FILE6 抉殺 5
「あまり直前になってからこんなことを言いたくないのだけれど――」
と、尾鷲鷹姫は直前になってから言った。
「僕って実は玉兎連邦とも同盟結んであるんだよねぇ」
「それまずいのでは」
受けて、慶は端的にそう返した。
「まずいよ。でも――」
好戦的に微笑んで、鷹姫は続ける。
「僕、玉兎連邦より慶くんの方が好きだし」
「お褒めにあずかり光栄の至りですが……しかし好悪の情で動かれるのは困りますね。このままですと尾鷲忍軍と玉兎連邦の関係は破綻するのでは?」
「破綻なんてしないよ」
鷹姫の表情は不敵な笑みだ。恐れるものを持たない人間は、きっとこういう表情をするのだろう。
「とある戦争で国と国がいがみ合っていた。顔を合わせれば一触即発、殺し合いに発展するような戦乱状況。しかし一方で彼らは戦時中だというのに貿易を続けていた。さて、この時代的背景を知った後で僕が導き出した答えは?」
慶はなるほどと頷いて答える。
「喧嘩を売るのは玉兎連邦全体ではなくあくまで下弦研究局のみである」
「大正解」
言って、鷹姫は笑う。例によって不敵な笑顔で。
「玉兎連邦とは確かに同盟を結んでいるが、場合によっては敵対することもある。そういう間柄で職業柄だからね。必要なら戦力の補い合いもするし――殺し合いだって演じて見せる。連邦と呼ばれる通り、彼らは家というより組織の集合体だ。だから一部とは仲良くするが、すべての家と仲良くはなれない……そもそも尾鷲忍軍は主を持たないしのび集団だ。同盟を結んでいても、玉兎連邦は主じゃない」
目を細めて、鷹姫はさらに笑った。今度はことさら邪悪に。悪行の抜け道を見つけた人間の笑顔だ。
そんな鷹姫を見て、慶はあまりのおぞましさに顔を引きつらせた。不快げに。
「気まぐれなのは許容できませんね」
「おっと手厳しい」
「しかし――信用はしています」
「おや嬉しい」
ふたりの軽口に近いやりとりを聞きながら、鵺は静かに控えていた。
羨ましくないと言えば嘘になる。
妬ましくないと言えば嘘になる。
ここまで人間同士が打ち解けられることを、鵺は知らなかった。
しかもそのひとりがあの鷹姫だ。
神の子のように扱われた鷹の姫君、尾鷲鷹姫だ。
こんな現実が、尾鷲の里の外には広がっているのか。
尾鷲忍軍という家族に縛られた鵺は、静かに己の固定観念が崩れていくのを感じていた。
尾鷲忍軍の施した洗脳が壊れていくのを感じていた。
――私にも。
鵺は思う。
――私にも、そんな現実が叶うだろうか。
ただの夢だ。
しかも今初めて生まれた、幼稚な夢だ。
恋愛を知らない、恋に恋する少女の初恋のようなものだ。
その気持ちを知ったところですぐに意中の人が現れるわけではない。
しかし心は晴れやかで、希望の光さえ視認できそうだった。
鵺の思考を遮るように、下弦研究局の数ある施設のひとつ。
第四研究室の受け持つ『人間兵器・白夜』のためだけに建てられたその建物が、どおんどおんと破壊される音が響いた。
「さあ行こう――」
真夜中の襲撃。
あまりにも容易く、人間兵器は強奪された。
◆◆◆
「ねえグレーテル」
「なに、ヘンゼル」
「知ってる? ぼくたちは明日、この『なんでもあるなにもない部屋』から出られるんだよ」
「知ってるわよ――でもそれは、解放ではないでしょうね」
「もう、夢のないことを言わないで」
「だってヘンゼル、魔女に捕まったわたしたちを助けてくれるひとなんて」
「うん、どこにもいないよ」
「ほら――」
「だけどグレーテル、ぼくはきみの騎士なんだよ。どんなことになっても、ぼくがグレーテルを守ってあげる」
「心強いわ、ヘンゼル。わたし、あなたがいればどんな地獄に行ったって構わない」
「そうだよグレーテル。ぼくもきみさえ一緒なら、どんな別世界にだって生きていける」
ふたりが眠る前にする幼い会話に割り込んだのは、最初に響く大きな爆発音とそれから――ふたりだけの世界を破壊する衝撃だった。
「え、え、ええ……?」
「ええ、え、え、え……?」
思わず互いを抱きしめ合い庇い合う。
どおん。
どおんどおんどおん。
揺れる視界。
いや、揺れているのは視界ではない。それは世界。
ふたりだけの世界が破壊されている。
ふたりの『なんでもあるなにもない部屋』が崩れていく。
「ヘンゼル……!」
「大丈夫、グレーテル、ぼくがいる」
ヘンゼルは必死にグレーテルを守る。
宣言通り、片割れを守るために。
崩れる瓦礫から恐ろしい魔女から不確かな破壊から。
勇敢なナイトは守らなくてはならない。
どこからか足音が聞こえる。瓦礫の崩れる音からヘンゼルはその音を聞き分けた。
誰だ。魔女か?
いや、違う。
魔女はこんなにも静かな足音ではない。いつも必要以上に自分を大きく見せるために、わざとらしい大きな音を立てている。こんな状況で足音を殺す必要性もない。
ならば誰が。
ひしゃげたふたりの世界を画するその扉。瓦礫の音よりも激しい轟音で。
ふたりだけの世界は終わりを告げた。
◆◆◆
そこにいたのは十七、八と推定される年頃の少年と少女だった。
可愛らしいひよこ柄の壁は瓦礫と化し、子供の夢をいっぱいに詰め込んだかと思われる空間は崩壊していた。
鵺は両手に握りしめるツルハシをくるりと旋回させて、クチバシ部分を地面に置く。
抉られひしゃげた扉の残骸は、そのままに。
真っ直ぐふたりの人間兵器を見据える。
「初めまして――」
扉を破壊した鵺の横を通り、ふたりに近寄った慶は滑らかな口調で言った。
「僕がこの研究施設を破壊した者です」
警戒心を最大に高めたふたりの片割れが、もうひとりを庇うように抱きしめ慶を睨みつける。
その姿はあまりにも強く――そして幼かった。
百戦錬磨とはいかなくとも、それなりにしのびとして場数を踏んできた鵺には、彼が強いとは思えなかった。
虫さえ殺せそうにない。
虫を殺すという発想すら生まれない。
これが下弦研究局第四研究室の生み出した人間兵器――戦うためだけに育てられた存在。
慶が近付いても臨戦態勢すら取らず、片割れを守ることしかできない。
――なんと哀れな。
これならば尾鷲忍軍にしのびとして生まれた自分の方がよほど戦える。
この人間兵器は、ひとを殺すどころか、戦場に立つことさえ叶わないだろう。
壊れるだけだ。
極限まで強くなった身体は傷付かないかもしれない。
心理実験で合格をもらっていたとしても。
戦う意志が持てない者は。
壊れる道しか残されていない。
「……駄目ですね」
慶はふたりの様子をたっぷり時間をかけて観察したあと、溜息混じりに呟いた。
「これでは――駄目です」
慶も悟ったのだ。
このふたりに戦術的価値がないということを。
「………………」
鷹姫はなにも言わない。
「帰りましょう」
踵を返して、慶は鵺と鷹姫に言った。
「こんなものは脅威ではありません。ただの哀れな粗悪品です」
慶は吐き捨てた。
このまま放っておいたら、ふたりは有り余る力の使い道さえ見出せず死ぬだろう。
強くなければ生きていけない世界に、無理矢理生きることを強要されたふたりの人間兵器。
感情も感動も感激も感傷も希望も切望も渇望も願望も――持つことすべてを奪われた。
――なんて哀れで。
似ている。
誰に?
――私に。
そして、蓮璉慶に。
ならば――駄目だ。
このままでは駄目だ。
おこがましいことはわかっている。
差し出がましいこともわかっている。
傍観に徹している鷹姫の姿は見えない。
鵺の知る鷹姫ならばすぐに出しゃばって、尾鷲忍軍に迎えるなどと提案するかもしれない。しかし彼女は黙っている。
――自分で決めろと言うのか。
この私に。
すべて尾鷲忍軍の意のままに――望むままにしのびとして生きてきた私に。
決断しろと言うのか。
救えと言うのか。
ただ鵺が勝手に曲解しているだけかもしれない。
本当はまったく別の意味かもしれない。
「………………」
けれど鵺は。
一歩を踏み出した。
少年が少女を庇って鵺に向かう。
ようやく彼も戦うことの選択肢を持った。
その弱々しさはやっぱり似ていた。
誰に?
私と、蓮璉慶に。
「榛さん?」
「蓮璉様――」
貴方も、私も。
なんでこんなにも哀れなのでしょうね。
強いということは、こんなにもつらいことだったのですね。
私は初めて、他人に心を揺さぶられました。
強くあろうとする貴方の助けになりたいと思いました。
でも、このままではいけません。
まずはこの、私たちのよく似た哀れな少年と少女を救わなければ、私たちも救われません。
同胞を救いましょう、蓮璉様。
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