FILE6 抉殺 6
「鷹姫様」
「んー?」
尾鷲鷹姫と榛鵺の住む尾鷲の里には、寂れた神社がある。
いつからあるのか、どんな神を祀っているのかさえ不明の、狛犬の代わりに鳥の石像が配置された神社である。
基本的には尾鷲のしのびとなることを希望した子供が、免許皆伝に向けて修業するための場所だ。
もう修業する子供たちも教師となる大人も帰った黄昏時。
榛鵺は、尾鷲鷹姫を呼び出し、向かい合っていた。
以前の彼女なら思いつきさえしなかったであろう恐れ多い行動である。
鷹姫は壊れかけた賽銭箱に腰掛け、鵺はその向かいに立つ。
この神社に祀られているのは、本当は神ではなく、このしのびの里を治める鷹の一族なのではないかと錯覚してしまうほど、その姿は型にはまっていた。
鵺は問う。
「尾鷲忍軍のしのびは……本当に主を持たないのですか?」
「持たないよ。僕らはお金さえ払えばいくらでも使役されるしいくらでも裏切る、どこにも属さないしのびだ」
鷹姫の答えは素っ気ない。
取り付く島もない……わけではないが、気のない返事だった。
彼女の聡明さならば、鵺が考えていることくらいは読めそうなものなのに。
それともわかっていてこれなのか。
「鷹姫様」
鵺は、幼い頃から教わっていたように、鷹姫に跪く――ことをしなかった。
もう跪く相手は鷹姫ではない。
これから鵺が跪く相手は、世界でたったひとり。
「私を、尾鷲忍軍のしのびではなく、蓮璉慶様のしのびとなることを――お許しください」
蓮璉慶という、孤独な殺人鬼。
「………………」
鷹姫は壊れかけた賽銭箱から腰を浮かせた。
鵺は真っ直ぐ鷹姫を見つめる。垂れた双眸に、凛然とした空気を纏わせながら。
不意に、鷹姫の右手が動く。
気付けば足元にツルハシが投げられていた。片方のクチバシ部分が潰れている、先日の下弦研究局襲撃の際に鵺が使ったツルハシである。下弦研究局に置いてあったものを使っただけなので別に鵺の所有物ではないのだが、わざわざ鷹姫は持ってきて保管しておいたらしい。
「…………?」
「武器を持て」
鷹姫は着ている服を掴んでそのまま腕を振る。すると不思議なことにしのび装束へと早着替えが済んでいた。
尾鷲忍軍特有の、過度に肌を露出したしのび装束である。
「きみとは戦ったことなかったよね。いや、先日の慶くんとの仕事で初対面だ。それは意外と楽しかったよ。僕、鵺の話は前から聞いていたんだ、結構冷めた子だって。でも、そんなことはなかったね。存外きみは――熱情的だった」
鷹姫が腰に提げていた刀を抜く。
「それはきっと、尾鷲忍軍では芽生えることのなかったきみだ。ちょっと嫉妬しちゃうな」
だから、と鷹姫は述べる。
素晴らしいことを披露する子供のように、もったいぶった口調で。
「だからこれはただの八つ当たり。僕の中で答えは決まっているよ」
その刀の切っ先を向けられることは死刑宣告を意味していて。
そしてなにより、幸先を願っての福音だった。
「ちょっとだけ遊ぼう、鵺」
まったく――噂通り、困ったひとだ。
子供のようにわがままな癖に、大人みたいな采配を振る。
噂通り困ったひとで。
噂以上に頼れるひとだ。
彼女は神ではないが、立派な一国一城の主だった。
「尾鷲忍軍が頭領、尾鷲鷹姫。さあ、始めよう」
「尾鷲忍軍情報収集第二部隊所属、榛鵺。それでは失礼いたします」
◆◆◆
ティーポットから注がれるのは、イギリスから直輸入したイングリッシュブレックファスト。普段はあまり紅茶に砂糖を加えない彼だが、この紅茶だけは別である。
砂糖を加えてティースプーンで軽やかにかきまぜると、小さく沈殿した茶葉がティーカップの中で踊る。
夜に紅茶を飲むことはカフェインの関係上あまり好ましくないが、今の彼には一杯の紅茶という贅沢くらいを許さなければやっていけそうにない状況だった。
現在彼はふたりの兵器を、かの玉兎家直轄の施設から強奪したという大仕事の後処理に追われており、膨大な金銭と時間の投資を惜しまずこなさなければならない。
彼が蝶咲家の家系でなければ一瞬の圧力でぺしゃんこになりそうな局面を、もう何度必死の綱渡りで奇跡的に生還したかもわからない。
「…………やはり、鷹姫さんに頭を下げねばならないんですかね……」
ついつい挑発してしまって、下弦研究局襲撃のほかに手伝ってもらう予定だった人脈確保は、彼の友人である尾鷲鷹姫の拒否により叶わなくなってしまった。もう少し自分の不用意に他人を煽る癖をどうにかしたいものである。
もちろん彼女は素直に頭を下げれば、得意になって人脈の一端くらいメールアドレスのように教えてくれるだろう。しかし頭を下げるという行為は、格式高く矜持も高い彼には、テストで満点を取るよりも難しい課題だった。例え相手が十年来の友人だったとしてもだ。
「もう少し温和になれたら……せめて笑うようになれたら、意外と簡単かもしれません」
しかし笑うとはどうすればいいのだろう。
表情筋は思うように動いてくれないし、よく蛇に喩えられる自分が笑うところなど想像を絶する。吊り目がちな瞳は笑うとさらに鋭くなる。親戚の兄妹に笑ってと言われて撮影された写真は漏れなく引きつった笑顔になっていない無表情。
既に数人は謀略を尽くして殺人を行っているが、もう少し自分に愛嬌があればもっと簡単に運んだ計画もある。
「笑顔の練習ですか――」
「それなら、私と一緒に練習しましょう」
独り言を呟いたそのとき、蓮璉慶の部屋に彼女は訪れた。
必要最低限の、過度に肌を露出したしのび装束。傷だらけで血まみれで、艶やかだった黒髪も今や血液で面影もない。表情は自身に過剰労働を強いてきた慶よりも疲労に満ちていて、今にも倒れてしまいそうだ。
「榛さん――」
「失礼いたします」
彼女は、榛鵺は、放射状に散乱する資料や書籍の塚を抜け、真っ直ぐ慶へと進み、その足元へ跪いた。
そして彼の紅茶を持っていない方の手――左手を取り、鷹姫から教わった口上を口にした。
尾鷲忍軍のしのびが、たったひとりの誰かのものになったときにのみ許される、誓いの口上である。
「汝なくして我はなく、汝がために我はあり。汝がために千代の喜悦を。汝がために久遠の憤怒を。汝がために永世の悲哀を。汝がために永劫の愉快を。汝がために我が激情を。汝がために我が美貌を。汝がために我が学識を。汝がために我が刃を。たとえこの脚を砕かれようとも、たとえこの舌を切られようとも、たとえこの翼をもがれようとも、汝の命ある奇跡を我が悦びといたします。我が髪、我が瞳、我が耳、我が鼻、我が口、我が声、我が咽喉、我が胸、我が腕、我が指、我が腹、我が脚、我が足、我が爪、我が翼、すべてが汝の望むままに。孤高なる鷲の輩(ともがら)は、これより汝に忠義を尽くすしのびとなることを宣誓いたします」
◆◆◆
それから。
それから彼女は、名をもらった。
『抉殺』
もしも彼女が自らのもとへ殉ずるときが来たら――と、彼がすでに考えていた名前だった。もちろん由来は下弦研究局襲撃の際に使ったツルハシである。
本名をそのまま使ってもよかったのだが「この名は尾鷲忍軍のしのびである証である」という彼女自身の強い希望により却下された。同時に彼も殺人鬼として活動する際は本名を使うことをやめ、彼自身も『謀殺』と名乗ることにした。
そして、下弦研究局第四研究室の人間兵器のふたりにも、それぞれ『絞殺』『扼殺』と名付けられた。彼らは彼らで、ふたり仲良く初めて触れる別世界を楽しんでいる様子だ。
謀殺の屋敷で掃除に掃除に掃除にと忙しなくも充実したひとときを過ごしていた頃、抉殺に鷹姫から連絡が入った。
内容は簡潔に、「久しぶりに会って話さないか」といったものだった。
謀殺の束ねる殺人鬼集団に加入してから、尾鷲忍軍のしのびでもないので実家には帰らず、謀殺の住み込みのしもべとして生活していたので、長らく元上司にも会っていなかった。
積もる話もあるつもりで待ち合わせ場所に赴くと、鷹姫は挨拶もそこそこにとある馴染みの店へと案内した。
時折尾鷲忍軍でも世話になる仕立屋、『お針子ぺいる』の店だ。
カランコロンと軽快なベルの音。
そこで抉殺は、しもべという立ち位置をわかりやすくするために、メイド服を注文した。
◆◆◆
抉殺のすべては謀殺から始まった。
これからも彼女は彼に忠義を尽くし、死すらも彼に捧げて生きる。
しのびでありながら殺人鬼クラブで生きる彼女は、もう、鳥籠のカナリアではない。
FILE6 抉殺 完
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます