FILE3 謀殺 5

 十二月二十七日。

 とある喫茶店で、謀殺はとある人物と待ち合わせをした。

 待ち合わせの五分前に喫茶店に入ると、彼はすでにテーブルについており、笑顔で片手を挙げる。

「慶兄さん! こっちです」

 艶やかな黒髪と蒼い瞳。整った顔立ちはどこか排他的で、迂闊に近付くことができない高貴さを含んでいる。

 恰好はまさに休日の高校生といった風体で、暖かそうなパーカーにジーンズ、足には青いスニーカーを履いていた。しかしよく見れば、身に着けているものすべてが高級ブランド。厚着でもわかる、引き締まった肉体。適度な運動をほぼ毎日こなしていることが窺える。座っているので正確にはわからないが、その年頃ならば高身長に分類される背丈。挙げた片手――右手だ――の小指には、繊細な細工の指輪がはめられている。

 彼こそが蝶咲本家のご子息、蝶咲蓮凰。

 いずれは、世界の頂点に立つ少年。

 十五年前、蝶咲家に生まれた双子のひとり。

 謀殺――蓮璉慶の許嫁の、実の兄。

「すみません、こんな忙しい時期に呼び出してしまって。どうしても、今、慶兄さんと話したくて」

「いえ、もう大掃除も終わりましたし、少々退屈だったところです」

 コートを椅子へかけ、謀殺は蓮凰の正面に座った。

 殺害対象と近しい者を相手にどの面下げてどんな話をするのか甚だ疑問だが、ここで彼との邂逅を拒否すれば怪しまれる。必要な労力は買ってでもするべきだ。

 その後ろ暗い腹積もりを差し引いても、蓮凰との情報交換はかなりの重要性を担っている。

 蝶咲本家の御曹司ならば、多少なりとも蝶咲家に関する情報を得られるのだ。

 かなり込み入った、蝶咲家の存続に関わる情報さえも。

 謀殺自身は蝶咲家のそんなものに興味はないが、謀殺の父親が求めているものだ。

 揃えておいて損はない駒。

 駒は揃えれば揃えるほど、戦略も広がる。

 あの傲慢な父親を殺すためならば、どんな手段も、労力も、投資も惜しまない。

「慶兄さん、まずこれを聞いてください」

 神妙な面持ちで、蓮凰はボイスレコーダーを取り出した。

 黙って頷き、ボイスレコーダーから流れる音へ耳を傾ける。果たしてどんなおぞましい音が録音されているのか……。

『くるりくるり 風車 廻るは刻か 運命か

 蝶よ咲かせよ 薄蓮華 紅の唇 虚しくも』

 初めて聞く歌だ。そして、とても綺麗な歌だ。声も旋律も、耳を支配されるかと錯覚するほど美しい。

『からりからり しゃれこうべ 調べの音は 呪詛のよう

 綾着ぬ唄は 鳳か 幻の夢 惨たらし』

「……これは?」

 拍子抜けしつつも、謀殺は歌に隠されているであろう意味を模索しながら訊ねた。もしかしたら蝶咲本家に関する重要な手がかりかもしれない。

「どう思います?」

 蓮凰も、真剣みを帯びた語調を崩さない。

「そうですね……聞いたことのない歌ですが、とても美しいと――」

「でしょう!?」

 美しい、と謀殺が言った途端に、蓮凰君の排他的な雰囲気は鳴りを潜め、嬉々とした少年然としたものへと表情を綻ばせた。

 そして饒舌に、蒼い瞳を輝かせながら語る。

「これはつい先日、蓮華が学園の第二庭園で歌っていたのを録ったものです。もともと美しかった蓮華の声が、近頃ますます磨きがかかったとは思いませんか。これを歌っているときの蓮華の可愛かったこと可愛かったこと……どの神話の美の女神でも太刀打ちできないでしょう。庭園で咲き誇っていた花たちでさえ、蓮華の可愛さには及ばなかったのです。慶兄さんならばわかるでしょう、蓮華の歌の価値と、蓮華の愛らしさを! 俺の妹の素晴らしさを!」

「………………」

 思わず眉間を揉んだ。

 そうだった。

 忘れていたわけではないが、失念していた。

 彼は蝶咲家の跡取りである以前に、筋金入りの妹想い(シスコン)なのだ。

 何故なのかと問われたら、幼いうちから離れ離れになってしまった反動かもしれないし、ただ単にそういう性質だからかもしれない。

 謀殺は心理学者ではないので確実なことは言えないが、それでも彼が妹君へ向ける愛情は、決して劣情の類ではないだろう。

 蝶咲蓮凰が妹君へ捧げる愛は、限りなく尊いものであるとわかる。

 兄弟姉妹を持たない謀殺にはわからないことだが、弟妹へ向ける愛情は、限度があるだろう。

 しかしその限度を超え、妹君へ愛情を惜しむことなく注げる彼は、もうそれだけで尊敬に値する。

 これほどまでに溺愛する妹を喪ったら、彼は一体どんな顔をするだろう?

 怒りと失望で、謀殺へ刃を向けるのだろうか。

「………………」

 わからない。

 家族に対する愛情など、十四年も前に枯渇している。

 人間の情は、どんな数式よりも難関だ。

 蓮凰はボイスレコーダーを止め、しかつめらしい顔つきになった。

「そんな愛らしい妹が、誕生日を迎えたら、慕っている親戚の兄さんのもとへ嫁ぐんだ」

 謀殺と彼の妹が許嫁であること、その結婚が、彼女の十六歳の誕生日を迎えてすぐに行われる予定であることは、蝶咲家にとっては周知の事実だ。

 すでに準備は進められ、謀殺がわざと仕事や用事を調整していなければ、今頃は招待状も配られ結婚式も入籍もすぐに行えるように手配されていたことだろう。

 本家から除籍されたとはいえ直系の娘である彼女は、格好の噂の種である。

 相当肩身の狭い思いをしているに違いない。

「慶兄さん」

 蓮凰は、背筋を伸ばして、私へ向いた。

 幼さとあどけなさを忘れられない風貌だが、それでも高貴に、凛として。

「どうか蓮華を、妹を、幸せにしてください」

 いずれは偉大なる蝶咲本家を継ぐ者が、卑しい分家の末端に、頭を下げた。

「蓮凰君――」

「俺は、表立って蓮華の兄を名乗れない。それがもどかしくて仕方がない。蓮華の兄を名乗れない世界なんて壊れてしまえばいいとさえ思う」

 それはまた、大層なことを言う。

 世界を統べる大財閥を継ぐ御曹司が、その世界の破壊を望むなど。

「いつか、俺が蝶咲本家を継いだとき、俺は蓮華を取り戻して見せる。大声で、蓮華は俺の妹だと言い張れるように、蝶咲財閥を作り直す。だから、それまで――」

 蒼い、真っ直ぐな視線が謀殺を捉える。

 視線は突き刺さる。

 まさに王者の風格。

「それまでどうか、蓮華を幸せにしてください」

 極めて真摯に、希う。

 蝶咲帝国に反旗を翻す反逆者である謀殺に、蝶咲帝国の跡継ぎは懇願したのだ。

「安請け合いはできないので、明確な返事はしないでおきます」

 家族や親戚を愛おしいと感じたことはないけれど、彼だけは、好ましいと思っていた。

 家柄の弊害や周囲の目をものともせず、精進し続けた彼だけは。

 プレッシャーに押しつぶされることも、出自を驕ることもない、彼だけは。

「ただひとつだけ、言っておきましょう」

 謀殺は鬼だが、情がないわけではない。

「蓮華さんを幸せにするのは、きみですよ、蓮凰君」

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