FILE4 遊殺 1
遊殺という殺人鬼はどんな殺人鬼なのか、それは誰にもわからない。
ある殺人鬼は、
「素晴らしい殺人鬼です。いずれ世界にその名を知らぬ者はいなくなるであろうほどのね」
またある殺人鬼は、
「ぼくは彼女とは気が合わないんですよ。子供の無邪気に大人の残酷を併せたようなひとです」
またある殺人鬼は、
「少し幼すぎるのが気になるかな。でもそうじゃないと、遊殺じゃない」
と言う。
見え方はてんでばらばらだ。
そのどれもが遊殺の真実であり、正体であるのだろう。
人間が誰しもそうであるように。
遊殺。
遊戯のように人を殺す、殺人鬼。
彼女は十三歳の少女だ。
世間一般では中学校一年生。大人に憧れ、大人に反抗してみる思春期に突入する時期。
しかし遊殺には、そんな憧憬や反抗心など影も見えない。それは悪徳を学んだ思春期の少女が演じる紛い物ではなく、汚れのない幼児の心。
遊殺はまるで幼児のように、無垢なのだ。
五月五日、子供の日。
まだ日の高い時刻。
遊殺は謀殺に「フルートが欲しい」と要求した。
(はて)
謀殺は首を傾げた。
「フルート、ですか?」
「うん。フルート」
フルートと言えば木管楽器。金属でできているが木管楽器に類する横笛だ。かつては木で作られることが主流であったからその括りで、本来は横笛全般を指す言葉だったが――今はその話はいい。
謀殺は首を傾げた。フルートを用いてなにをするというのだろう。
演奏……しかしあの遊殺が普通に演奏などするのだろうか。遊殺には音楽を教えようとピアノを贈ったところ、解体されて新しい武器を作成していたという前科がある。
そういえば屋敷――謀殺が殺人鬼クラブの拠点としている邸宅である。謀殺も普段からここで生活をしている――の地下室に、遊殺が誰かを監禁して遊びながら殺害しているらしい。フルートの使用は遊戯の一工程ということか。
謀殺は半ば無理矢理に納得した。
「わかりました。確か屋敷に上等のものがあります。抉殺さんに取りに行ってもらいましょう。彼女から受け取ってください」
「はーい」
左手をぴんと真っ直ぐ挙げて、元気な返事をする遊殺。
その挙げられた腕の袖は中途で破られており、そこから覗く肌には無数の傷、包帯、絆創膏。スカートは袖と同様無造作に破られており、スカートから覗く脚も傷だらけだ。靴下もボロボロで、刃物で裂いたような穴だらけ。靴も左足だけない。明るい茶色の髪は、左側だけ無造作な長さで切られており、アシンメトリーな髪形になってしまっている。極め付けは、彼女の顔。愛くるしい少女の顔は、大きな医療用の眼帯で左目が覆い隠されていた。
この、左半身ばかりを嬲り甚振った痕跡は、彼女が自らの手で行った所業である。自傷癖でもあるのか、自分自身の左半身を傷つけるのだ。どれだけ綺麗に誂えた衣服を与えても、ものの数日で悲惨な有様になる。
自傷癖として同時に連想される『憂鬱』の症状は見られないが――。
その点については謀殺も慣れたもので問題はない。同じ屋根の下で共に生活していれば、どんな奇怪も日常となる。
遊殺には生活能力というものが皆無であるため、自活することができない。ゆえに棘館で部屋を提供したとしても、一週間で餓死してしまうだろう。大切な同胞にそんな苦行を強いることができなかった謀殺は、遊殺を自身の所有する邸宅で面倒を見ることにした。ほかにも年齢ゆえに自活ができない、つい先日殺人鬼クラブに加入した惨殺も、わけあって生活能力のない扼殺と絞殺のふたりも、この屋敷で面倒を見ている。
部屋は余るほどあるのだし、屋敷で働く給仕も多い。謀殺自身もこの四人のことを放っておくことができなかった。
大切な同胞だから。
「お待たせいたしました」
メイドがフルートの入った箱を持って入室する。
メイド服を着た彼女は謀殺の忠実なるしもべを称する、抉殺だ。
抉殺は遊殺の前に跪いて、「はい、どうぞ」とフルートの箱を示した。
「ありがとう!」
無邪気にお礼を述べて、抉殺の手から乱暴に箱をひったくる遊殺。箱からフルートを取り出して、高い位置に掲げ眺める。
眼帯をしていない深い碧眼が、フルートの銀色を反射してきらきらと輝いている。
「謀殺さんもありがとう! 失礼します!」
箱はそのままに、フルートのみを掴んで遊殺は部屋を出た。スキップのリズムが軽快だ。
「フルート、どのようにして使うのでしょうね」
残された謀殺は、抉殺に訊ねてみた。
「さあ、私にはわかりかねます」
訊ねられた抉殺も肩を竦めた。
フルートを使う殺害方法など撲殺以外思いつかない。しかし撲殺に使うのだとしたら、わざわざフルートに限定して要求する必要はない。ブラックジャックや棍棒でもいい、撲殺専用の道具を要求すればいいだろう。
「遊殺さんのことですから、私の考え至らない素晴らしい殺害方法に活用するのでしょうが……」
そこまで言いかけたところで、目の端に遊殺の姿が映った。窓の外である。
外の庭園へ、片足だけ靴を履いた状態で駆けてきたようだ。手にはしっかりとフルートが握られている。
五月の庭園は薔薇が見頃だ。薔薇だけを集めたスペースに、遊殺は一直線に進んで行った。
そして蔓薔薇のアーチの中央まで辿り着くと、握っていたフルートを口元へあてがい、演奏の姿勢を取った。
「………………」
一瞬の静けさ。
その直後に、高く明瞭なフルートの音色が庭園に流れ始める。
「これは……」
ドップラーのハンガリー田園幻想曲。
世界中でフルートの名曲と称えられる曲だ。
どこでフルートを習ったのだろう。見る限りでは指使いもめちゃくちゃで、正しい演奏のスタイルではないが、ちゃんと曲の形になっている。
音楽の才能があったのか。
過去に孤児院で習う機会があったのか?
いつもは無邪気な輝きを放つ碧眼も、今だけは伏せられ、演奏に集中しているようだった。
幼すぎる無邪気が息を潜め、年相応の、思春期の少女の可憐さが顔を覗かせた瞬間だ。
「ギャップ萌えどころの話ではありませんよ……」
思わず呟き、抉殺と顔を見合わせた謀殺は、溜息をついた。
「今度の会合で、フルートの演奏でもしてもらいましょうかね」
「ええ、それがよろしいかと。みんな驚きます」
抉殺も微笑んで、謀殺の提案に賛同した。
◆◆◆
フルートの演奏を終えた遊殺は、再び屋敷へ戻った。
何故だか無性にフルートを演奏したい気分だったのだ。綺麗な薔薇が咲く庭園で、懐かしいフルートを吹いたらどれだけ楽しいだろう――そんな気持ちで謀殺におねだりして、すぐに叶った衝動的な願望は想像以上に素敵だった。
殺人鬼クラブに入った際、謀殺が提供してくれた自室に入り、宝物を入れる大きな箱の中へフルートをしまう。隣の頭蓋骨が邪魔だったので、それは処分に出すことにする。いつ手に入れたかも覚えていないので、それほど大切なものでもなかったのだろう。
遊殺の自室は、まるでおとぎ話のお姫様の部屋だった。
桃色と白色を基調とした色彩で彩られた調度品。天蓋付きのレースたっぷりのベッド。天井からはシャンデリアが吊り下げられている。
ちなみにインテリアや内装のアイディアはほとんど謀殺のものだ。
どんな部屋にしたいか謀殺が遊殺に訊ねたとき、ただ「お姫様!」とだけ言ったことから、それ以上の要望を聞き出すことができなかった。
なにせどう訊ねてみても「お姫様のような」「お姫様がいるみたいな」という曖昧模糊この上ない言葉しか聞き出せなかった。
さらに言うなら二度ほどリテイクを出されている。
そのときの謀殺の苦悩は計り知れない。
数分に一回の頻度で「本当に遊殺さんは予想外です……」と呻くことになった。
これ以上のリテイクを食らっていれば、さしもの謀殺の笑顔も多少は崩れたかもしれない。
「これでよしっ」
フルートを宝箱へしまったことを何度も確認して、今度は地下室へ向かった。
先日捕らえた人間がいるからだ。
今日はどんな風に遊ぼうか、どんな風に遊んでもらえるだろう、高鳴る鼓動が動作にまで表れる。
骨を砕いて悲鳴の数を数えるのがいいだろうか。
仰向けに寝かせて、先端の尖った独楽を身体の上で回すのも面白そうだ。
黄銅でできた牛の玩具に入れて熱し、悲鳴を愉しむのはどうだろう。
無邪気に残酷なことを考えながらスキップをしていると、地下室へ続く階段で、惨殺と出くわす。
「あ」
ぼんやりとした瞳の美少年。
最近殺人鬼クラブに加入した男の子だ。
歳は遊殺の方が三歳年上である。
作業をした直後だろう、赤く染まったゴム手袋を着けていた。
「あっ、惨殺だぁ! どうしたの? 地下室にはあたしのしかいないよー?」
「えっ……あの人、もしかして遊殺さんのものでしたか……? それは……その、申し訳ありません」
「なにを謝ってるの? ……あ」
惨殺がなにを言わんとしているかを理解した。遊殺は年齢の割りに幼いが、頭の回転が遅いわけではない。
「えええええええええええっ! 惨殺、あたしの獲物を殺しちゃったの!? そんな、ひどいよ! 残酷だー!」
「お、お、落ち着いてください……ぼくはまだ殺していません……っ」
大声で叫ぶ遊殺に、狼狽える惨殺。
ただでさえ大きい遊殺の声だ。ほぼ地下室と言っていい階段の中途で、反響しないわけがない。
惨殺の耳に、遊殺の声は容赦ない攻撃を果たした。
「あたしの……遊び相手! おもちゃ! 惨殺が盗った!」
「取ってません……っ。勝手に使ってしまっただけです……っ。ああ、ごめんなさい」
遊殺の発する大音量に耐えつつ、惨殺は必死に弁明する。しかしそんなものが遊殺に届くはずがない。
「なんで! 名前ちゃんと書いてあったでしょっ!」
「名前? 書いてあったんですか?」
「書いたもん! 首のところに、ナイフで書いたもん!」
「首?」
「首の後ろ!」
「そんなところに……」
どうやら惨殺は遊殺が施した記名に気付かず獲物を痛めつけたらしい。
惨殺の相手をしたのだ。死んではいないようだが、まともに人間の形をしていることは望めないだろう。
遊殺は自らの獲物には必ず記名をするので、地下室に幽閉される人間をほかの殺人鬼が誤って殺すことは少ないが、惨殺は最近加入したばかりの新参者だ。記名のことは知らなかった。
「…………もういいっ!」散々気の済むまで喚き、ついでに惨殺の鼓膜に大ダメージを与えてから、遊殺は唇を尖らせて「あれは惨殺にあげる。でもちゃんとお返ししてね。今日はこどもの日だから、お菓子いっぱいもらえるから、それをあたしにちょうだい」と、とどめに叫んだ。
「……わかりました。本当に、申し訳ありません」
ぐわんと響く遊殺の声に眉をしかめながら、惨殺は渋々頷いた。こどもの日のお菓子を我慢するのは嫌だが、これ以上遊殺を刺激する方が嫌だった。
その日のお菓子でやりとりされる命。
まるで古代ヨーロッパの貴族の残酷な遊びのようだが、今は古代ではないし、ここはヨーロッパではないし、彼らは貴族ではないし、残念ながら遊殺にとっては遊びだった。
「じゃあいいや」
不満で崩れていた遊殺の顔は爛漫なそれへと象られた。
一瞬で直った遊殺の機嫌に心底から安堵の溜息をつくのは惨殺だ。
惨殺が、自分が遊殺と合わないと感じ始めたのはこのときからである。遊殺には他人を苦手と考える感情さえ持っていないようにも見受けられるが、その真偽を確かめようにも手段がない。神の存在を証明することに方法がないことと同じように。
「ばいばい、惨殺。またおやつの時間にね!」
手を振り、来た道を戻る遊殺。
その背中を見送る惨殺も一応手を振り返すが、もう遊殺は惨殺のことなど見ていなかった。
「……まあ、まだ生きているとはいえ、遊殺さんがあれで遊べるとは思えないけど。どうせだから、もう殺しちゃおうかな」
遊殺の視界に自分が映っていなかったことに憤りを覚えつつ、惨殺はもう一度、地下室へと踵を返した。
◆◆◆
「だから今日の惨殺のおやつはあたしにちょうだいねっ! 絶対だよ」
厨房で働いている黒鳥の面を着けたメイドひとりひとりに説明をして、遊殺は上機嫌だった。
獲物を惨殺に取られてしまったことはつまらないが、惨殺に獲物を譲ることでおやつが増えることは、遊殺にとってはいいことだ。
おやつの時間である三時までまだ時間はたっぷりある。なにせまだ午前中だ。
殺人鬼とは言っても、殺人以外にも楽しめることはたくさんある。
そういえば先ほどの薔薇園で蟻の巣を見かけた。蟻を捕まえて蜘蛛の巣へひっかけるのはどうだろう。
蝶を捕まえて羽をもぎ、水に浸すのもいい。
これらを当人はただの遊戯のつもりで考えているから恐ろしい。
どれも残酷なことこの上ないが、どれも幼い子供の遊戯であることに変わりはない。
幼さと残酷さは紙一重。
それとも、幼さゆえの残酷さなのか。
無垢という悪。
無垢ゆえに人を殺すという罪。
無垢なる背徳者。
遊殺を表現するならばその一言だろう。
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