わたしを貶めた……」

「ほかには?」

「わたしのすべてを……破壊した……」

「ではこの少年たちを、どうしたいのですか? 貴女の望みを教えてください」

「…………殺す。殺したい。殺さなきゃ…………」

 少女は言った。

「殺さなければ、殺される」

 謀殺は満足げに頷いた。

 少女の手はもう震えておらず、真っ直ぐ、男子中学生の額に銃口が据えられていた。

「なにか、言いたいことはある?」

 凛とした、冷ややかな声で少女は問う。それは男子中学生たちに向けての質問だった。

 死の恐怖に怯え、逃げ足を失った彼らに残された道は、もう、命乞いしかない。

「助けて……悪かった、悪かったから、……」

「……許して、もうしないから……命だけは」

「『助けて』? 『許して』? わたしがそう言っても、あなたたちはやめてくれなかったじゃない」

 けして覆らない絶望を前にした彼らの表情は、それでも、少女の苦しみを癒すにはまだ足りなかった。

 そして少女は引き金を引いた。

 パン。

 ひとりは頭を。

 少女を貶めることを考案した、憎き頭を。

 パン。

 ひとりは胸を。

 少女の苦痛を理解することのなかった、愚かな胸を。

 パン。

 ひとりは咽喉を。

 少女に地獄の日々を与えた言葉を響かせた、恨めしき咽喉を。

 銃声は虚しく響き、残ったのは数体の屍と、返り血で化粧を施した少女と、見守るふたりの殺人鬼の姿である。


 ◆◆◆


 ――なるほどね。

 少女が初めての殺人を犯す様子を見て、毒殺はひとり合点した。

 何故この場に自分が呼ばれたのか、それは単純に、あの場から逃げ出すであろう男子中学生を、逃がさないように壁になるためだ。身長に恵まれた毒殺の体格は、幼い男子中学生を威嚇するには十分な壁だった。謀殺ひとりでも男子中学生を逃がさないよう動くことはできただろうが、謀殺はあえて毒殺を呼んだ。

 目的はおそらく――品定め。

 殺人鬼クラブのメンバーに相応しいかどうか、毒殺に判断を委ねたのだと、毒殺自身は解釈する。

 以前、謀殺が引き入れた殺人鬼の同胞は、金に目が眩み別組織に寝返った。もちろん事後処理は完璧になされたし、もともと謀殺も分かっていて同胞として引き入れたふりをしただけだったらしいが、その事件のあと、ほかの殺人鬼たちは慎重に同胞を見るようになり、自然と謀殺が「味方だ」「スポンサーだ」と言って紹介する者へ向ける目も厳しくなる。

 謀殺は目的を果たすためならば、同胞を欺くことすら躊躇わないことを知っているからだ。

 目の前の少女が、『以前』以降初めての、正式な殺人鬼クラブへの勧誘だった。

 ちらり。と、謀殺が毒殺へ目配せをする。

 ――いかがですか?

 不敵に微笑み、そんな風に視線で問いかける。

 話を聞いた当初、毒殺は謀殺の意見に反対だった。

 中学生など思春期真っ只中。殺人鬼などというアンダーグラウンドに憧れる年頃のピークである。

 憧れだけで生きていけるほど甘い世界ではないのだ。金や地位に目が眩んで寝返られても困る。

 さらに毒殺には、妹に対する引け目もあった。妹も中学生で、殺人鬼だった。妹が生きているうちは彼女が殺人鬼であることを知らなかったが、彼女の死後、真相を知った。

 殺人鬼。殺人鬼クラブ。戦争。敗北。死。

 幼い子供に背負わせるにはあまりに大きい。

 別に目の前の少女に妹を重ねているわけではないが――妹と少女はあまりにタイプが違いすぎる――子供を殺人鬼に育て上げ、殺人鬼クラブに加入させようなど、無謀であると毒殺は謀殺に説いた。

「それならば、貴方も見て判断すればいい」

 毒殺の珍しい説得の末、謀殺は穏やかに笑って提案した。

「彼女は素晴らしい殺人鬼になる」

 いつから謀殺が少女に目をつけていたのかは不明である。しかし、どこかで純然な殺人鬼足りえる殺意を感じ取ったのだろう。

 その殺意を、毒殺も感じ取った。

 謀殺の口車に乗せられた感は否めないが、実際は謀殺の言葉など必要なかったかもしれない。彼女は謀殺がなにも言わなくても、きっと彼らを殺しただろう。

 少女の持つ彼らへの憎しみは、こんな中学生のいじめ被害者が起こした凶行風情で留まらせるには惜しい。

 毒殺も、謀殺と同じく、少女を原石であると認めた。

 増幅する憎悪に水を与え、謀殺は少女を自らの同胞とすべく動いたに過ぎない。

 あまりに残忍な煽動である。

 だが少女には救いだった。

 毒殺は謀殺の目配せに、「仰せの通りに」と肯定の意味を込めて、頷きを返したのだった。

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