FILE7 刺殺 2
「ごちそうさまでした」
「うん、おそまつさまでした」
「本当に俺は払わないで良かったんですか」
「いいよ。俺の方が年上だし、たまには俺にもいいカッコさせてよ」
「そこまで言うなら」
実際『法外な値段と確実な味でゲストの求める料理をなんでも提供するレストラン』の請求する金額は、高級車を買ってもおつりがじゃらじゃら来るレベルだが、毒殺はそんなことを知る由もないし、刺殺もわざわざ語るつもりもない。
毒殺は深追いしない性格だ。
彼が深く気にかける他人は同胞の惨殺くらいだろう。
そして刺殺もそこまで深追いをしない。
女性に甘く、誘われたらすぐに応じるような好色男だが、深く愛し合おうなどと思っていない。
一般の女性とは、ただの一夜の相手でしかない。
「それじゃ、おやすみなさい。夜道に気を付けて」
「毒殺は棘館に帰らなくていいの?」
殺人鬼たちが生活をする場所として謀殺から提供されている棘館、その近辺で刺殺を車から降ろした毒殺は、自らの部屋には帰らないと言った。
「ちょっと研究が乗ってきたので、やっちゃいたいんです」
と毒殺は多くを語らず、車の運転席でガスマスクを着用した。
「そんなときに呼び出しちゃって悪かったな」
「いいですよ、美味しいもの食べさせてもらいましたから」
車から降り、刺殺は毒殺を見送った。毒殺も控えめに手を振っていたことから上機嫌なことが窺える。高い食事代を払った甲斐もあったものである。
満ち足りた気持ちで腕時計の時間を確認すると、二十時を少し過ぎた時刻だった。
このまま棘館に帰って風呂に入り眠るのもいいが、それでは少々もの足りない。食事は最高のものを悪食レストランで戴いたが、やはり自分を満たせるものは三大欲求すべてでないと。
おもむろに視線を迷わせていると、背後から、声をかけられた。
「お兄さん」
優しく、色の薄い声。
「道をお訊ねしてもいいかね」
振り向けば、そこには女性が立っていた。刺殺のマネージャーのヒメくんよりも小さな身体。その全身を和装で厚く覆っている。真冬と呼ばれるこの季節にはうってつけの装いだが、服に着られている、という言葉が頭を過ぎるちぐはぐさがある。
こんな人が近くにいれば、先ほど毒殺の車から降りたときに気付きそうなものだが……。
「おや、お兄さん、なんだか不躾な熱い視線を投げかけてくれるが、おれに興味でもあるのかな」
「………………」
相手にすべきか否か、刺殺はしばし逡巡した。
美人の部類に迷うことなく分けられる整った容姿。しかし存在感というか、存在そのものが希薄に見える不思議な佇まい。
だからこそ、だろうか。刺殺の意識は警鐘を鳴らしている。
この女性は――危険だ。
理由はわからない。だが自身の直感こそ最も信頼のおける安全装置だ。
考え至ると刺殺はくるりと女性に背を向けた。
殺す必要はない。
それ以前に、相手にしてはいけない。
だが、女性はそんな刺殺の思考を無下にした。
「お兄さんからは腐臭がするね。それもただの腐臭じゃない。人の血肉が腐った臭いだ。鼻が曲がりそうになるよ」
そう言って、背後でくすくすと忍び笑う声が聞こえてきた。
「お兄さん、あなたは何人の人間を食い物にしてきたのだね?」
振り向いて言い返したい。
刺殺は思ったが、それでは相手の挑発に乗ってしまう形になる。たとえどんなに核心を突かれていても、今ここで彼女を相手にするわけにはいかない。
棘館は目と鼻の先。
彼女を無視して帰ればすべてが丸く納まるのだ。
「お兄さんとよく一緒にいる、なんと言ったか……ああそうだ、秘木朝日という女の子みたいな男の子、あの子に訊ねてみようかね」
忍び笑いに悪意が滲む。しかしその滲んだ悪意さえ――希薄だった。
「お兄さんが本当はどんな存在でどんな風に人間を扱ってきたのか、知っているか……とかね」
瞬間、女性の頭があった場所には刺殺の拳が飛んでいた。
女性は屈むことで拳から逃れたが、刺殺は逃れられなかった。
まんまと彼女の搦め手に捕らえられてしまっていた。
気付いたときにはもう遅く、刺殺が彼女を無視するという選択肢は失われてしまった。
「くすくす」
女性が笑う。
嘲笑う。
優しく刺殺の拳を押し除け、元の位置へと戻ると、魅力的に冷笑した。
「おかしいね、お兄さんからは基本的に自己中心的なものしか感じなかったのに、その子の話をした途端に思いやりを感じたよ。その子はお兄さんの特別な人なのかな。それとも、さっきのガスマスクのお兄さんや、三つ編みのお嬢さんや、給仕のお姉さんでも同じ反応をするのかな」
反して、刺殺はその相貌を険しく歪めていた。
今すぐにでも女性の首を絞めてしまいそうなほどに――無意識に、手持ちのナイフを確認してしまったほどに。
殺気を孕んだ視線で睨みつける。
「おっと、そんな顔をしないでおくれよ。綺麗な顔が台無しだよ」
しかし女性にはそんなものは通用しない。
暖簾に腕をかけても反応など得られるわけがないことと同様、彼女には表情による脅しも暴力による脅しもまったくの無意味であった。
無意味はときとして効果を変える。
この場合、刺殺の心に一瞬の冷静を与えた。
「……ここで立ち話もなんです、マドモアゼル、移動しましょう」
怒気はこもったままだったが、言葉を絞り出すことができ、刺殺の心にも幾分かの余裕が生まれた。
あくまでも紳士的に、彼女を誘う。
誘って、殺す。
二度とふざけた妄言など吐けぬように。
「断るね」
女性は素っ気なく断じた。
当然である。先ほど刺殺は彼女に向かって拳を振るったのだ。よけられたとはいえ、事実は覆らない。
フェミニストを掲げるつもりはないが、男性は女性に優しくするものだ。男女の性差とは思っているよりもずっと膨大で果てしない。筋力で刺殺が女性に負けることなど、アスリートを相手にしない限りは少ないだろう。もしくは彼がほぼ毎日顔を合わせているような、殺人鬼を始めとした裏社会の女性でもなければ。
こんなに小柄で華奢な女性では、暴力で刺殺に敵うはずがない。
ましてや直前に自身の頭を殴ろうとした男である。
ならば女性が刺殺の誘いを断ったことは、やはり当然なのだ。
「それよりも、だ。お兄さん」
「………………」
得意の甘い表情にも甘言にも惑わされない。
そんな女性は大勢いたし、今でも仲良くやっていけているひともいる。
しかしこの女性から感じる『不快』は、生理的に受け付けないものだ。
生まれ持ってきた、危険と警鐘を鳴らす生理的嫌悪に、刺殺は黙った。
黙って成り行きを見守った。
「これからお兄さんにとって、ちょいとばかり面倒なことが起こるだろう。抗ってもいいが、抗い方を間違わないようにね。理性に従うもよし、本能に従うもよし――だが、一方は確実に奈落へと繋がっている。そうすれば待っているのは身の破滅。気を付けることだね」
人差し指を立てて言葉を並べる女性はやはり嫌悪を誘発させるが、どこかで奇妙に嫌悪という感情と同じくして存在ごと希薄になっていくように感じられた。
夢を見て起きると、夢の記憶が曖昧になっていくのと同様に。
そういうとき、ひとはもう一度夢を見ようと挑むものだ。
刺殺もそうだった。
だから刺殺は、言い切って満足したのか刺殺を通過して去ろうとする女性の腕を取り、訊ねた。
そこにあるという確証を忘れないために。
「なんなんだあなたは。占い師か」
女性は刺殺の抵抗を緩やかに振り切り、首を振った。
優しく、哀れな仕種だった。
「占い師なんかじゃない。おれは、作家だよ」
くるりと踵を返した女性は一度も刺殺の方を振り返らず、夜の闇に溶けていった。
見送る刺殺は呆然としていて、半ば放心していた。
そして疎かになった意識に侵入してきたのは、
ばぢり
という、スタンガンの衝撃だった。
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