FILE6 抉殺 4

 まさかあの玉兎連邦が所有する研究機関の第四研究室が、たったふたつしか成功例を出していないなどそんなことはありえない。その成功例は第四研究室が行う数ある実験のうちのひとつでしかなく、そしてその研究はふたつの成功の下におよそ1028の失敗があってこそだっただけだ。

この世に多数蔓延る人体実験。

 そのひとつ――『人間兵器・白夜』。

 あらゆる分野で普通の人間より強い人間――あらゆる分野。

 それは文系とか理系とか体育会系とかではなく、そんなものでは一切なく、ただ戦闘におけるあらゆる分野――である。

 筋力、体力、腕力、脚力、果ては握力から視力、聴力まで――戦闘に必要な力、頭脳を除いたそのすべて――を網羅して人間ではない人間兵器を、造り上げた。

 その成功作が、慶の用意した資料に書かれている『被験体1029』と『被験体1030』である。

 ふたり――実際に人間扱いされているかどうかはさておき――が輸出されるその瞬間を見越した蓮璉慶の計画は、間違ってはいなかった。

 千人以上という犠牲の上に立ったふたりのモルモットを、下弦研究局の第四研究室は必要以上に丁重に扱った。言うなれば、それひとつで戦争を終焉に導くことのできる核兵器を、誤爆のないよう扱うのと同義である。誤爆すれば、害を被るのは自分たちだ。ママと呼ばれる室長の度重なる調教、洗脳のお蔭で、モルモットたちに反逆などという馬鹿げた思考は生まれないが――万が一、ということがある。

 そしてその万が一が、起こってしまった。


 ◆◆◆


「榛さん」

 と、慶は鷹姫のあとを追って退室しようとしている鵺の背へ声をかけた。

「はい」

 鵺は平然と振り返る。

「少しお話をしませんか」

「随分素敵な口説き文句ですね」

 微笑して、鵺は姿勢を正した。

「鵺」彼女が自分のあとを追ってこないことに気付いた鷹姫が、扉から首だけ出して声をかけるが、慶が「少々榛さんをお借りします」と断ったのを受けて、少しばかり怪訝な表情で改めて退室した。

「それで、どのような御用でしょうか――すでに明日の計画は疑いの余地もなく可決されたはずですが」

「貴女は僕と似ている」

 刃物で心臓を狙うように、慶は単刀直入にそう言った。

 鷹姫の好戦的な表情に近いが、この表情はどちらかと言えば好戦的というより加虐的な表情だった。しかも楽しいから、好きだから加虐するのではなく、必要だから加虐するという、功利的なものだ。

「………………」

 鵺は即答しなかった。

 答えに詰まったのだ。

 鵺は即答できなかった。

「貴女は鎖でがんじがらめに縛られている。そしてそれを当然と思っているため自由が利かない。抜け出そうという気も起きないほど甘く優しく洗脳されている。まるで鳥籠のカナリアだ――違いますか?」

「私は鵺です」

「そんな話をしているんじゃないんですよ」

 蛇に睨まれた鳥は、どのように逃れたらよいだろう?


「貴女は、どうやらひどく感情が欠落しているようだ」


「………………」

「……いえ、違いますね。感情が欠落しているのではなく――感情の波がない、と言った方がより正確でしょうか」

「……なにを、根拠に」

「だから先ほども言ったでしょう。『貴女と僕は似ている』と」

 慶の双眸は冷徹な色を帯びていた。

「家に縛られ、家の定めたルールに縛られ、そのことに疑うことなく日々を消費する……あまりにも、僕と似ている」

 慶は痛ましげに顔を歪めた。

 まるで鵺の境遇に同情しているかのように。

 いや、同情などという生易しい生半な感情ではない。

「……蓮璉様、あなたは勘違いをしている。私は家に縛られてなど――」

「家とは、貴女の場合は生家ではなく尾鷲忍軍のことを指しているつもりですが」

「…………っ!」

 違う、と反射で言おうとした。しかしできなかった。

 家に縛られていると言われて、誰が明確に反論できよう?

 ひとは誰しも家に縛られているようなものだ。

「僕はね」

 慶は静かに呟く。正面で言葉を待つ鵺にしか聞こえない音量で、少々寂しさを滲ませて。

「家に縛られていたんですよ――いえ、今だって縛られている。できることならいますぐにでも抜け出したい、家族の呪縛。いっそひとりで企業を興して、絶縁でもしてしまえば楽になれるのに……それでも僕は家から離れられない。離れることを禁じられているんです」

「貴方なら」鵺も声を潜めて答えた。「貴方のその頭脳があれば、家から抜け出すことくらい――……」

「できません」

 慶は無表情で首を振った。

「知りませんか、私の生家。蓮璉家は、この世の王とまで謳われる蝶咲家の分家です。彼らが望めば、指先ひとつで首は飛び、微笑みひとつで家が滅ぶ。幻想と言えばそれまでですが、しかし僕ひとりなら、簡単に抹消できる程度の力を持っているんですよ」

 直系にあたる女性をひとり殺したって罪に問われないくらいの力は。

 独白のように零れた最後の言葉を鵺は聞き逃さなかったが、あえて追及するものではないと判断し聞こえなかった振りをした。

「あまりにも優秀な僕を、強欲な僕の父親が手放すはずがありません。あの手この手を使って、妨害されます」

「妨害されたのですか?」

「されましたよ」

 冷たい、唾棄する声だった。

 瞳に映る色は相変わらず温度がない。

「絶縁を計画しようとするたびに筆舌に尽くしがたい妨害をされました。友人だと思っていた人間が父の差し金だと知った僕の気持ちがわかりますか? 通っている大学の、僕を取り巻く人間のほとんどに父の息がかかっているとわかってしまった絶望が想像できますか?」

 優秀だからこそ理解できてしまう地獄。

 彼はその只中にいる。

 いっそ愚かであったならば、地獄を感じることなく生きていけたのに――慶の受けた苦しみを、鵺は知らない。わかってやることも想像することもできない。そもそも彼はそんな安い同情など望んでさえいないだろう。

「僕の話はいいでしょう。貴女の話です、榛さん」

 見据えられ、全身を巡る血液が急激に速まる。

 今まで誰にも告げなかった秘めごとを公衆に暴露されているかのようだ。

 震える唇から声が漏れることはなく、首を絞められる感覚に近い窮屈を覚えた。

 ――やめてくれ。

「感情の波がないのはしのびとしては一流です。そこは認めましょう。しかし度が過ぎればそれは脅威となるのではないでしょうか。貴女さえ望めば、いつでも尾鷲忍軍を裏切れる」

 だから尾鷲忍軍は鵺を徹底的に洗脳した。甘く優しく、逃げ出すという考えが起きないように。

 優秀だからこそ、尾鷲忍軍の思惑を理解できなかった。

 そんな生き地獄に、私は――。

「だから榛さん」

 すべてを暴かれた私は、どうすればいい――――。

「僕だけの味方に、なってくれませんか」

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