FILE3 謀殺 4

「痛い」

「でしょうね」

 翌朝。クリスマス当日。

 屋敷――ここも蓮璉家の別荘だ――に泊まった刺殺が、腫れた頬を水嚢で押さえながら広間に入ってきた。

 広間にはいくつかテーブルがあったが、そのまま真っ直ぐ謀殺の向かいに座り、勝手に謀殺のコーヒーに口をつける。

「抉殺ちゃんは容赦がないね。ツルハシの金属部分じゃなく柄の部分で殴られるとは思わなかったよ」

「悦んでいたではないですか」

「まあね」

 妖艶な笑みを漏らす。

 この笑顔でやられた女性は数多くいるだろう。ほとんどが死んでしまっているだろうが。

「仕事はないのですか?」

「今日はお休み」

 声の調子が少しばかり眠たげだ。

「おや、珍しい。大人気モデルだというのに」

「マネージャーが取ってくれた。今日は好きなことをする日」

「ではどこかへおでかけですか」

「そうだね。どこかにベルファムがいるといいな」

 刺殺は代々国際結婚をしている家系の母を持っている。ゆえにこうして、会話の端々に外国語が混じるのだ。

「母親の父親、まあ俺のじいさんがフランス人だから、その影響は強いかも」

 これはいつかに、刺殺が言った言葉だ。

 コーヒーを飲み干し、ソーサーへカップを置く。

「クリスマスに美人と甘い夜を過ごす。最高じゃないか」

「そういうものですか」

「……ま、抉殺ちゃんがいる謀殺には関係ない話か」

「私と抉殺さんはそんな関係ではありませんよ」

「そうなの?」

「知っていて仰っているでしょう」

 整った顔を意地悪く歪め、刺殺は言う。

「知ってるよ。けど本人の口から聞きたいな。お前と抉殺ちゃんの関係ってなんなの?」

 なに、と訊ねられると答えに困る。

「……主人とメイドの関係ですかねぇ」

「うわ、言葉だけで聞くとかなりやらしい」

「そうですか?」

「そうだよ。やらしい作品の題材なんかじゃよく使われる関係性だろ」

「……はあ」

 気のない返事になってしまう。

 謀殺はそういった趣向の本や映像は、あまり見たことがない。

 スプラッター映画などならよく見るが。

「欲がないね。俺だったらあんな美人なメイドが従属してくれたら、すぐに手を出しちゃう」

「貴方は欲にまみれすぎなのでは?」

「おっと、手厳しい」

 そのとき鳥の頭を模した仮面を着けた給仕が、刺殺へ朝食のサンドイッチを運んでくる。

 彼女を含めた仮面を着けた給仕は、全員が尾鷲忍軍から雇っている。殺人鬼の出入りする屋敷に普通の給仕など置けるわけがない。

 早急に立ち去ろうとする給仕を、刺殺は口説き始めた。

「ねえ、今夜俺とどう? 最高の夜にするよ」

 給仕は刺殺の言葉など歯牙にもかけず一礼して立ち去ってしまった。

 名残惜しげにその背中を見つめる彼を見て、「よく飽きませんね」と声をかける。

「できればこの屋敷の給仕は殺してほしくないのですが」

「殺さないで愛する方法だってあるさ」

 刺殺は気障っぽく両手を示す。

「おや、愛によって人を殺す殺人鬼とは思えない台詞ですね」

「恋愛は恋愛として楽しむことができる。まあ、俺はまだそういう相手に出会ってないけど」

「意外です」

「そうかな?」

「恋愛……ですか」

 恋。そして愛。

 意味なら理解しているつもりだが、体験したことがあるかと言われたら、ない、と言わざるを得ない。金持ちの息子という理由で寄ってきた人もいるが、不要と判断したので殺した。

 恋愛。

 恋愛。

 恋愛ねぇ……。

「あいにく私は、恋愛というものに興味がないんですよね」

「女の子に興味ないの? ああでも、確かにお前の周りは可愛い子がたくさんいるのに、お前には浮いた話もないよな」

「そうですね」

「もしかして少年趣味? 惨殺なんかはドストライク?」

「違います」

「じゃあ毒殺や俺? 俺は別に構わないけど」

「構ってください」

「今夜どう?」

「どうもしません」

「食事だけでも」

「それ食べられるの私でしょう」

「先っぽだけ」

「爪も髪も許しません」

「いけず」

「どうとでも」

 溜息をひとつつき、カップに新しいコーヒーを注いだ。

 刺殺は朝食のサンドイッチを美味しそうに咀嚼している。

 そしてふたつめのサンドイッチに手を伸ばしたとき、サンドイッチは、テーブルごと吹っ飛んだ。

「やあおはよう! 朝早くから親愛なる友人の顔を見ることができて嬉しいよ! クリスマスイブは素敵な夜を過ごせたかい?」

 真冬だというのにタンクトップにショートパンツ。防寒具と言えばその上に羽織っている生地の薄いコートくらいだ。しかし目を引くのは服装よりもその髪。膝まで届くかと思われる茶髪は、毛先だけが透き通るほど白い。猛禽類のような鋭い瞳を笑みの形に象って、彼女――尾鷲鷹姫は哄笑した。

「僕に気付かず、ずっとふたりだけでおしゃべりしていたのが気に食わなくてね、邪魔なテーブルは退場してもらったよ。壊れちゃったかな? まあいいさ。謀殺君ならテーブルのひとつやふたつ、余裕で買えるだろう?」

「余裕で買えたとしても、壊されるのはあまりいい気分ではありません」

 苦言を呈するが、そんなものが通じる彼女ではない。

「ごめんね。ちょっとテーブルを揺らす程度のつもりだったんだけど、力加減ができなくて」

「揺らすつもりで蹴り飛ばすとは、恐ろしい限りです」

「思っていたよりも軽かったんだよ、あのテーブル」

「軽い!? あれが!?」

 刺殺が驚愕で声を張り上げる。

 驚くのは当然だ。どう見ても重量のある、彫刻まで施された大理石のテーブルだったのだから。

 普通の女性だったら、持ち上げることも叶わない。

 けれど、尾鷲忍軍を統括する彼女なのだから――しかも足技を得意とする彼女なのだから――重いテーブルを蹴り飛ばすくらい、朝飯前なのだろう。

「それで? なんの用です? まさかテーブルを壊すために来たわけではないでしょう」

「だから壊すつもりはなかったんだって。綾唄家のご当主様からお手紙を預かってきただけだよ」

「綾唄?」

 思わず、反応してしまう。

「それから蝶咲家のご長男からも」

「なに」

「モテモテだねえ謀殺君、男の子に」

 からかいながら、鷹姫は私に手紙を差し出した。

 綾唄と蝶咲。

 少々面倒くさい組み合わせだ。

「モテたところで、私には許嫁がいるんですから、無意味ですよ」

「そうだったね」

 別のテーブルから椅子を引っ張ってきて、それに座る鷹姫。やたらと訳知り顔だ。まあ、彼女の情報網ならば、突き止められない情報はないのだから、そんな顔になってしまうのも頷ける。

 味方であるうちは、頼もしい限りだ。

 殺人鬼クラブの有力なスポンサーであるうちは。

「へえ、謀殺、お前許嫁なんていたんだ」

 感心したように刺殺が薄く笑う。

「初めて知った」

「昨日言ったでしょう」

「冷たいねぇ」

 口元を隠し、目元を細める刺殺はどこか妖艶で、色香で女性を惑わすインキュバスを連想させた。

 そういえば、インキュバスも女性と交わったあとに殺すのだっけ。

 とはいえ、色香に惑わされない女性が目の前にいるのだけれど。

「手紙は読まないのかい」

「どうせ同じことしか書いてありませんから」

「同じことって?」

「もうすぐ元旦でしょう」

「そうだね……ああ」

 元旦――つまり一月一日。

 その日は、蝶咲家に生まれた双子の兄妹の誕生日なのだ。

 十六歳の、誕生日。

 女性だったら、結婚できる年齢だ。

「ってことは、謀殺君にも年貢の納めどきが来たってわけだ」

「白スーツ着る謀殺とかすげぇ見たい」

 自分の言いたいことを好きに話し合うふたり。

 美男美女でなかなか絵になる。

「結婚式には呼んでね」

「ええ、もちろん」

 冗談でも言うように投げかけられた言葉に、謀殺は誠意を込めて頷いた。

 私は己の謀略のもと、人を殺す鬼。

 父親を殺すために、父親が望む結婚をする。

 策としては、ありだ。

 けれど、妻を持つつもりは毛頭ない。

 許嫁という存在は――邪魔だ。

 邪魔ならば――殺せばいい。

 いつも通り、謀略の限りを尽くして。

「結婚できればの話ですがね」

 謀殺しよう。

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