FILE7 刺殺 3

「刺殺、貴方は『愛によって人を殺す』なんて宣うけれど、本当は誰も愛してなんていないでしょう」

「そんなことないよ」

「嘘ばっかり。ねえ刺殺、誰でも好きになる、誰でも愛する、それってつまり、誰も愛していないのと同じじゃないの」

「そんなことないよ」

「だって刺殺、貴方は誰よりも人間を憎んでいるわ。愛と憎悪は背中合わせだなんて言うけれど、貴方がその生き証人みたいね。誰かを愛している振りをして、その実、殺したいほど憎んでいる。いいえ、憎んでいるのを愛していると無理矢理曲解しているのかしら。ねえ、貴方、本当に人を愛したことなんてあるの?」

「そんなこと――」

 あの時はなんと答えたのだったか、思い出せない。

 けれど心の中では答えは決まっていた。

 そうだよ銃殺。

 俺は本気で他人を愛したことなんてない。

 いつも斜に構えた態度の癖に、本質的には本来の意味で斜に構えた性格の女、銃殺。

 彼女のことも好ましいと思っている。けれど、恋人にしたいほどではない。

 恋人になれたらと夢想することもあったが、結局空想止まりで、本当に恋人にしようだなんて考えたこともない。

 彼女はそんな俺のことを見透かしていた。嘲っていた。

 意地悪い性格だとは感じるが、しかし彼女ほど真剣に他人と向き合う殺人鬼はいないだろう。

 人間を殺す前に、そいつがどういう人間かを見定める。

 そんな彼女の目には、俺という殺人鬼はどう映っているのだろう。

 訊ねればきちんと答えてくれるだろうが、やっぱり怖くて踏み込めない。

 そんな俺さえ見透かして「臆病者」と罵られた。

 俺はね、銃殺。

 幼いころからこの容姿を生かしてモデル――ほかには俳優やタレントとしても活動しているけれど、結局みんな、俺自身を見てくれた人はいなかったんだよ。

 みんな、モデルの御嶽シュヴァリエしか見ていなかった。

 最初にそれを思い知ったのは十六歳。まだ今ほど売れてなくて、雑誌の端やアーティストのプロモーションビデオにゲスト出演する程度の知名度だった頃。

 初めて恋人ができたんだ。

 それまでも告白や交際の申し込みは何度も受けて来たけれど、どうしてあの子の交際を受諾したのかは思い出せない。多分、俺もあの子が気になっていただけかもしれない。クラスで一番可愛い子だったから。

 愛とはなんたるかさえわからない、恋に恋する年頃だった俺は、一生懸命彼女を愛したつもりだった。

 デート代も出したしプレゼントも贈った。それが正しい愛し方だと信じていた。メールも毎晩送ったし、絶えず愛の言葉を囁いた。

 どこかでズレを感じながら。

 だって俺は、彼女からは同じようにプレゼントも、熱烈なメールも、愛の言葉も、もらったことがなかったんだから。

 すぐにキスはしなかった。

 自分の家族とは違って、日本は頻繁にキスをしないと知っていたから。

 だから初めて彼女と唇を重ねたとき、とても嬉しかった。満たされた気分だったよ。

 ああ、俺は彼女を愛しているんだな。って。

 彼女も俺を愛してくれているんだな。って。

 今まで感じてきたズレは勘違いだったんだな。って。

 でも違った。

 いわゆる男女の関係になったとき、俺は知った。

 あの子は俺を愛しているのではなくて、俺を利用していたことを。

 俺はあの子の魅力を引き出すモデルの肩書を持ったアクセサリーで、自己承認欲求を満たすだけの道具だったのだ。

 ほかに男がいたんだって。何人も。

 その人の方が上手いから、貴方とのセックスはつまらないと。

 俺は最初から裏切られていたんだ。

 裏切りに気付かなかった俺は、陰で笑われていたんだ。

 裏切りほど心を殺される行為はないね。

 特に不貞を犯した恋人への憎悪は、生きてきた中で一番だった。

 だから俺は殺した。ナイフで一部の見落としもなく、恋人をメッタ刺しにした。

 それで――。

 ――それで?

 それで俺は食べたんだ、あの子を。

 だって食べればあの子は俺だけのものになるから。

 あの子が俺のただひとつになってくれるから。

 愛することは食べること。

 自分で殺して食べさえすれば、好きな人は自分だけのものになる。

 だから俺は女の子を殺す。

 だから俺は女の子を食べる。

 そうすればもう二度と、俺以外の男に気移りすることもなくなるだろう?

「随分独善的な愛ね」

 話した時、銃殺はやっぱり俺を軽蔑したような声で切り捨てた。だけどそんな彼女のはっきりものを言う性格が好ましい。

「銃殺ちゃん」

「なに」

「好きだよ」

「好色男は嫌いよ」

 そっか。

 俺はそんなきみが好きだよ。

 でも、食べたいほどじゃない。

 じゃあ話の続きをしようか。

 そうやって言い寄ってくる女の子や、ときには自分でナンパした女の子を食べる日々を過ごして、二年くらい経ったある日の外国で、俺は謀殺に出会った。

「この辺りで出没していると噂の『ソニー・ビーン』をご存知ですか」

 ソニー・ビーンの話は知ってるかな。十四世紀に実在したと言われる食人鬼だ。

 夫婦で人を殺して食し、その子供たちも人肉を食べて成長し、ついには一族ぐるみで数百人もの犠牲者を出したとされている。

 謀殺と出会った当時、俺の起こした失踪事件を、新聞や雑誌の記者は面白おかしくそんな風に揶揄したのさ。

 間違ってはいないと思うよ。

 実際、食べてたし。

 それで、謀殺に英語で問いかけられたから、俺はフランス語で答えた。

「俺がその『ソニー・ビーン』だよ」

 って。

 わかるはずがないし、わかったとしても本気にするわけがないと思っていたから、本当のことをいった。そしたら謀殺のやつ、

「そうですか――では、私の同胞になりませんか」

 なんて真面目くさった口調で――フランス語で――返してきた。

 なにを言っているのか、最初はわからなかった。

 別にあいつのフランス語がわからなかったわけじゃなくて。

 俺が面食らわせるつもりで言ったのに、逆に俺が面食らわされちゃった。

 しかも、謀殺はふざけたことを大真面目に言っているのだから困りごとだ。

 本当に俺が『ソニー・ビーン』だったから良かったものの、違ったらどうしていたのか……きっと、なんということもなく、殺していただろうね。躊躇いもなく、迷いもなく。

 男なんて筋っぽくて食えたもんじゃないし、俺が狙っていたのはいつも女の子だったから、こいつも油断したんだろうと、俺自身が油断していた。自分は殺されないと。でも、男は筋っぽくて食えたもんじゃなかったとしても、殺すことはできる。だから「お話でも」と誘って、のこのこついてきた馬鹿を殺そうとした。

 できなかったけどね。

 刺そうとしてナイフは気付けば真っ二つに折られていて、俺も組み敷かれて生殺与奪の権は完全に逆転……いや、謀殺の中では最初から生殺与奪の権は自分にあったんだろう。

 なにもかもが敵わないと悟った。

 語学も、思考も、殺人の手法も――だから俺はあいつの下に殉ずることにした。

 同等の同胞ではあるけれど、まとめ役と端役じゃ釣り合いなんて取れないからね。

 それでもあいつは俺を必要としてくれている。同胞のひとりとして、モデルの御嶽シュヴァリエじゃなくて、俺を見てくれている。

 それがどれほど嬉しかったか。

「やっぱりね、ひとってイメージや妄想じゃなくて、リアルで等身大の自分を見てほしいものなんだよ」

「そんな当然のこと言われても」

「だって俺は、ずっとモデルとしてしか見られてなかったから……」

「なにを言ってるのよ。モデルの貴方も、殺人鬼の貴方も、全部貴方じゃない。どこに嘘があると言うの?」

「銃殺ちゃんはないの? ありのままの自分を見てほしいっていう、願望」

「………………」

「答えづらい質問だった?」

「答えたくない質問だったわ」

 そっか。

 嫌なことでも思い出してしまったのかな。

 そう、それで、俺ももうひとつ思い出した。

 秘木朝日のこと。

 成人する直前くらいかな、モデルの仕事が気流に乗ってきたあたりで、俺に専属のマネージャーが就くことになったんだ。

 それが秘木朝日。

 小柄、童顔、高い声。

 好きなことは食べること。それ以外は無頓着。

 デリカシーもなければ性欲もない。「なにもしないから」と言って女の子を自宅へ泊めて本当になにもしない。ただの本音で親切心。

 可愛い奴だよ。いや、そういう意味じゃなくって。

 その頃の俺は殺人鬼とモデルとの兼ね合いが取れなくて、終始イライラしていた。殺人の後始末は謀殺がやってくれたからなんとかなっていたものの、モデルとしては、いきなり増えたファンの中に困った子も出てきて、ストーカーや虚言癖の子の火消しに右往左往。謀殺にもモデル事務所の社長にも迷惑をかけっぱなしだったから、俺の存在を消して殺人鬼として生きようかとさえ思っていた。

 殺人鬼をやめてモデルとして生きようなんて、そんなことは一切思わなかった。

 丁度決心を謀殺に伝えようとした前日、俺は秘木朝日――ヒメくんと出会った。

「今日からお前のマネージャーになる秘木朝日だ。よろしくな、スバ」

「スバ?」

「お前の名前。シュヴァリエ。で、ファンには『シュヴァ』って呼ばれてんだろ。だからスバ」

 その何気ない会話が妙に気に障って、どんな手を使ってでも嫌われてやろうって気になった。

 嫌われて、それでどうしようかとか、考えてなかったけど。

 マネージャーってスケジュール管理もするでしょ。絶えずずっと一緒にいるから、俺は嫌味や嫌がらせを繰り返した。それでも彼は一切俺の言葉に耳を貸さないし怒った様子も気分を害した様子もない。この国の言葉では『暖簾に腕押し』って言うんだっけ。まさしくそれ。

 夜になっても俺を嫌った素振りを見せないヒメくんに、俺はどうにでもなれと思って、その唇にキスをした。

 開きかけた口を塞ぐ、濃厚なやつ。

 ……だからそういう意味じゃないって。そんな目で見ないで。

 それで叫んだ。天下の往来で、大声で。

「これ以上のことをされたくなければ、もう俺に関わるな」

「二度と俺に、その顔を見せ――」

 最後まで言えなかったけどね。

 だって俺の口は、ヒメくんに塞がれちゃったから。

 目を見張った。

 日本では、キスって特別な人にしかしない特別な行為だろ?

 いとも簡単に、彼はそれを俺にした。

 ヒメくんも大声で叫んだ。

「キスくらいなんだ」

「お前のやることなら、俺が全部受け入れてやる」

 その顔がまた必死でさ。

 今まで俺からどんな嫌味を言われても、どんな嫌がらせを受けても、どこ吹く風でいた奴が、そう言った瞬間だけ険しくなったんだ。

 次の瞬間には、気の抜けた真顔に戻ってたけど。

 俺はもう毒気を抜かれちゃって、明日からもモデル頑張って、それでたまにご褒美に女の子を食べようって吹っ切れた。

 俺がモデルと殺人鬼を今でも続けられてるのは、ヒメくんのお蔭。

 封雅社長にも恩はあるしね。

 あの時、自分のことを殺さなくて良かった。

 まだ俺は、刺殺だけじゃなくて、シュヴァリエとしても生きていけている。

 別に殺人鬼としてだけ生きてる奴を馬鹿にしてるわけじゃないよ。そいつらにはそいつらなりの生き様があるからね。

 でも俺は、シュヴァリエの名前を捨てたくなかったんだ。

 ……うん、そうかもね。

 俺は臆病者かもしれない。

 ずっとずっと、ひとりで生きていくのが怖い。

 本当は誰かを愛して、誰かに愛されたい。

 ひとりぼっちで死ぬのは嫌だ。

 そんなこと言う俺はわがままかな。

 ねえ銃殺、答えてよ。

 なんで黙ってるのさ。

 ねえ銃殺、銃殺――。

 ――――――。

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