FILE4 遊殺 3

 失った左目が最後に見たのは、嬉しそうに笑うパパとママの顔だった。

 白雪は孤児院の女の子。

 本当の両親の記憶はない。

 まだ赤ん坊だった白雪を、両親は孤児院に託したのだと聞いていた。

 親代わりである院長夫妻はとても優しい人だし、同じ孤児の子供たちとも兄弟姉妹のように仲良く過ごせた。

 ただ白雪は、孤児院の中では少し浮いた存在だった。

 理由は、染めてもいないのに明るい茶色の髪と、深い青色の目。

 カラスの大群に白鳥が一羽でも潜めばその存在が浮き彫りになるように、白雪の容姿はほかの子供から浮いて見えた。

 それ以外ならば普通の活発な女の子なので、孤児院で孤立することはなかった。

 院長夫妻のことはそれぞれ『パパ』『ママ』と呼び慕っていた。

 いつかは里親に引き取られるか、大人になって院を卒業する。それまで、大好きなパパとママのように立派な大人になるべく勉強もお手伝いも自主的にやった。おかげで、十二歳という年齢ながらも、白雪の生活能力は大人と遜色ないものとなっていた。

 白雪が十二歳に差し掛かるころ、孤児院に来訪した大勢の大人が、『定期検診』と称して、子供たちの身体を調べていった。

 白雪の順番が回ってきたとき、大人は白雪の目を見て喜んだ。

「素晴らしい!」

 称賛は、必ずしも当人にとって嬉しいことばかりではない。

 白雪はそれを、このとき初めて経験した。

 即座に手術は執り行われた。

 麻酔によって意識が遠のく最中、白雪の左目が最後に見たのは、嬉しそうに笑うパパとママの顔だった。

 孤児院は、生きた子供をそのまま商品とする、違法孤児院だったのだ。

 あるいはドナーとして、あるいは嗜好品として、子供たちの身体は金銭でやりとりされていた。

 白雪の青い目は、好事家やコレクターから見れば垂涎ものの美しさだったという。残った右目を見れば、それは如実に実感できる。

 愛らしい少女のことを花やお菓子で例えることは文学の上で欠くことのできない事象である。それに則って白雪の瞳を表現するならば、宝石、と言えるだろう。

 好事家は、宝石のような白雪の瞳を欲しがった。

 生きた人間の身体から、脳と直結している目を取り出した。

 結果、白雪はおかしくなってしまった。

 まず、幼くなった。精神が幼児退行を見せたのだ。勉強能力も、生活能力も、幼児と遜色ないほど低下した。漢字も読めず、簡単な計算さえできなくなってしまった。

 次に、自傷行為を繰り返すようになった。身体の左半身を、徹底的に、躊躇なく、傷つけるようになった。それはあたかも、失った左目の眼帯をカモフラージュするかのように。身体も、服も、髪も、左半身はすべて傷つけていた。

 最後に、記憶に障害が残った。左目を奪われる前後の記憶を、白雪はもう、思い出せない。

 院長夫妻は頭を抱えた。

 ひとつめとみっつめの問題はまだ誤魔化せるものの、ふたつめの問題は、商品となるべき髪や皮膚が傷つき、欠陥商品のレッテルを貼られてしまうという大問題を呈していた。

 悪逆なる院長夫妻は、白雪のことなどちっとも心配していなかったが、商品に傷がつくことだけは懸念していた。

 懸念にかまけて、白雪に起こった最大の変化に気付くことができなかった。

 白雪が、鬼となってしまったことに、気付かなかった。

 事件は、白雪の左目が失われたことにより孤児院が以前より豊かになって、一ヶ月が経ったある夏の時分に起こった。

「白雪ちゃん」

 白雪と仲の良い、同じ孤児のあきという少女は、蟻の行列を凝視して三十分も動かない白雪に声をかけた。

「見て見て。院長先生にお願いして、白雪ちゃんとお揃いにしてもらったよ」

 そう言ってあきは、左目に着けた医療用の眼帯を示した。

 孤児院側は白雪の左目とそれによる異常を、交通事故によるものと説明した。純朴な子供たちはそれを信じ、白雪を心の底から心配した。

 白雪自身も、それを信じた。

 あきは以前から白雪と仲良くしていたので、彼女のことを心配して、慰めるような行動を繰り返していた。この日もその一環として、あきは白雪に声をかけたのである。

「ほら、腕も、足の包帯もお揃い。お揃いだよ、白雪ちゃん」

 幼くなってしまった白雪だが、以前から親しくしていたあきの記憶はきちんと残っていたので、あきを誰だか判断できないということはなかった。

「あきちゃん」

 と、はっきりした口調で、呼びかけることもできる。

「あきちゃん、おそろい? あたしと、おそろい?」

「うん、お揃いだよ、白雪ちゃん」

「うれしい!」

 あきは、片目を失い、精神にも異常を来して、幼児と同様になってしまった友達を、『可哀想』だと思ったのだろう。

 見た目だけでもお揃いにして、白雪を励まそうと思ったのだろう。

「あきちゃん、こうすれば、もっと、おそろいだよ」

 その優しさが、あきを殺した。

 白雪は、あきの眼帯を無理矢理はずし、持っていた木の棒で、あきの左目を抉った。

 絶叫する声にも構わず、そのまま深く深く突き刺し、眼球を破壊し、血飛沫を散らし、木の棒は脳まで達し――。

 あきは死んだ。

 殺された。

「あきちゃん、きれいねぇ。まっかできんぎょみたいで、きれいねぇ」


「ひだりめなくって、おそろいね――あきちゃん」


 絶叫を聞いて集まってきた子供たちにも興味を示さず、白雪はあきの体を蹂躙し続けた。

 さながら遊戯のように。

 あきの体を弄び続けた。

 これが、遊殺という殺人鬼の芽生えである。

 殺人を犯した白雪は当然隔離された。ほかの孤児たちも白雪から距離を取った。

 誰も鬼と行動を共にしたいなどとは思わない。

 白雪だけ外遊びの時間も食事の時間も別になり、寝るときもひとりぼっちになってしまった。

 孤児院で、少し浮いた存在だった白雪は、完全に孤立した。

 孤児院は、問題児を抱えていかなければならなくなった。

 いっそのこと、眼球のみならず白雪そのものを商品とし、処分してしまおうという意見も、院長夫妻の間で交わされていた。

 そんなおり、ひとりきりの外遊びで、小動物を捕らえて遊ぼうとした白雪の前を、笑顔の男性が横切って行った。

 銀縁の眼鏡をかけた、スーツ姿の男性が。

 院長夫妻の笑顔よりも優しく、安心をもたらす表情。

 塀の向こうで悠然と歩む紳士を、白雪は直感で理解した。

 ――同じ。

 ――あたしと、同じ。

 ――あたしと、お揃い。

 理解した時には、もう、手が伸びていた。

「ねえ」

 塀のわずかな隙間から、白雪は彼の袖を掴んだ。

「あたしもあなたとお揃いだよ。だから――連れて行って」

 男性はほんの少し目を見開いて、

「貴女は――誰?」

 と問うた。

「あたしは、白雪」

 答える白雪の声は、確かに自身を理解した単語だった。

「あたしは――殺人鬼」

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