FILE6 抉殺 2
かつて最強を謳った、自らを鳥と称するしのびの里があった。
名を、尾鷲。
尾鷲忍軍といえば、裏社会でその名を知らぬ者はいないとさえ言われていた。
しかしそれは――過去の話。
かつての最強を謳った声は枯れ、誇った栄華は失われ、いつしか――存在さえ認められなくなっていた。
尾鷲忍軍が持つ記憶を操る忍法『鶏三歩』を使うまでもなく、尾鷲忍軍を知る者は減少していった。そして『鶏三歩』を使えるしのびも、もう数えるほどしかいない。
今までの世界中の覇者がそうであったように、盛者必衰という言葉が示すように、当然の帰結と言ってしまえばそれまでだが、すでに尾鷲忍軍の時代は終わったのだ。
それでも尾鷲のしのびとしての誇りは捨てておらず、最後までしのびとして生き、しのびとして死のうと考えている者が、尾鷲忍軍の大多数を占めていた。
それは高潔と称賛するより、生き汚いと侮蔑するべき姿勢だった。
少なくとも、抉殺――榛鵺はそう思っている。
過去に高潔で最強であったとしても、現在もそうであるとは限らない。
鵺がこの世に生を受けて数年ののち、尾鷲忍軍に『姫さま』が生まれた。彼女は将来の尾鷲忍軍を担い導く存在である、と、鵺は大人たちに教えられた。その出生に簡単ではない理由があり、そこから大人たちは、姫さまが普通の存在ではないと信じ込み、そこから里をあげての溺愛が構築されたことを、聡い子供だった鵺は朧げながらも察していた。
大人たちは姫さまに綺麗な着物を与え、美味しい食事を与え、際限のない愛を与えた。
しかし大人たちが姫さまを愛すれば愛するほど、彼女は孤立を深めていった。
当然である。ただ一筆字が書けただけで褒められ、ひとつだけ忍法を覚えただけで称えられ――そうでない子供たちが、反感と嫉妬を覚えないことは、不可能だろう。
しかしその状況も、大人たちからすれば『孤高の存在』として良い風に写る。悪循環だった。
頭領がいるのに、尾鷲忍軍は均衡を保っていなかった。
尾鷲の里の最高責任者である頭領様――姫さまの祖母である鷹弥様は、尾鷲忍軍が終わることさえ受け入れようとしていた。
鷹弥のその姿勢は好感が持てたが、そう感じたのは鵺含めごく少数であり、大多数が尾鷲忍軍が再び最強となることを望んでいた。その結果が『姫さま』である。
ただひとりの少女に偏り、その他が疎かになってしまっては、均衡など保っていられない。
鵺と同年代の子供たちはしきりに姫さまを目の敵にしていたと記憶している。陰口が一番多く、隠れて悪口を言い、出鱈目な誹謗中傷を流し、そして時折、怖いもの知らずにも姫さまに直接ちょっかいをかける者まで現れた。
低俗で、愚かだ。
彼女に害をなせば、手痛いしっぺ返しが来ることは明白であるはずなのに。
あの子供たちは知らないのか。
貴族階級に手を出した愚か者の末路を。
結局、子供たちに制裁が下されたかどうかは不明である。そうやって陰口や嫌がらせに時間を割いた者は、ほとんどが死んでしまったからだ。
他者を貶め自らを高めない者は、死んでしまった。
そして姫さまは生き残り、十三歳になった春に、頭領様となって尾鷲忍軍の頂点に君臨した。
鷹の姫君――尾鷲鷹姫。
里の大人たちに溺愛されていたが、同時に容赦なくしのびとしての術を叩きこまれていた彼女は、まさしく大人たちの望み通りの傑物として育っていた。あるいは――化け物として。
彼女の活動は躍進的に、効果的に、尾鷲忍軍の名を高めていった。
様々な組織と盟約を結び、自ら仕事を取り、その活躍の成果に――最盛期までとは行かずとも――尾鷲忍軍は再びその名を轟かせる結果となった。
彼女に声をかけられたのは、鷹姫が十五歳、鵺が十九歳の夏。鷹姫が頭領に就任して二年が経ってからのことだった。鵺はそのとき初めて鷹姫と言葉を交わし、そして彼と出会った。
「僕の友達で面白い子がいるんだ。一緒に手助けをしてくれないかい?」
気さくな女の子だった。
噂で聞くほど傲慢でも、陰口で聞いたほど高飛車でもない、普通の女の子。だが、その背後にある圧……あるいは殺気と呼ばれるもののおぞましさに、鵺は思わず死を連想した。
「………………」
圧倒されてなにも言えないでいた鵺に、鷹姫は少し考える所作を見せてから「ああ」と頷いて「初めまして、鵺。僕は尾鷲忍軍が頭領、尾鷲鷹姫です」と名乗った。どうやら自分の出自を訝しんで黙っていると思われたらしい。まったくの見当外れだ。
慌てて鵺も、「お初にお目にかかります、頭領様。私は榛鵺と申します」と、屋外であるにも関わらず跪いて頭を下げ、名乗った。これは幼い頃から教わってきた、頭領様に対する礼儀である。ついに実践するときが来たのだ。
「やめてよ」
鷹姫は、君主に対するべき行動を取った鵺に、何故か眉をひそめた。
「僕のことは鷹姫と呼んで」
「しかし……」
鷹姫は哀しそうな顔をしていた。
「………………」
鵺はしばらくその顔に魅入ってしまった。尾鷲忍軍の姫さまで、頭領で、なにもかもを思いのままにできるお方は、果たしてこんな顔をするのだろうか?
「……鷹姫様」
立ち上がり、今度は腰を折って、お辞儀をした。
「……うん」
まだどこかで哀憐の色を見せながら、小さな満足を得た声で彼女は頷く。
鵺が思ってよりずっと差異があり、伝え聞いた傲慢なお姫様のような人物像とはかけ離れた人柄だった。
腰に届かんばかりの長髪は毛先だけが白く、名の通り鷹のようだ。猛禽類を思わせる金色の鋭い瞳。遠目で見たことはあるが、ここまで近く見たのは初めてで、抜きん出た美貌は十五歳の年齢に見合わない。まるで――
――まるで、人間ではないみたいな……。
「それでね、鵺、僕の友達の手伝いを頼みたいんだ」
「鷹姫様の友達……ですか?」
鵺は怪訝に首を傾げた。
尾鷲の姫君である鷹姫に『友達』などという同等の存在がいるなど信じられない。友達のいない孤高の存在こそが、彼女、尾鷲鷹姫であるはずだ。
それは大人たちの施した洗脳。
鷹姫こそが絶対であるという刷り込み。
哀れにも、俯瞰的に物事が見えていた鵺さえも、例外ではなかった。
雛が生まれて最初に見た動くものを親だと認識するように、生まれたときから祭り上げられていた少女を神のごとく認識することに、鵺は違和感を覚えなかった。
だからこそ、このとき彼女は鷹姫に友達がいることに違和感を覚えたのだ。
同等のない孤高の存在。
その認識に亀裂が入った。
固定観念が崩れた。
「そう、友達。殺人鬼でね、どうやら同胞探しを本格的に始めようとするらしくて……その手助け」
「殺人鬼……ですか」
鷹姫の言葉を復唱し、鵺は空虚に返事をした。
「その同胞に、私を?」
人身売買は世の常だ。特にこの裏社会と呼ばれる闇の世界は。
引き抜き、あるいはリクルートと言えば聞こえはいいだろう。しかしその実はただの人身売買だ。家畜のように、必要になれば尾鷲の外へ回され、そこで酷使される。使い道は護衛だったり奴隷だったり様々だ。
尾鷲忍軍にはその傾向が少ない――いや、はっきりとない、と言った方が正答になる――そう思っていたが……どうやら鷹姫は人身売買という多額の金になり厄介払いにもなる甘い蜜には抗えなかったらしい。
鵺は自身の力を驕ることはなかったが、それでも自分の力量くらいは正しく測れていたつもりだった。厄介払いされるような程度の低さではなかったと、声には出さずとも思っていたが……。
「なに言ってんの?」
鵺の言葉に、鷹姫は首を傾げた。
「彼の同胞にきみがなるつもりだったのかい? きみはしのびであって殺人鬼じゃないだろう。伝わりにくいボケをするのはやめてよ」
「……ボケたつもりはありませんが……」
どうやら鵺を彼の同胞探しの生贄にしようという魂胆はなかったらしい。少々空想好きの悪癖が出たのだろうか。先走った思考を打ち止め、鵺は改めて鷹姫に訊ねた。
「それではなにをすれば良いのでしょう?」
鷹姫はにんまりと笑った。
「引き受けてくれるんだね」
「頭領様のご命令ですから」
鵺の言葉を聞いて、一瞬、鷹姫の表情が曇る。なにか失言をしただろうか。鵺には残念ながら心当たりがなかった。
曇った表情からすぐに一転して、なにかを企む子供のような笑顔で鷹姫は言う。
「情報を」
瞳は日本人離れした金色。なにを考えているのかわからない。
そういえば何故『僕』と、男のような一人称を使うのだろう。
わからない、何故、不明。
その感覚が鵺に言いようのない不安定を覚えさせた。
鵺は鷹姫のことが怖くなったのだ。おぼろげな不安定ではなく、正体不明の怪物を相手にした際の恐怖である。
しかしそんな鵺の心情など意にも介さず、鷹姫は話を続けた。
「世界にはたくさん殺人鬼がいるだろう。その情報を彼は求めている。もしかしたら同胞となれるかもしれない。もしかしたら敵となるかもしれない。彼の情報網はまだ薄弱でね、今回はその手助けだよ」
「だから情報収集部隊のしのびを」
「それもあるけれどね」
鷹姫はまるで邪気なく、明朗に笑った。
「僕はきみと、一度でいいから一緒に仕事をしたかったんだよ、鵺」
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