FILE5 惨殺 5
「――それが一週間前のことです。どうです? 鷹姫さんは素晴らしい人でしょう? たとえこれが一ヶ月後、一年後、十年後の出来事になろうとも、ぼくはけっしてあの時のことを忘れないでしょう」
かつて菊池氷太を名乗っていた殺人鬼――惨殺は、そんな風にはにかんだ。
ほんの数分前、遊殺の獲物を譲り受けた惨殺は、再び地下室に放置されていた『それ』に向かって、『殺戮家』尾鷲鷹姫と自分が出会い、自分が殺人鬼になる過程を語っていた。
「……ちゃんと聞いてます?」
「…………………」
「聞いていないとは、まったく、失礼な人ですね」
ぼくが語る彼女の話を聞かないだなんて――そんな耳、必要ありませんものね。
と言ったと同時に惨殺は『それ』の耳を切り落とした。
悲鳴は聞こえない。
「…………ありゃ?」
返事も悲鳴もないのは無理からぬことだった。『それ』はとっくに、生命活動を停止していたのだ。
死んでいた。
死んでいる。
その亡骸を一通り検分して、惨殺は、
「なあんだ、死んだなら死んだって言ってくれたらいいのに……」
と、唇の端をいびつに歪め、目を細めた。
美少年である彼がどれだけ顔を歪めようと、その美しさにはけっして影は差さない。
どうであろうと美少年。
返り血で彩られてさえ、彼は美少年であり続ける。
「……惨殺」
「はい?」
呼ばれたから返事をした。
そのあとに振り向く。
振り向いて、見る。
そこには長身の、口元に大きなガスマスクを着けた不健康そうな男が立っていた。
「えっと……」
誰だろう。
惨殺のことを『惨殺』と呼んだのだから、殺人鬼クラブのメンバーに違いないと思うけれど、惨殺はその男に初めて会ったように記憶している。
記憶していた通り、惨殺とその男は初対面だ。
「えっと、お前がその、惨殺、で、いいんだよな」
「……はい、ぼくは殺人鬼クラブの同胞、惨殺ですが……貴方は誰です?」
「俺は毒殺という」
「毒殺さん」
ああ、謀殺がそんなような殺人鬼がいることを教えてくれたように思う。
確か、毒を用いて人を殺す、毒殺専門の殺人鬼。
「初めまして」
とびきりの笑顔を作って、毒殺に向かう。
大抵の人間なら、これだけで惨殺に好印象を抱く。
そのせいで危険な目に遭ったこともあるが、人間関係において優位に立てることは確実だ。
しかし毒殺は、「………………」と、なんの返事もしなかった。
「あの、毒殺さん?」
「……殺戮家に憧れて、殺戮家の薦めでクラブに加入したらしいな」
「え……はい、その通りですけど」
なんだ?
なにが言いたい?
まさか「このクラブにお前は相応しくないから即刻立ち去れ」とでも言いたいのか?
そんなことを言われたとしても、殺戮家――鷹姫の薦めで加入した殺人鬼クラブを抜けるつもりは一切ない。
鷹姫の言葉は絶対なのだ。
「『惨殺』……そのコードネームは、誰から授かった?」
「謀殺さんと鷹姫さんが、ふたりで考えてくれました」
「ふうん」
毒殺は壁にもたれて、けだるげに惨殺を見据える。
観察するかのように、鑑定するかのように。
「よく殺戮家に憧れたもんだ」
「は?」
それは――冒涜か?
殺戮家――鷹姫に対する。
だとしたら、許せない。
「そう睨むなよ。美少年が台無しだぜ」
あくまでもけだるげに、あくまでも無気力に、毒殺は言う。
「お前は俺の知っている奴と似ている。ぼんやりしたその目で、一体なにを見ているのかわからなくて、そのくせ殺し方はこれ以上なく残忍だ。人をどう殺せば一番苦しむのか理解しきっている」
「だとしたら……どうするんですか。ぼくを殺人鬼クラブから追い出すんですか?」
「そんなことはしない」
断言と言っていいほど、力強く、毒殺は否定した。
「俺にはそんな権限ないからな」
だけど。
「そんな権限があったら、使いたいとは思う。お前を殺人鬼クラブから追い出したいと思う」
「はっきり言いますね」
「うやむやにはできないことだからな」
黒く澱んだ瞳で惨殺を捉え、毒殺は惨殺ではない誰かを、惨殺を通して見ているかのようだった。その視線はひどく屈辱的な気分にさせられる。
「ぼくが、嫌いですか」
「嫌いじゃない。だからと言って好きというわけでもない。さっきも言っただろう。お前は俺の知っている奴と似ている」
だとしたら――。
だとしたらそれは、目障りだと言っているようなものではないか。
せっかく鷹姫に殺人鬼クラブという場所を与えられたというのに、それさえ奪われたら惨殺にはもうなにも残らない。
殺人鬼クラブに入るために、家族を捨てて。
殺人鬼クラブに入るために、過去を捨てて。
殺人鬼クラブに入るために、未来を捨てた。
殺戮家に認められるために、どうでもいいもの、すべてを捨てた。
もう惨殺には、殺人鬼として生き、殺人鬼として死ぬしか道がない。
それでもいいと思ったからこそ、すべてを捨てたというのに、この男は――毒殺は――それを否定した。
誰に似ているかは知らないが、勝手に比較されるこちらの身としてはたまったものではない。
誰かに似ている、何かに似ているという言葉は、けっして褒め言葉足り得ないのだ。
似ているからなんだというのだ。オリジナルではないと貶しているのか。
父親が――そうだった。
父親は、惨殺を通して、かつての浮気相手を見ている。
かつての浮気相手を愛している。
愛している側からすれば問題ないのかもしれないが、愛されている側は地獄を見ている。
だってそれは、自分自身を愛してくれたことにはならないのだから――!
「睨むなって」
毒殺は惨殺の視線から逃れるために、右手を掲げて視線を遮った。
「俺はお前を死なせたくないだけだ」
「何故死ぬことが前提なんです?」
「こんな世界は、死ぬことでしか逃げることができないからだよ」
「ぼくは死にません」
「いいや、すぐに死ぬ。死ななかったとしても、死んだほうがいい状況に陥ることになる」
「死んだほうがいい状況って?」
「子供には言えないことだ」
「貴方はぼくを子供だと言うんですね」
「子供だろう?」
目を細めて、見下すがごとく毒殺は惨殺をねめつけた。
惨殺も負けじと、力いっぱい睨みつける。
しかしこの状態は、惨殺よりも毒殺に軍配を挙げるべきだろう。
別に勝負をしているわけではないけれど、ムキになっている時点で、惨殺は毒殺に勝てないことを露呈してしまっている。
それを感じ取れないほど鈍感ではない惨殺は、すぐに目を逸らし、逃げた。
「どいてください」
と、毒殺を押しのけて。
地下室から出て行った。
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