FILE8 銃殺 1

 今日、母を殺した。

 右手に構えた拳銃で、その脳天を撃ったのだ。

 母親の恐怖、狂乱、命乞い――すべてを無下にし、命を奪った。

 殺人鬼となってすでに五年が経過している。むしろ今までどうして殺さなかったのだと疑問に思う。

 別に特別愛情があったわけでない。むしろ憎悪していたくらいだ。

 憎かった。

 自分を間違った方向へ導き、破滅へといざなったこの女が憎かった。

 ずっと殺したかった。殺してやりたかった。

 それでも殺さなかった。

 ――どうして?

 どうしてだろう。

 わからない。

 わからないから、過去を振り返ってみよう。

 そうした方がいいと、母も言っていた。


 ◆◆◆


 彼女は普通の中学生だった。

 持ち前の真面目さが取り柄の少女だった。

 中学生という年頃は少々複雑で、小学生の時分ではもてはやされた真面目の美徳は打って変わって、不真面目こそ美徳であるという暗黙の了解が流布し出す。

 それがかっこいいとされていたのだ。愚かにも。

 そして真面目であるという美徳は美徳でなくなり、ただの悪徳、害悪であると目されてしまう。

 少女はそれに気付けなかった。

 気付いていたとしても、少女に実行が可能だったとは思えない。

 今まで大切に貴んできた美徳を害悪であると割り切り、自らも不真面目へ堕ちようとする柔軟性を、少女は持ち合わせていなかった。

 柔軟性を持たない少女の真面目な気性は、とある日常的な悲劇を生んだ。

 いじめである。

 明確な時期は覚えていない。

 ただきっかけは覚えていた。

 少女は教室の入口を塞ぐ男子たちに一言「邪魔」と言ったのだ。それは紛うことなく失策だった。もっと優しい言葉遣いだったならば。もっと優しい物言いだったならば。

 結末は違っていたかもしれないのに。

 現在は違っていたかもしれないのに。

 今ではもう確認するすべがないが――死人に口なしという言葉は真理である――きっと少女の態度は、彼らの癇に障ったのだろう。

 癇に障ったという表現が間違いだったとしても、彼らに玩具ができた瞬間であることは間違いがない。

 ことあるごとに、少女の姿を捉えるたびに、彼らは少女を揶揄して呼んだ。

『じゃむ』

 と。

 何故『じゃむ』なのかと問われると、きっと『邪魔』が転じて落ち着いただけであるとしか少女には説明ができない。落ち着く以前には『ジャーマンポテト』であったりそのまま『邪魔』と言ったりと多種多様なものだったが、語呂の良さが彼らの琴線に触れたのだろうと少女は推測する。

 あまりに幼稚であまりに残酷な一幕だ。

 それが中学一年生の頃。

 少女が孤立し始めた頃。


 ◆◆◆


「それでは、この家は処分して差し支えありませんか」

 部屋の入口に立つ男性は、人を安心させる笑顔をたたえながら確認した。もはや確認するまでもない、殺人鬼クラブのまとめ役、謀殺である。

「もう家主も家人もいなくなってしまいましたし、貴女も、この家を疎ましく感じているはずです。いかがですか、銃殺さん?」

「好きにすればいい……」

 銃殺は浅い息を繰り返して呻くように答えた。軽い過呼吸のようだ。

「わたしにはもう、関係ない」

 引き金を引く。

 もう二度と動かぬ母親の亡骸に、二度、三度と銃撃を与える。今までの恨みつらみをすべてぶつけるかのように。

 死者に鞭打つという慣用句があるが、そのままの意味ではそうそう使わない言葉である。あまりに不躾な行為だ。しかし、彼女を咎める人間はいない。

 容認する鬼がいるだけだ。

「これで貴女を阻む人間はいなくなりました――素晴らしい。『我らを阻む者は亡し』とは、まさにこの状況を謳った様子ではありませんか」

「……そうだね」

 銃殺はうざったそうに謀殺の言葉を肯定した。

 肩口で切り揃えられた黒髪を揺らし、きりりとした形のいい眉を不快げに歪め、切れ長の瞳も不愉快だと言わんばかりに力が込められている。

「訊ねてもいいでしょうか」

「………………」

 さらに不快に顔を歪ませる銃殺。思い切り謀殺の顔をねめつける。

 しかし謀殺にそんなものは通用しない。通用していれば彼はとっくに失脚している。銃殺ごときに睨まれたところで、謀殺の言葉や態度が揺らぐことなどありえない。

「感想を」

 たったひとりの母親を殺した、感想を。

「……別に」

「それは少々味気ない感想ですね」芝居めいた仕種で謀殺は驚いた風に言う。「貴女に間違ったアドバイスをし、状況を悪化させた張本人――『気にしない、嫌がればエスカレートする。気にしていない風を装え』――そんな間違ったアドバイスをした張本人を殺したと言うのに。彼女の助言通りに動いて、貴女のいじめは収まりましたか?」

「………………」


 ◆◆◆


 収まらなかった。

 むしろエスカレートし、そういう括りのクラスの男子は全員、少女の敵となった。

 否、クラスだけではない。学年を越え、少女を傷つける言葉は蔓延した。

 クラスという隔たりとは脆弱なものである。

 すれ違いざま、通りすがり、挙句の果てにはわざわざ少女のクラスに来てまで――彼らは少女を嘲笑しに来た。

 ――これはいじめではない。

 少女は自らに言い聞かせていた。

 いじめとは、もっと残忍で、もっと実害が出るものだ。

 思い込んでいた。

 そうしないとやっていられなかった。

 なにか行動するだけで揚げ足を取られ、嘲笑の対象となる。

 少女の一挙手一投足、ありとあらゆるすべての所作が、彼らの下劣な愉悦を満たす材料となった。

 体育の授業で自身の動きを嘲笑のために真似される屈辱を知っているだろうか。

 不意打ちで撮られた顔写真を仲間内で共有され笑われる恥辱を知っているだろうか。

 少女のなけなしのプライドは地の底へと落ちていた。

 家だけが、唯一安らぎを与えてくれたはずだった。

 家族の前ではプライドなど関係ないし、自身を産んだ母という存在は大きなものである。世間を知らない無力な子供が、困ったことやできないことに直面すれば誰しもそうするように、少女は母親に悩みを打ち明けた。

「気にしてはダメ。嫌がるような反応をすれば楽しくてエスカレートする。いつかは飽きてやめるに決まっている」

 きっとそうだと少女は信じて言う通りにした。

 気丈に振舞い、気にしていない風を装い――そしていじめはずっと終わらなかった。

 何十回先生に相談しただろう。

 何百回『じゃむ』と呼ばれただろう。

 気丈に振舞ったのが間違いだったのだろうか。なんでもない風を装ったのがいけなかったのだろうか。

 なにをしても少女が嫌がる素振りを見せなかったから、彼女を無限に傷つけていいと判断したのだろうか。

 少女は傷だらけのまま中学二年生になっていた。


 ◆◆◆


「……ひとって、案外簡単に死ぬのね。呆気ないくらいだわ」

「ドラマチックに死ねる権限が、生きている人間全員にあると?」

「ないわね」

 銃殺は呟く。

「わたしに死ぬ自由がなかったようにね」

 左手首をするりと撫でた。

 もう二度と半袖の服は着られない。

 そこには、彼女の心の傷がほんの数パーセント、形となって残っている。


 ◆◆◆


 自傷行為を始めたのはいつからだったのか、鮮明には思い出せない。

 当時放送していたテレビドラマで、確かそんな描写があったような気がする。それを見て、自分もするようになったのだったか。

 ドラマの真似事だったが、破壊衝動の捌け口に自傷行為はぴったりだった。

 昔からものに当たる性質を持っていて、不機嫌だったり嫌なことがあると、すぐに椅子を蹴飛ばしたりドアを強く閉めたりして怒りを発散させていた。

 最初はぬいぐるみをカッターナイフで裂いたり、壁を切りつけたりするだけだった。しかしぬいぐるみは裂けばもう使えないし壁には傷が残る。

 初めて腕に線を引いたとき、痛みと背徳感と、そしてほっと胸をなでおろす甘い感覚が少女を包み込んだ。

 刃物に一瞬抵抗する肌の弾力と、皮が刃物に反発し乱雑に走る感覚。だんだんと玉となって肌の上に現れる血液。舌でなめとった味。

 ほかのものを傷つけてはいけないと言うのなら、自分を傷つけることは構わないはずだ。

 それしか少女を慰めてくれる現実はなかったのに。

 なのに何故、母は少女を叱ったのだろう。

 やめろやめろと言うだけで、なにか代替案を出すわけでもない。母はただやめろと強制するだけだ。

 何本ものカッターナイフが買い直すたびに没収されていく。

 頬を張られたこともある。

 母親も自分と同じではないか。

 不都合があるとすぐに暴力に訴える。

 日々を追うごとに情緒不安定になっていく娘を心配していたことだろう。しかし娘の日記を盗み見て、後日茶化す材料として扱うのは母親として正しいのだろうか?

 読書の一環として『いじめ』という表題の本を読んでいると「またそんな本を読んで」と責めるような目を向けられた。読書も自由がないのか。

 少女のほかにも苦しい目に遭っている人間は多い。そのことは理解できていた。少女よりも凄絶ないじめを受けている人間もいただろう。母自身もいじめに遭っていたと語り、それでも今こうして生きているのだと結ぶ。母はそんな話を持ち出してくることも少なくなかった。まるで、「少女の受けている境遇など取るに足らない些末なこと」であるとでも言いたげに。

 悩みの矮小化――とでも言うのだろうか。

 母にはその傾向が強く表れていた。

 少なくとも少女にはそう読み取れた。

 乗り越えられた人間の発言は、同じ境遇の人間全員に適用できるわけではない。「私はこうだったから大丈夫」だったとしても、それがすべての人間に当てはまるわけではないことを、成功者は知らないのだ。

 母は成功者で――娘は落伍者だった。

 落伍者ならば潔く死んだ方が良かったのだろうが、現代社会はそれを許してくれない。

 一度、本気で死のうとしたことがある。

 中学生という年齢はあまりに幼く、あまりに無知だ。

 自殺の手段など、数えたって片手で事足りる。その手段さえ成功率の低いものばかり。

 結果的に言えば少女の自殺は失敗に終わった。

 母親は激怒した。

 激怒して、叱って――それだけだった。

 解決策や逃げ道は、やっぱり与えてくれなかった。

 ゆえに少女の傷はどんどん増え、母娘の心の溝は深まっていった。

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