FILE6 抉殺 1
抉殺と名乗る殺人鬼クラブに所属するその女は、殺人鬼ではない。
では何故殺人鬼を名乗り、殺人鬼クラブに所属しているのか。
それはもちろん彼女が忠誠を誓っている者が、殺人鬼であるからにほかならない。
忠義を尽くす主君が殺人鬼であったから、彼女も殺人鬼を名乗っているだけである。
主君が殺人鬼をやめろと命じれば喜んで殺人鬼などやめるし、主君が今すぐ喉を掻き切れと命じれば抗うことなく喉を掻き切る。
あくまでも例え話ではあるが、それ相応の忠誠を彼女は心に宿している。
例え話ついでに明かしておくと、彼女には生まれた時から所属している組織がある。
その組織が属している個人に与える影響力は大きく、組織のために死ぬのは当然であるという暗黙の了解に組織の誰もが疑うことなく従っていた。
別に疑問を持ったところで殺されるわけではない。
思うほど窮屈な組織ではない。
しかし――いつか滅びる危険性を孕んでいた組織だった。
当時の抉殺は
(ああ、こんな組織に、私は命を捧げなければならないのか)
と嘆く思考さえ奪われていた。
思考は自由だったが、選択肢はなかった。
強さがものを言う。
思考する選択肢を奪われた世界で。
抉殺はそういう世界で生を受け、ずっと生きてきた。
殺人鬼クラブの中では、最も豊富な戦闘経験がある。
毒殺よりも、虐殺よりも、ともすれば彼女が主君として従ずる謀殺よりも、一枚も二枚も上手だろう。
彼女は戦う者で、殺す者だ。
当然である。
彼女の本名は榛(はしばみ)鵺(ぬえ)。
鳥の名を冠する彼女は、裏社会で存在を知らぬ者はいないほどの知名度を持つ組織――かつて、最強を謳ったしのびの里――尾鷲(おわせ)忍軍のしのびであった。
◆◆◆
カランコロンと、扉に備え付けられたベルが軽快な音を立てる。
店主はミシンを止め、顔をあげて優美に微笑んだ。
「いらっしゃいませ、鵺さん」
短く切り揃えられた髪は淡く染められており、若干緑がかかっている。黒縁の眼鏡をかけた顔は若く、まだ十代であると主張されても違和感はない。出会った当時から逆算すれば、現在、『少女』や『十代』である可能性は極めて低いのだが。
「『鵺』はやめてください」抉殺は苦笑した。「その名を捨てていないとはいえ、私はもう殺人鬼なのですから」
「あら、ごめんなさい」口元に手を添え、店主も笑った。「でも、鵺さんは鵺さんですから」
やれやれと嘆息する。話が通じないわけではないが、どんなに訂正してもまったく改める素振りを見せない。
『殺人鬼』の単語に恐れを見せない姿勢は買うが、こうも手応えがないとは。
まあ――裏稼業を生業とする連中を相手にする商売人ならば、そのくらいの曲者でないと務まらないのかもしれない。
殺人鬼になる前の自分を知っている、尾鷲の者以外では稀有な存在だが――尾鷲の者も含めて多くが落命している――傍目に見れば強者には見えないだろう。
強さがものを言う世界。
「で、鵺さん、ご注文の品ですか?」
「ええ、そうです。昨日仕上がったとの連絡をいただきましたので」
「今回は……いえ、今回も、自信作ですよ。取ってきますから、少々お待ちください」
断りを入れて、淡い色に染められた髪をなびかせながら背後の扉に姿を消した。
ひとり残された抉殺は、ぐるりと店内を見まわす。
年季の入った足踏みミシン、作り途中の洋服、複数のトルソー、それらに着せられた衣服類、立てかけられた沢山の反物――衣服店ならば当然の景色である。
『お針子ぺいる』
それがこの店の名前で、そして店主の通称だ。
裏稼業を生業とする連中は、揃いも揃って自己主張が激しい。和服を着る者、洋服を着る者、中華服を着る者……例を挙げるのも億劫になるほど、種類豊富で個性的な衣装を好む者が多い。
殺人鬼クラブに焦点を当てるならば、常にガスマスクを身に着ける毒殺や、ロリータファッションを好む銃殺などが該当するだろう。
その衣装を誰が仕立てるかと言えば、本人が自ら腕を振るって誂えることもあるが――ほとんどの場合、こうして専門の店に依頼をする。
尾鷲の里にも呉服店があるが、昨今では人手不足が否めない。しのび装束を誂える職人も目減りし、外の仕立屋に頼らなければ回転できなくなってしまった。
数ある仕立屋、その中でも『お針子ぺいる』は腕も確かで仕事が早い。加えて、その辺にありふれているような十把一絡げの店と比べて、安全性が高いのである。
安全性が高い理由は仕立ての技術もあるがそれ以上に――再び、カランコロンと、扉に備え付けられたベルが軽快な音を立てる。
見ると、どやどやと粗野な風貌の男たちが足を踏み入れた。人数は六人。過去にちらりと目にしたことのある、世紀末を舞台にした漫画作品に出てきそうな恰好であった。まだこんな衣服を好む人間がいたとは驚きだ。
先頭の男が抉殺の肩を強く押し除ける。
大した抵抗もなく、抉殺の身体は男たちの進行方向から外れた。
「おい、仕立屋ァ!」
耳障りなだみ声で、男はぺいるの入っていった扉に向かってがなった。数秒待って、軽い足取りの音が聞こえてから、控えめにぺいるが顔を出す。
「はい……?」
待ちわびていた店主の登場に、男のひとりが乱暴に彼女の肩を掴んで引っ張り出した。ぺいるは小さく「きゃ」と悲鳴をあげる。
「ここの仕立屋がさぁ、随分評判がいいって聞いてな、俺たちの服を作らせてやろうと思ったんだよ。ありがたいことだろ? お礼は顧客名簿でいいからよ」
わらわらとぺいるに群がる下卑た男たち。どうやらよくいる無法者らしい。
その様子を見て、抉殺は「ああ、終わったな」と冷静に状況を読んだ。
裏稼業で商売をすると、暴力に任せて代金を踏み倒したり、客の情報を聞き出そうとしたりする存在に目を付けられやすい。それに耐え、場合によっては暴力で応じる力が必要である。その力がなく、店を畳まざるを得なかった者たちを、抉殺は何度も見てきた。
哀れに思ったが、同情はしない。
単に彼らが弱かったから、そんな結果を招いたのだ。
この世界で弱さに力はない。
道徳など意味を持たず、良心など無駄でしかなく、強大な力こそが絶対の正義。
どうしてこんな不均衡な世界が崩壊することなく存在できているのかと言えば――誰もが跪くことしかできない大きな組織が支配しているからだろう。
城主がいるから街は均衡を保っていられる。
君主がいるから国は均衡を保っていられる。
それと同じことである。
尾鷲忍軍がいるから裏社会は均衡を保っていられる――わけではない。
残念ながら、尾鷲忍軍はそこまでの権力を持っていない。一昔前ならばそうだったかもしれないが、現在の尾鷲忍軍は落ち目の一途を辿っていた。
現在の裏社会を取り仕切っているのは――玉兎家である。
玉兎連邦と呼ばれるその家は、家という枠から外れ、通称通り、多くの組織を自らの組織の一部として使役するひとつの国家。
この世界を支配する花鳥風月の一角。
玉兎家があるからこそ、裏社会は均衡を保っていられるのだ。
少々脱線したが、単純な話、彼女は弱くないのだ。
この裏社会で生きていられるくらいには。
つまり――
「貴方がたに作る衣装はございません」
店主がいるから店は均衡を保っていられる。
自分より体格のいい男たちに囲まれながらも、彼女は微笑さえ浮かべて言い放った。そして、躊躇なく、自らの肩に置かれている男の腕を、反対側へ、ねじる。
腕は呆気なく、ボキンッ、と音を立てて、本来ならありえない方向へ曲がった。
「いやだわ、服に皺が寄っちゃった」
肩を手で払う仕種をして、ぺいるはにっこりと魅力的に笑った。
「生憎ながら、わたし、仕事は選ぶタイプですので」その笑顔は、類を見ないほど加虐に溢れた笑顔だった。「お帰りください」
きっかり五分後、お針子ぺいるの店の前には、通常生活を送るには難がある程度に痛めつけられた男たちの肉体が山になっていた。
「掃除人組合を呼びますか?」
抉殺が訊ねると、ぺいるは横に首を振った。
「もう呼んであります」
電子端末を取り出した様子はなかったので、おそらく店頭に出てくる前に呼んであったのだろう。
「仕事が早いですね」
「仕事人は、どの仕事の処理も早くこなすものですよ」
それでは、と断ってから、また扉の向こうへ姿を消す。
抉殺の背後にある入口ドアの向こうで、掃除人組合御用達のトラックが、先ほどの無法者たちを積んで去っていく音を聞き流しながら、改めて、再び店内を見回す。
「また増えてる……」
誰にともなく呟く。
窓際に、ミシンの下に、棚の上に、衣装箪笥の上に、床のあちこちに……鎮座しているそれらは、様々な種類のぬいぐるみだった。
共通しているのはすべて目がぼたんであることと、動物を模していること。それ以外は共通点がない。布地も種類もバラバラで、同じ動物でも大きさや縫い合わせが異なっている。可愛らしいが、それはせめて数を抑えていれば、素直に思うことができたかもしれない。ファンシーショップでもここまでの数量はないだろう。ぬいぐるみ専門店を三店使ってようやく釣り合うくらいの物量だった。
しかもあの店主は、困ったことにこの大量のぬいぐるみを売り物として出品するつもりなど毛頭ないのである。ぬいぐるみの一部を、いっそブランドとして立ち上げて売れば、十分食べていけるはずなのに、彼女は頑として手放そうとしないのだ。
ぺいる曰く「大切なお手伝いさんたちを売ってしまうなんて、そんな残酷なことできません」だそうだ。
少々理解が及ばない単語が出てきたが、人には人のこだわりがある。
他人がおいそれと口を出していいものではない。
「お待たせしましたー」
満面の笑みで、店主ぺいるはカバーのかかった衣服を抉殺の前に掲げる。
丈の長い黒いワンピースに、控えめにフリルのあしらわれたエプロン。いわゆるメイド服だった。
「仕立て直しとのご希望だったので、少々アレンジを加えさせていただきました。まず、暗器を仕込めるポケットを大幅に増やし、ペチコート部分のボリュームを、以前より上品に見えるよう手を加えました」
「まあ、仕込める暗器が増えるのはありがたいです。全体像が上品に見えるのも嬉しい。少し傷んでいたようですから、不安だったんです、もう着られないんじゃないかって……」
「わたしの手にかかれば、この世に着られなくなる服なんてありません」
「なんと頼もしい」
「できたら、鵺さんにはもっとわたしを頼って、他の服の仕立ても依頼してほしいくらいです。……そういえば、鵺さんはミニスカートのメイド服は注文されませんよね。きっと貴女のプロポーションなら……」
そこまで言って、ぺいるはハッとして口を噤んだ。抉殺の頭上に無数に浮かぶ疑問符に気が付いたからだ。
「……鵺さんは短いスカートの衣類は注文されませんよね。きっと貴女の身体つきなら、似合わないはずがないのに」
そして丁寧に、抉殺に伝わる言葉で言い直した。何故か抉殺は、外国語が壊滅的に苦手なのである。迂闊にカタカナ言葉を使おうものならまともに会話もできないのだ。スカートのように浸透したカタカナ言葉は通じるのに、プロポーションなどの言葉には、脳にプロテクトがかけられるのか、まったく理解ができない。
抉殺本人も気にしていることではあるが、治らないものは治らない。何度も学ぼうと試みてはいるが、微塵も改善が見られないのである。
ぺいるの心配りに感謝しつつ、抉殺は柔和に笑んだ。
「なんというか……短いスカートはあまり上品に感じないのです。もちろんそういった衣服を着る人を否定するつもりはないのですが、こういった趣向の服は、できるだけ脚などを見せない方が、淑女らしいではありませんか」
「なるほど」
抉殺の説明にぺいるは頷いた。
ミニスカートが似合わないということはないが、抉殺の求める淑女然とした雰囲気とは外れてしまうだろう。
好きな服を着ている――それこそが『似合っている』と真実に言える瞬間なのだから。
「でも、鵺さん」
「はい?」
「鵺さんって、尾鷲忍軍のしのびでもあるんですよね?」
「ええ、一応」
「なら、あのしのび装束を着るんですよね」
界隈では有名な、尾鷲忍軍のしのび装束。
それを淑女たる抉殺が着ているのを想像するのは、少しばかり難しい。
ぺいるの意図を察した抉殺は、しとやかに、どこか悪戯げに笑った。
「しのび装束は別ですわ。だって、淑女としのびは、別物でしょう?」
簡潔な主張に、ぺいるは「はー」と溜息とも感嘆ともつかない声を漏らした。ぺいるにはしのびが何たるかなど知らないので違いなどわからないが、きっと抉殺の中には明確な境界線があるらしい。
「そしてこの服は」抉殺はぺいるから受け取ったメイド服を、愛しげに撫でた。「私が淑女となれた、一番思い出深い服です」
何度も傷付いては仕立て直し、破れては仕立て直し、きつくなったら仕立て直し――それでも捨てずに今日まで至る。
このメイド服は、彼女が『抉殺』となった時に初めて袖を通したものである。
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