FILE5 惨殺 4

 ガムテープで口を塞がれ、両手首と両足首をそれぞれ縛られた菊池少年は、賀山先生所有のものと思われる軽自動車の後部座席に乗せられて、どこかの部屋へ誘拐された。

 今まで多少なりともそういった系列の危険な目には遭ってきたが、誘拐そのものは初めての体験だった。誘拐しようと企てても、基本は大ごとにはならなかったのである。菊池少年も己の容姿の端麗さには自覚があるので、きちんと防犯ブザーを所持し、誰のどんな甘言にも惑わされないよう心を配っていた。

 菊池少年自身も、そういった類の人間を見分ける観察眼を持っていただけに、大抵のことはやり過ごせたのだ。

 ただ、今回は違った。

 突発的であったがゆえ――そして、今まで養護教諭として接してきた賀山先生の下劣な視線に、菊池少年は気付けなかったがゆえに、こんな取り返しのつかないところまで落ちてしまったのである。

 何故菊池少年は賀山先生の企てに気付けなかったのか?

 それは、賀山先生が日常的に、通常的に、菊池少年をそういう目で見ていたからだろう。

 最初からそうであるものには気付きにくい。

 最初から異常であるものには気付きにくい。

 それほどまでに、賀山先生の、菊池少年に対する劣情は、おかしかった。

「わたしはね、氷太くん」

 優しく、手首と足首の縛めをほどきながら、賀山先生は言う。

「あなたみたいな男の子が大好きなの。自分でも、それは社会的におかしなことだってわかっているわ。でもね、ふたりの間に愛があれば、それは異常なことではなくなるのよ」

「…………っ!」

 ガムテープの上から唇を落とされ、酷い怖気に襲われる。

 ――違う。

 部屋にあらかじめ用意されていたベッドに拘束され、もう、逃げようにも逃げられない。

 けれども菊池少年は諦められなかった。

 ――そんなものを、愛だなんて言わない。

 愛なんて、お父さんの過干渉で苛烈な愛しか知らないけれど、それだけは言える。

 賀山先生が言っている愛は、愛などではなく、ただのエゴイズムだ。

「さあ愛し合いましょう氷太くん。大丈夫、怖くなんてないわ。だってわたしがいるのだもの。あなたの両親みたいな奴とは違う。わたしがあなたを幸せにすると誓うわ」

 太ももに艶めかしく指を這わせ、指はそのまま半ズボンの内側へ――。

「……っ、…………………っ!」

 ――いやだ!

 ――いやだ!

 ――助けて!

 ――助けて、鷹姫さん――。

「はい。そこまで」

 ざしゅん。

「…………え?」

 間抜けな声と共に、賀山先生が今まで菊池少年の太ももに這わせていた指は、その手首ごと、遠くへ吹っ飛んだ。

 まるでギロチンにかけられ落とされた首のごとく。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああっ!」

「ううん、性犯罪者の断末魔って本当聞き苦しいよ。僕は嫌いだな、やっぱり」

 ベッドの傍らに立ち、見事な日本刀を掲げる女性は、まさに今、心の中で助けを求めた、尾鷲鷹姫!

 どうして彼女がここに?

「僕はしのびだからね、大抵のことは調べたらすぐにわかる。きみの家庭事情も、この養護教諭の性的倒錯もね」

 左手首から先の部分を失い、痛みに悶え叫ぶ賀山先生へ視線を向ける。

 視線には、軽蔑の色が見えた。

「少し痛いよ」

 と言って、鷹姫は菊池少年の口に貼られたガムテープを乱雑にはがす。

「ぷはっ」

 反射で口から空気を吐き出し、菊池少年は声を張った。

「鷹姫さんっ!」

「うんうん、鷹姫さんだよ。怖かっただろう、可哀想にね」

 可哀想だと言う鷹姫の顔はどこにも同情の感情なんてなかったけれど、それでも、菊池少年は、突如として現れた救世主にただただ感動していた。

「鷹姫さん」

「なんだい?」

「怖かったです」

「だろうね」

「恐ろしかったです」

「だろうね」

「鷹姫さん」

「なんだい?」

「貴女はぼくの――神さまです」

「それは違うよ」

 尾鷲鷹姫は、緩やかに首を振った。

「僕は神さまなんかじゃない。だから、きみの言うことは間違いだ」

 それでも貴女はぼくの救世主だ。

 ぼくは貴女に逢えただけで生きる希望を見出せた。

 それなのに貴女は否定するの?

「だったら貴女は――何者ですか」

「僕は――殺戮家、尾鷲鷹姫だ」

「どうやったら、貴女みたいになれますか」

「んん」

 鷹姫は眉を顰めた。菊池少年の質問に、気分を害したようだ。

「氷太くん、僕みたいになったって、きみが僕自身になれるわけじゃない。そんなの――そんなの、ただの紛い物だ。偽物だ。誰かの模倣になっても本物になれることはない。きみはきみ自身になりなさい。僕になるのではなく、僕に認められる存在になりなさい」

 と。

 厳しく、鷹姫は菊池少年を諭した。

 己のようになってはいけないと。

 優しく、鷹姫は菊池少年を諭した。

 諭された菊池少年は、一筋、涙を零して。

「だったら……だったらぼくは、どうすれば貴女に認めてもらえるんですか……?」

「簡単さ」

 鷹姫は懐から、刃渡り十センチほどのナイフを取り出し、菊池少年のたおやかな手に握らせた。

「きみは人を殺せる人間だ。否、人間ではないのかもしれない。しかし人を殺せる存在だということは確かだ。だったら僕に、それを見せておくれ。鑑定してあげるから」

 そして、優美な仕草で片手を失った激痛に悶える賀山先生を指し示す。

「彼女を、殺してごらん」


 ◆◆◆


 先ほど菊池少年を拘束していたベッドの付属品は、そのまま賀山先生を拘束するために使われた。

 そして、賀山先生は、拘束されたまま、殺された。

 狂おしいほど――愛してやまない美少年の手によって。

 それは彼女にとって幸福なのか不幸なのかは、わからないが。

 菊池少年にとっては、幸福なことだった。

 ことをすべて終えた菊池少年を見て、鷹姫は「ふうん」と頷いた。

「なるほど、わかった」

 と、そう言って。

「きみは殺人鬼クラブに加入するべきだ」

 菊池少年の行く末を、決断した。

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