FILE3 謀殺 6

 狼狽するまま、車で去っていく蓮華を見送り、謀殺は再び部屋へ戻った。ハンガーにかけておいたコートを羽織り、来訪者を待つ。

 五分と経たないうちに、ドアがノックされた。

「ご注文のお届けです」

「ええ、どうぞ」

 入室を促す。と同時に、男が突き飛ばされたように部屋へ転がり込んできた。次いでホテルのボーイの格好をした人物が足を踏み入れる。

 ボーイは男を足蹴にして、意地悪く笑った。

「いい趣味をお持ちで」

 足蹴にされている男は、四十代後半かそれ以上に見える。イタリア製のブランドスーツを着ていることから、それなりの家柄であることが窺える。

 もちろんそんなこと、わかりきっているけれど。

 猿轡を噛まされ、目隠しをされている男、それは――。

「お久しぶりです、綾唄さん。新年の集まり以来ですか」

 蝶咲分家の綾唄家、家長その人だ。

 つまり――綾唄蓮華の父。

 頭に『義理の』が付くが。

「急な依頼だったのに、随分仕事が早いですね」

 ボーイににっこりと笑いかける。

 彼――否、彼女は勝気な笑顔を返して来た。

 被っていた帽子を外すと、しまってあった長い髪がぶわりと解放される。

「僕らは仕事に無駄な時間はかけないからね。当然のことをしたまでさ」

 鷹姫は満足げに笑んで、諸手を広げた。

「さあて、可愛い女の子を悪逆な義父から救うとしようか。もちろん僕らのやり方でね」


 ◆◆◆


 謀殺が蓮華のために予約したのは、高層ビルからなる最高級ホテルだ。

 上階から臨める夜景は、星空が地上にあるのかと見紛うばかりである。

 どんな人間も、その絶景には感動を覚えるのだという。

 屋内で見れば、の話に限ってだが。

 高層ビルの最上階。さらにその上の屋上では、感動よりも恐怖の方が勝ってしまうだろう。

 ビル風が吹きすさび、寒さも一段と増してきた。

 すぐに済ませるつもりとはいえ、コートを着たことは間違いではない。

 未だにボーイの制服姿の鷹姫は、防寒という概念を嘲笑うかのようになにも羽織ろうとはしなかったけれど。

 落下防止の鉄柵に手をかけ、腕力のみで取り除いた姿はまさに化け物。

 敵にだけは回したくないものだ。

「綾唄家はもう潰えてしまいそうな家でして、蓮華さんと蓮華さんの母君を人質とすることで本家から援助金を得て生活していた家です。紆余曲折は必要ですが、上手くことが運べば、綾唄家が蝶咲本家に吸収される、という結果になるでしょう」

「ちゃんと自殺に見せかけるための遺書も用意したから、あとはお好きなようにどうぞ。そういう話は僕にはわからないのでね」

「ありがとうございます、鷹姫さん」

 腰を曲げ、お辞儀も含めて礼を言う。

 なにからなにまで、至れり尽くせりだ。

「さて」

 そうして謀殺は、四つん這いで小鹿のように震えている男へと目を向けた。

 優しく、猿轡と目隠しを解く。

「ご自分の置かれている状況、理解できますね、綾唄さん?」

「け、慶……」

「そんな目で見ないでください。貴方が今まで、いろんな人に行ってきたことではありませんか」

 あくまでも、優しく。人を安心させ、懐柔するがごとく。

 笑顔とは、そういうものだ。

 私の笑顔は、人を殺すためにある。

 そもそも笑うという行為は、獣の威嚇行為の際に発せられる。

 謀略を駆使する殺人鬼の笑顔が獣のそれと同義とは、皮肉なことだ。

「なにが、望みだ……?」

「はい?」

「金か。地位か。後ろ盾か。おれをこうまでして脅したんだ。相当のものを要求するつもりだろう。さっさと言え」

「………………」

 ああ。

 なんという下劣。

 こんな男が、世界の帝王たる蝶咲の一部だなんて。

 こんな、見るからに生殺与奪がはっきりしている場面においても、己の死を認めることができないなんて。

 軽蔑に値する。

 軽蔑する相手には、軽蔑するなりの礼儀がある。

「いいえ、綾唄さん。私の立場はもうすでに貴方より上ですから、金銭も、地位も、後ろ盾も、必要ありません」

 そしてあいにく、脅しでもない。

「私の要求は、貴方の殺害です」

「けい――……?」

「いいえ、綾唄さん。私は、謀殺です」

「…………ひっ」

 男の咽喉から、悲痛な、屠殺に直面した動物じみた音が鳴る。

 殺人鬼クラブの存在は、当然知っているだろう。殺人鬼クラブのまとめ役、謀殺のことも。

 蝶咲財閥の裏の顔を担う綾唄家の当主ならば。

 しかもつい最近、わざわざ匿名で、殺人鬼クラブのスポンサーに立候補してきたこの男ならば。

 匿名の手紙など、鷹姫の前では意味をなさなかったが。

「ご安心ください。貴方の盟友である私の父も、すぐそちらへ向かわせますから」

 日に日に一滴ずつ毒を与え、もはや治らない病を抱えた私の父も、もうすぐ死ぬから。

 だから、おとなしく、死んでください。

 私は優しく微笑んで、優しく彼を、突き落とした。

 数秒後に地面に散った季節外れの彼岸花は、あまり美しいとは言えなかった。


 ◆◆◆


 空がぼんやりと明るくなってきた。

 時刻は午前五時。もう懐中電灯も必要ない。

 鷹姫とふたりで行く当てもなく海辺を歩いていた。

「私は殺人鬼失格ですね」

 ふと、本音が零れる。

「ふうん? 何故そう思うんだい?」

 怪訝な声で鷹姫は訊ねた。

「情にほだされ、その少女のために人を殺した。他人のために人を殺す者は、殺人鬼ではなく殺し屋なのだと、そう言ったのは私なのに」

 いつか、虐殺に言われたことが本当になってしまった。

 私は己の言葉に責任を持っていなかった。己の言葉の真意を捻じ曲げたのだ。

 殺人鬼クラブの統率者の資格など、私にはなかったのだ。

「謀殺君」

「いいえ、私は殺人鬼ではない、蓮璉慶です」

「……あえてここではこう呼ばせてもらうけどさ、謀殺君。きみはどうしてそこまで完璧を求めているんだい?」

 鷹姫は、いつも通りの口調で私に訊ねた。真剣でも深刻でもない、ただ気になったから訊いた、というような、そんな調子だった。

「情にほだされたらもう駄目なの? 他人のために人を殺しただけでもう殺人鬼じゃない? 自分の言葉には絶対服従?」

 心底理解しがたいと言いたげに。

「きみはなにに恐怖しているんだい?」

 恐怖。

 それは、私が捨てた感情のはず。

 捨てたから、縁遠い言葉のはず。

 私はなにを恐れている?

 私はなにを怖がっている?

「私は――」

 私は、私は、私は。

 ――僕は。

「僕は、独りに、なりたくない……」

 母を喪ったあとの生活。家の執事を殺し、殺人鬼クラブを創立するまでの数年間。

 気が狂うかと思うほどなにも見えなかった。味方のいない裏の社会は恐ろしかった。ただひとりの味方である小さな女の子は、頼るには幼かった。

 あのときのように孤独に道を歩むのは、もういやだ。

 殺人鬼クラブを創立し、同胞を得ると、孤独感はもうなかった。独りではないと実感できた。

 けれども、もしもその同胞に失望されでもしたらどうしよう。僕は彼らを愛しているけれど、彼らが僕を愛してくれるという保証はないのだ。

 父が母を愛していなかったように。

 彼らに僕を愛してもらうには、僕が努力をすればいいのだと思い至った。

 頼れる存在であれば、きっと僕は独りにならないのだと。

 そう、完璧でさえあれば――……。

「自分を高めるのはとても美しいことだと思うけどね」

 謀殺の吐露を聞くと、鷹姫は溜息とともに呟いた。

「自分を追い詰めるのは美しくない」

「………………」

 鷹姫は謀殺の前に立ち、頬を掴んで無理矢理謀殺と目を合わせた。

 猛禽類の瞳と、真っ直ぐに目が合う。

「僕をごらんよ。どれだけ欠点があると思う? 無知で、無学で、卑怯者で、殺人狂だ。例を挙げればきりがない。けれど! 僕は尾鷲忍軍の頭領だ。こんな欠点だらけの僕を、僕の家族は認めてくれている。そりゃあ血筋によるものが大きいけれど、僕自身、それを背負う努力をした。実力をつけた。わかるかい? 努力をした者は、それだけで認められることだってあるんだよ。必ず、とか、絶対、なんて無責任なことは言えないけどね、殺人鬼クラブのみんなは、きみの努力を見ているはずなんだから」

「なにを、長々と喋っているんですか」

 強引に鷹姫の手から逃れ、謀殺はまた俯く。前を見たくない、自分の顔を見られたくない、その一心で。

「んー? いやさ、裏社会で組織のトップに立つってのは、やっぱり難しいことだって、みんなわかってると思うんだよね」

「なにが、言いたいんですか」

「もうきみは、独りじゃないと思うんだよ」

 朝日が昇って、海に反射する。きらきらと、光の粒が生まれて消える。

「いい加減俯くのはやめたらどうだい?」

 謀殺の正面から退いた鷹姫が、前方を腕で示す。

 促されるままに、足元へ向けていた視線を前方へ向ける。

「――――え?」

 この感情を、私は知らない。いや、言葉として、意味としてなら十分に理解している。けれど私はその感情を、体験したことがなかった。

「僕は目がいいから見えていたけれど、きみは目が悪いから見えていなかったみたいだね」

 鷹姫の皮肉も、耳に入らない。

 遠く見える大人数のシルエットは、謀殺の予測や予想でも、到底思い至らない現実だった。

「どんな小細工を使ったんですか?」

「別に。ただ抉殺と刺殺君にちょっとだけ情報を流しただけだよ」

 早朝だというのに、全員がそこにいる。

「『謀殺君が落ち込んでるかもしれないから、慰めてあげて』って」

 幼い惨殺と遊殺や、偏屈な銃殺まで、愛しい愛しい殺人鬼クラブの同胞が、揃っている。

「……っ、本当に、彼らは……、計算外、……です」

「これを見てもきみは、自分を孤独だと思うかい?」

「思えませんね……絶対に」

『貴方は独りではない』

 己が説いた殺人鬼クラブの前提条件だが、まさかそれを、自身に向けられるとは思っていなかった。

「さあ、早く行きたまえよ。きみの居場所は、僕の隣ではなく彼らの中心だ」

「……鷹姫さん」

「なにかな、慶君」

「今は謀殺です」

「……なにかな、謀殺君」

「殺人鬼クラブに入りませんか?」

 謀殺は、鷹姫に右手を差し出した。

 彼女がその手を取ってくれることを望んで。

「………………」

「貴女のための席は――『斬殺』は、殺人鬼クラブを創立したときから空けてあるんですよ」

「ははっ」

 鷹姫は謀殺の手を取ることなく、ひらりと防波堤に飛び乗った。長い、毛先の白い茶髪が、鳥の翼のように広がる。

「僕はこれ以上名前を持つつもりはない。魅力的なお誘いだけれどね――」

 こちらを振り返って、穏やかに、美しく、微笑んだ。

「僕には尾鷲忍軍があり、尾鷲の里という国がある。きみの下へ殉ずるわけにはいかないのさ」

 そして瞳を鋭くして、睨むように、残虐に、嗤った。

「『斬殺』なんて生温い。そんな上品な殺害方法はつまらない。この僕、尾鷲鷹姫の殺害方法は、今も昔も『殺戮』だ」

『殺戮家』――尾鷲鷹姫は、どんな謀略を尽くしても思い通りにならない、戦友だった。

「ありがとうございます、殺戮家さん。また会う日まで、息災と、殺害を」

 丁寧にお辞儀をして、そして彼――謀殺は、同胞のもとへ走った。

 私の居場所は、ここなのだ。


                              FILE3 謀殺 完

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