FILE3 謀殺 2

 さて問題です。

 人を殺すにはどうすればいいのでしょう?

 自室にやっとの思いで辿り着いた私は、椅子の上で頭を抱えた。

 人と戦うことは学校で習ったが、人を殺したことは経験がない。あの男のように、人を殺そうと思ったこともない。

 当たり前だ。そんな狂ったこと、普通に考えつくなんてできるわけがない。

 蜜薔薇学園では確かに戦闘を学んでいるが、それは殺されないための戦闘であって殺すための戦闘ではない。

 殺すという行為の意味を理解しているからこそ、彼は自らの殺意に慄いた。

 もしかしたら母親が目の前で殺されて気が動転しているだけかもしれない。

 きっと寝て起きたらこんなことを思いついたことも忘れてしまうだろう。そうだ、寝てしまおう。寝て、すべて忘れて、あの男の駒に戻ろう。なにを躊躇う必要がある。以前からそうだったじゃないか。気付いていなかっただけで、生まれてからずっと駒だったじゃないか。

 まだ日が高いし、まったく眠くないけれど、執事に睡眠薬でも持ってきてもらえばぐっすり眠れるはずだ。

 そうだ。眠ろう。

 眠って、忘れてしまおう。

 この問題も。この殺意も。

「本気で?」

 死。

 死死死死死。

 ざくりと心臓を刃物で抉られるイメージ。

 または、すぱっと首を刈り取られる映像。

 あるいは、ばーんと銃で頭を貫かれる写真。

 その視線は、その声は、その殺気は。

 どうしようもなく、死を連想させた。

 いつのまにか開いている窓。そこに腰掛ける幼いシルエット。逆光でいまいち判然としないが、女の子であることは窺えた。シルエットはゆらりと揺れ動く。どうやら首を傾げたようだ。

「慶くんは、本気でそう思ってるの?」

「……だって、僕には、力もない」

「きみに貸す程度の力なら僕が持ってるよ」

「僕には、味方がいない」

「これから作ればいい。僕がひとりめだ」

「僕は、独りだ」

「独りじゃないよ」

 彼女は、にこりと無邪気に笑った。

「僕がいる」

 軽い身のこなしで窓のサッシから飛び降りて、聖母がごとく両腕を広げた。

「きみのお友達であるこの尾鷲鷹姫が、きみの手助けをしよう」

 彼より六歳も年下の少女は、頼もしいことに、ふてぶてしくそこに存在していた。ひとつの駒ではなく、ひとりの個人として。

「さあ、改めて自己紹介をしようか。今まで、ちゃんと僕のことを教えてなかったもんね」

 勝手にベッドに腰掛ける少女は、やはり見知った九歳の子供。

 しかし聞いてみれば、彼女こそ忌み嫌うべき裏社会の人間だった。裏社会の人間と同等に渡り合うために蜜薔薇学園に通っている人間だっているのだ。裏社会の人間に好印象を持つ者は少ない。

「僕は尾鷲忍軍のお姫さま、尾鷲鷹姫です。あ、でもこの『鷹姫』って名前はまだ正式じゃないよ。襲名したら貰う予定ってだけ。僕には幼名がないからさぁ」

「尾鷲忍軍……?」

「知らない?」

「ううん、知ってる」

 蜜薔薇学園ですぐに習ったことだ。

 裏社会で絶対的な力を持つ組織はふたつある。

 ひとつは花鳥風月の一角を担う玉兎家。

 花鳥風月の中で唯一、裏社会にのみ特出した影響力を持つ、月に住まう兎。

 この世のすべての汚濁を詰め込んだかと思うような、やることなすことが真っ黒な家。通称『玉兎連邦』。人殺しは当然のこと、詐欺、強奪、武器密造、人体実験、例を挙げればきりがない。

 そしてもうひとつ。

 花鳥風月の一角と肩を並べるほどの組織。

 否、組織というより、それは国と表現したほうが正鵠を射ているだろう。

 それが――尾鷲忍軍。

 今もなお残る、しのびの里。

 ここ数十年は落ち目の一途を辿っており、名前もあまり聞かなくなったらしい。遠からずなくなるだろうという噂もある。

 なんでも自らを鳥と称する、奇妙な集団。

 彼女が、そうなのか。

 この、幼いころから知っている、小さな女の子が。

「びっくりした?」

「うん」

「だよねぇ」

 肩を竦める鷹姫。所作がいちいち成熟した女性のようで。外見にそぐわない。

 衝撃的なカミングアウトをしたというのに、平然としている。慣れているのか。

 裏社会の人間だから、当然のことなのか。

「まあネタバレしちゃうとさ、慶くんのお父さんと僕のおばあさまが一緒にしてるお仕事は、裏社会の真っ黒で汚いお仕事なんだ」

 予想はしていたけれど、やはり明言されると衝撃を受ける。

 信じたくない現実を突きつけられる。

「僕のおばあさまは、尾鷲忍軍の今の頭領さま」

 それは予想していなかった。

 頭領ということは、一番偉い人ということか。

 裏社会に存在する組織の、その統率者は、やはり生半ではない強さを持つと聞く。

 統率者には統率者たりえる素質と才能と、努力が必要なはずだから。

 それはもちろん、裏表含めたどんな組織にも言えることだけれど。

「尾鷲忍軍はね、頭領さまの直系の血筋の、女の子しか頭領さまになれないの。今のところ、おばあさまの直系の孫は僕しかいないから、僕が頭領さまになる予定」

「女の子がトップに立つ組織なんて珍しいね」

「まあ、大体の組織は男の人がトップだからね。けど、尾鷲忍軍はそんな常識知らない。そもそもどうして男の人しか組織のトップに立てないのか、不思議で仕方がないくらい」

「尾鷲忍軍も頭領は女と決まっているでしょう。それと同じだよ」

「ふうん、そういうものか」

 大袈裟に頷き、したり顔をする鷹姫さんは、やはり昔から知っている女の子で、とても忌み嫌われる忍者には見えなかった。

「それで今日も、おばあさまはきみのお父さんとお仕事の話をしに来たわけだけど、なんだか面倒くさいことになっててさ、執事さんの案内にずっと付き合ってるのも暇だったから、こうしてわざわざ慶くんのお部屋まで訊ねてきたっていうのが、今の流れかな」

 能天気にそんなことをのたまう鷹姫を、思い切り睨んだ。その行為は八つ当たりに近い。

「そんな目をしないでよ」

 鷹姫はにやりと笑って、

「殺したくなっちゃうでしょ」

その殺意を向けてきた。

 先ほどの、鷹姫が現れた際に流れた死の連想よりももっと強烈な、走馬灯と呼ばれるものが頭の中を駆け巡った。

 ――なんだ、さっきの殺意は本気ではなかったのか。

 ――あれは序の口で、これこそが本番だったのか。

 ――それともこれでもまだ本気ではないのか。

「なんてね」

 またも無邪気に笑顔を象って、肩を竦める鷹姫。巨大な殺意のプレッシャーも、いつもどおりのそれへと和らいだ。常人の持つはずのない、彼女にとってのいつもの殺意。

「慶くんは僕の大切なお友達だから、殺したりなんかしないよ」

「それは、どうも……」

 服の下で冷や汗が伝う。彼女が『友達』であったとしても、安心などけしてできないと悟った。

「さあて、これで僕がきみの味方につくという心強さが分かったかな? お金を払って命令してくれたら、僕はいつでもきみのお父さんを殺してあげるよ!」

 両腕を広げて、素晴らしい案を披露する幼児がごとく、鷹姫は言った。

 実際、素晴らしい案であるはずだ。

 衰えていても、尾鷲忍軍。所有している力はやはり絶大だろう。たったひとりの、蝶咲分家の息子であるという肩書だけの少年より、よほど。

 事後処理も完璧に、注文通りの殺害をやってのけるだろう。

「けれど、それでは駄目です」

 ――私はその程度では、満足しない。

「うん?」

「誰かにやってもらうのでは、駄目なんですよ」

「………………」

 ようやく見えた希望の光だ。みすみす逃すわけにもいかないが、自分の意思も尊重しなくては。

「あの男は、僕が殺します。この手で、必ず」

 確たる信念を抱いた少年は、このときからもうすでに、殺人鬼としての一歩を踏み出していた。

 あるいは、踏み外していた。

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