FILE4 遊殺 4

 泣き喚く遊殺を抱き抱え、扼殺は屋敷内を走った。

 ――遊殺が怯える?

 混乱する頭をどうにか整理して、状況を分析しようと試みる。

 ――それほど恐ろしい人間なのか?

 とてもそうには見えなかった。

 謀殺までとは言わなくとも、穏和な雰囲気の老夫婦に見えた。

 いや、その前に。

 はた、と気付く。

 ――遊殺はあのふたりを『ママ』『パパ』と呼んでいた……?

 だとすると、遊殺の過去に関係する人間だということか。

 しかしそんなことがあるのか?

 殺人鬼クラブの同胞たちが過去に関係を持っていた人間など、ほとんどが命を落としているはずだ。

 毒殺は彼自身が死んだことにして。

 虐殺は自らの手で両親を屠り。

 謀殺も殺人鬼になるにあたって様々な関係者を殺してきた。

 扼殺も――例外ではない。

 半身である絞殺とともに、育ての親とその関係者を扼殺した。

 この手で、じっくり、丹念に。

 表社会から転じて裏社会で生きるには、それ相応の対価が必要だ。

 表社会で大切にしていたものを捨てる――といった風に、みな、なにかを失っている。

 抉殺や刺殺のような例外は存在するが――例外?

 遊殺が、その例外ということか?

 表社会で生きて、裏社会に転じたにも関わらず、なにひとつ失うことなく殺人鬼になった?

 それとも、謀殺が殺人鬼クラブに勧誘するにあたって仕損じた?

 あの謀殺が?

 裏社会の手練れならまだしも、あんな平凡な一般人になにをてこずるというのだ。

「謀殺さんっ!」

 ドアを開ける余裕もなく、蹴破る。

 呆気なく開いた。

「おや、どうしました?」

 憔悴する扼殺と反して、謀殺は暢気に微笑んだ。

 微笑んだが、すぐに泣き喚く遊殺に気付き、笑みを消す。

 今までの笑顔など嘘であったかのように。

 まるで扼殺と絞殺が初めて彼と邂逅したときのように。

「抉殺さん、すぐに温かいミルクを遊殺さんへ。扼殺さんは遊殺さんをそこの椅子へ座らせてあげてください。……遊殺さん、大丈夫ですか? どうぞこちらへ、私の手をどうぞ」

 手を差し伸べられた遊殺は、すがるように謀殺の手を掴んだ。

「いやだ……っ、もうやだっ! いやだいやだいやだ! 嫌い……嫌い嫌い嫌い! ……っく、ぅぁああっ! いやぁぁ……、ぅぇぇえ、ええええぇぇぇぇええええええんっ!」

 滅多に見ることのない遊殺の怯えた状態に、扼殺はただただ狼狽えることしかできなかった。


 ◆◆◆


 混乱し錯乱した遊殺を抉殺が部屋へ送り、寝かしつけたあと、謀殺と抉殺と扼殺、そして帰宅した絞殺はこの事案について話し合った。

「『話し合った』――じゃ、ねーんだよ」

 椅子に脚を組んで座り、思い切り謀殺を睨むのは絞殺である。

 短く切り揃えられた黒髪、女性を魅了する凛とした顔つき。

 その整った顔を不満に歪め、絞殺は吐き捨てた。

「扼殺がここにいるからボクがここにいるのであって、ボクはこの話題には無関係なんだよ。さも当然のごとくボクを巻き込むのはやめてくれる?」

「ええ、本当に無関係でしたら、そうしたいところだったのです」

 噛みつく勢いの絞殺を窘める謀殺。

「けれど絞殺さんは、扼殺さんの関係するものすべてと関係しているのでしょう? 扼殺さんの勇敢なナイトのあなたは、この事件にも無関係ではないのではありませんか?」

「………………」

 絞殺は言葉に詰まった。

 しまった。あんなこと、言わなければよかった。

 と、表情に如実に表れている。

 しかし絞殺が扼殺の勇敢なナイトであることは事実だ。幼いころからずっと主張してきた事実を今さら反故にすることはできない。したくない。絞殺は扼殺のナイトなのだから。

 絞殺がなにより嫌がっているのは、謀殺が絞殺自身の発言を駆使して絞殺の逃げ道を塞ぐやり方である。

「それから、どうやら絞殺さんは、件の夫妻を見たと伺いましたので」

「――ああ、見たよ。屋敷の前を歩いてた夫妻だろう? 男の方がグレーのスーツを着てて、女の方はいかにも余所行きっぽいスカートファッションだった。扼殺と遊殺が見たっていう夫妻も、一緒でしょ?」

 隣に座る扼殺に同意を求める絞殺。

 扼殺は、求められた同意を正しく返した。

「うん。着てた服は絞殺の言った通り。あとは……髪はふたりとも白髪まじりだった」

「女の方は少し染めてて、茶色っぽかったかな」

「加えて――その夫妻を捕らえた、とも」

「そうだよ?」

 謀殺の言葉に絞殺は頷いた。

「だって『庭にいた女の子は私たちのものだ。今すぐ我々に返せ』って寝言をほざくんだもの。丁度新品の縄の具合も確かめたかったし、同胞を所有アピールするなんてむかつくから、惨殺にでもあげようと思ってね」

「素晴らしい」

 謀殺は手を打って喜んだ。上品な拍手を絞殺へ手向ける。

「私ではできない手際の良さです。私はどうしても時間をかけて計算してからでないと不安になってしまう。通例ならば問題ありませんが、今回の場合では悪手になります」

 私は超能力者ではありませんから。

 ひとりではなにもできない。

 と、謀殺。

 その返事を受けて、絞殺は苦虫を噛み潰したような顔をする。

「あーヤダヤダ。そのなんでもお見通しだとでも言いたげな顔! ボクの力なんて微々たるものだから、謀殺さんのお気に召す結果にはならないのに」

「あまりご自分のことは卑下しないほうがいいですよ。絞殺さんは私の大切な同胞なのですから」

「はいはい」

 絞殺がおざなりな返事をしたところで、抉殺が人数分のコーヒーを淹れてきた。

 深い色のコーヒーは、湯気をくゆらせながら、それぞれの席へ置かれる。

 全員にコーヒーを配った抉殺は、そのまま席へは座らず、謀殺の後ろへ控える。

「抉殺さん、座ったら?」

 扼殺が自身の正面の席を勧める。しかし抉殺は「いいえ」と首を振った。

「私はこちらで十分です。お心遣いありがとうございます」

「いえ、抉殺さん、貴女も席へ。女性を立たせてばかりでは、私はただの鬼畜になってしまいますので」

「もうすでに鬼畜だろ……」

 かなりの小声で絞殺が呟いた。

「聞こえてますよ、絞殺さん」

「うげぇ、地獄耳」

「今日の夕飯は絞殺さんの苦手なものにしましょうかね。ピーマンの肉詰めとか」

「げえぇっ、勘弁してよ! ボク、ピーマンだけは苦手なの! 謝るから許して!」

「絞殺さんの、その素直なところが好きですよ」

「……そりゃどうも」

 そもそも今日はこどもの日なので、夕飯の決定権は子供である惨殺と遊殺にある。大人である謀殺が厨房にリクエストを言っても、反映されることはないだろう。

「……では抉殺さん、席へどうぞ」

「仰せのままに」

 促された抉殺は、スカートの裾を持ち上げ、軽く一礼を謀殺へ向けてから扼殺の正面に座った。

「それで――遊殺のことなんだけど」

 コーヒーにミルクを注ぎながら、扼殺が謀殺を見据える。

「遊殺はあの夫妻のことを『パパ』と『ママ』って呼んだんだよね。夫妻の方も遊殺を知ってるみたいだったし。そのことについて、謀殺さんから説明はある?」

「説明……そうですね。あります」

「ふうん?」

 謀殺は焦らすように、ゆっくりとコーヒーを口に含んだ。

「遊殺さんは、違法孤児院の出身です」

「違法孤児院?」

 眉を顰め、絞殺と扼殺は顔を見合わせた。

「人身売買によって生計を立てている孤児院です。ドナーとして、あるいは嗜好品として、あるいは奴隷として、子供を売っているのです」

「子供を売るって……」

 青ざめる絞殺。

「ってことは、あのふたりって……」

「はい、遊殺さんが昔暮らしていた孤児院の院長夫妻です」

 訊ねた扼殺は軽く頭を抱えた。それには構わず、謀殺は話を続ける。

「私が遊殺さんと出会ったのは、彼女が殺人鬼として芽生えた頃でしょうか。遊殺さんから声をかけてきてくださったんですよ。広い庭を、ひとりきりで遊んでいましたね」

「ほかに子供はいなかったの?」

「いませんでした。おそらく孤児院でなにか問題を起こし、隔離されていたのでしょう」

 謀殺の話を聞く彼らは、謀殺が濁した部分を理解した。

 孤児院で起こした問題とは――殺人。

 遊殺は、謀殺と出会う前から殺人の鬼と化していた。

「なんでその問題を表沙汰にしなかったのか――は、まあ、違法孤児院だからか」

「でしょうね。警察に介入されては困る部分が多々あったはずです」

 絞殺の呟きを肯定する謀殺。

「遊殺さんが声をかけてくださったあと、私はすぐに院長夫妻と話をして、遊殺さんを引き取る手続きをしました。夫妻には随分怪訝な顔をされましたが、あちらとしても、厄介な悩みの種を手放す機会を窺っていたようで、円満に彼女を引き取ることができましたよ」

「つまり遊殺は謀殺さんの里親になったってこと?」

「そうなりますね。戸籍上は私が里親で、遊殺さんは蓮璉家の養子ということになります」

 扼殺の問いに、謀殺は答える。

 扼殺の頭は混乱を極めた。

「え、ちょ、ちょっと待って。そしたら遊殺は蓮璉家の跡取りみたいになっちゃうんじゃないの? っていうか、勝手に養子とか取っちゃっていいの?」

「まあ、養子云々は、蝶咲財閥からしてみればよくあることなので、ほとんど寛容ですね。気付いたら兄弟が増えている分家とかありますし」

「金持ちって……」

 一口に金持ちと言っても、謀殺の家は世界的な大財閥、蝶咲家の分家だ。規格外の『よくあること』も頻繁に起こりえる。しかし遺産相続などの問題が絡む『養子縁組』がよくあることとは――。

「まあ、あなたたちも私の養子という扱いですがね」

「はぁ!?」

「えぇ!?」

「当然でしょう。貴方たちは戸籍がないとはいえ生きた人間なので、外部との接触は避けられません。そうなると、言葉の上だけでもそういう設定は設けておいた方が、都合がいいのです」

「設定とか言い出した……」

「設定で間違いないでしょう」

「まあ、確かに……?」

 眉間に皺を寄せ、思案する表情ながらも頷いたのは絞殺だ。

「閑話休題。遊殺さんのことに話を戻しましょう」

 手に持っていたコーヒーカップをテーブルに置き、溜息をついた。

「じゃあさ、謀殺さん、訊いてもいい?」

「どうぞ、扼殺さん」

「遊殺がいた孤児院は違法孤児院だったんでしょ? だったら別に、平和裏に遊殺を引き取らなくても、孤児院そのものを潰しちゃえばよかったんじゃないの?」

「それができたらよかったのですが……そうは問屋が卸さない事情がありまして」

「事情?」

「違法孤児院ですから、玉兎連邦との繋がりがあることが判明しましてね。迂闊に手出しができない、というわけです」

 玉兎連邦。

 この世界を支配する、花鳥風月の一角。

 火が如く燃える花、火代家。火代神宮。

 鳥の上を舞う蝶、蝶咲家。蝶咲帝国。

 風を封じる、封雅家。封雅共和国。

 月に住まう兎、玉兎家。玉兎連邦。

 その玉兎連邦と繋がっている。

「裏社会のトップである玉兎連邦とどう繋がっているのか――は、まあ、説明するまでもありませんね」

「人身売買によって生計を立てている、という点ですか」

 今まで静かに話を聞いていた抉殺が、初めて声を上げる。

 彼女の出身は裏社会だ。ここにいる誰よりも、玉兎連邦のやり方を目にしているはずである。

「それから、子供を買うという客層、孤児院へ子供を売るという客層。人体の一部を収集するコレクター、好事家。その誰もが裏社会と深い関わりを持っているはずです。中には莫大な投資をしている者もいるのではないでしょうか」

「潰したら後始末が面倒臭そうだね」

 絞殺がにやりと意地悪く笑いながら、謀殺と抉殺が濁した部分を平然と言ってのけた。

「掃除人組合(ギルド)に依頼するのは? 彼らなら面倒な後始末もやってくれるでしょ」

 コーヒーを口へ運びながら扼殺が提案するが、謀殺はゆるりとかぶりを振った。

「依頼した掃除人も始末しなければならないことを考えると、リスクが大きすぎました。ですから穏便に引き取る形になったのです」

「そっか」

「じゃあその夫妻はどうするの? 玉兎連邦が関わっているんじゃ、殺すのだってハイリスクだよね?」

 扼殺が頷き絞殺が問う。

「いいえ、絞殺さん。私たちはその夫妻を殺さなければなりません」

 いつになく真剣な面持ちで、謀殺はその場を――あるいは遊殺の未来を――見据えていた。

「大切な同胞が心置きなく殺人鬼でいられるために、私は万難を排して同胞を支援します。たとえ面倒な玉兎連邦を相手にしてもね」

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