FILE2 虐殺 7
「初めまして、あたしは根上(ねあがり)翔(しょう)。しばらくの間よろしくね、お金のなる木ちゃん」
虐殺と蓮華は両手首を縛られ、お互いへ繋がれたまま、どこかもわからない倉庫の中へ投げ出された。
とっさに自分がクッションになるように蓮華を庇ったが、効果のほどはわからない。
倉庫の床は冷たく、体温をどんどん奪っていく。
――もう少し抉殺さんからのレクチャー、真面目に受ければよかったかも。
戦闘技術は一通り教わったが、あまり真剣に取り組んでいなかった。覚えたのは、衣服の中に暗器を仕込むことくらい。
後悔先に立たずとはこのことか。
いつも持ち歩く凶器を入れるためのギターケースも、今日は置いてきてしまった。いや、持ってきていても取り上げられていただろう。ならば中身を蓮華の前で広げられることなく済むのだから、僥倖と言えよう。
「……初めまして」
「お前に言ってんじゃないわよ、小娘」
根上に言葉を返したら罵声を返された。嫌悪感がダイレクトに伝わってくる。
「あたしはそこの蝶咲帝国のお姫様に言っているの。ねえ?」
根上は真っ黒なドレスに真っ黒な髪、口紅まで真っ黒な、黒い女性だった。何故か仮面舞踏会で着けるような仮面を着けている。殺人鬼クラブのひとりとして参加したパーティにそういう様式のものがあったことがあるため、それを思い出した。根上のものを見て「うわダセェ」とか思ったが口に出さなかったのは賢明な判断だと思いたい。
根上に話しかけられた蓮華は、「………………」と黙ったままだ。
根上の方も大して興味がないのか、「まあ返事なんてされてもウザいだけだけど」と肩をすくめる。
「あたしの目的はねえ、お前を使って蝶咲を体のいいスポンサーにすることなのよ」
と、聞いてもいないのに語りだした。
「だってお前は蝶咲家の直系の娘だものね」
ぐっと、床に倒れている蓮華へ顔を近づける根上。
「……違います」
蓮華は、か弱い声を出した。
「私は……蝶咲家の直系ではありません……。卑しい分家の、綾唄の娘です……」
「嘘おっしゃい」
パンッ。と、根上が蓮華の頬をはたいた。
途端に、目の前が真っ暗になって。
なにも考えられなくなって。
気付いたときには、虐殺が根上を蹴り飛ばしていた。
脚は縛られていなかったので、蹴ることは可能だったのだ。それには縛られたときから気付いていた。だから逃げ出す絶好のチャンスに温存しておこうと思っていた。なのに、思わず、使ってしまった。
蓮華に手をあげたという事実に、我慢が利かなかった。
根上は呆気なくふっとんだ。
しかし、片足を地面につけた正しい姿勢でも、衝撃をより多くするためのためもない、戦う訓練を受けた戦士でもない虐殺の蹴りは軽いため、根上へのダメージは少なかったようだ。精神的にはともかく、肉体的には。
「ふっ……ざけんな! てめえ人質の癖にっ、蝶咲のおまけの癖になにしやがるんだっ! ああ!? 言っとくがてめえに価値なんかねえんだよ! 価値ねえ癖になに出しゃばってんだ! 大人しくしてろ小娘!」
大人しく?
根上に髪を掴まれ激しく揺さぶられながら、虐殺は嘲笑した。
大人にもなれないのに、どうやって大人しくすればいい?
髪がぶちぶちと抜け、顔が歪むほど痛いが、その言葉で笑ってしまう。
「なにをへらへら笑っているの……いいわ。お前は泡風呂に沈めようと思ったけど、顔もそんなに可愛くないし、普通の泡風呂にするのはやめましょう。ちょっとアブノーマルな方が、たくさんお金を落とす変態もいるものね」
そして周囲でにやにやと笑っている男たちに命令をくだした。
視線はそのまま、虐殺へ向いているが。
ああ、今日は妙に大人の女の人に見下されるなあ。
「脚と腕を切り落として、犯しなさい」
いやらしく笑って、その後の展開が面白くて仕方ないとでも言うように、虐殺へ向かう。
「ちゃんと映像は撮ってネットでばら撒いてあげるから、感謝しなさいよ? お前の阿鼻叫喚を、聞かせてちょうだい」
高笑いを残して、根上は――腕と脚を切り落とすための準備だろうか――倉庫から出て行った。
周囲の男たちが歓声を上げているのが耳障りだ。
その様子から察するに、こういった展開はよくあることなのだろう。
「あ……ありすさん……」
蓮華が背後で身体を小刻みに震わせている。
「どうしましょう……ありすさんが……私のせいです……ごめんなさい……」
「謝らないでよ、蓮華。それよりも、蝶咲って?」
周囲の男たちがすぐに虐殺に手を出さないのは、撮影の準備があるからだろう。それを見越して、虐殺は蓮華に訊ねた。
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう! 手足を切り落として……されるなんてそんな……!」
「いいじゃん、別に。どうせあの女は最初からそうするつもりだったよ。早いか遅いか。そんだけ。だからさぁ、死にゆく友達に、死に花を手向けるつもりで、教えてよ」
「…………っ」
躊躇う呼吸のあと、苦痛を音にした声で蓮華は告白する。
「私は、あの女性の言う通り、蝶咲の娘です」
「じゃあ、お兄さんっていうのは」
「はい、蝶咲家の長男、蝶咲蓮凰です」
ということは謀殺とも親戚か。世間は意外と狭い。
さらに言うなら、この国のお姫様みたいなものだ。
「なんで綾唄? 聞いたこともないけど、その名前」
「綾唄家は蝶咲家の中でも末端ですから、そんなに表には名前が出ないんです。私も詳しいことはわかりませんが、昔、私と蓮凰ちゃんが生まれてすぐ、どちらを跡取りとして育てるかで親族間で争いが起こって――私とお母様は一緒に綾唄家の人間という扱いにする、という妥協案で、一応のところ収束しました」
なるほど、食事のときに感じたものはそれか。
家族関係が悪いどころではなく、家族関係がこじれにこじれているのだ。
「私とお母様のことは蝶咲家きってのトップシークレットなのですが、世界にはそれをものともしない情報収集家がいますからね。秘密なんて、どこからでも漏れてしまうものですから、こうなることもあるでしょう……覚悟はしていました。でも、お友達を、巻き込んでしまうなんて……っ、そんな覚悟は、できてませんっ……」
最後は涙声で、どんどん嗚咽に変わっていく。
自分のために泣いてくれる友達がいるなんて幸せなことだなぁ、なんて、虐殺は暢気に思ってしまうけれど。
――ああそうか。
――蓮華は大人なのではなくて、大人にならざるをえなかった子供なのだ。
虐殺はそんな彼女が、より一層愛しくなった。
しばらくして、大きな機材を抱えた男を複数人連れた根上が再登場した。
「さ――ぁ、ショウタイムよ、小娘。甚振られる覚悟はよろしくて?」
いいわけないだろ。
そうやって言えたら、かっこよかったのになぁ。
ちらちらと様々な刃物が目に映る。
あの大きな刃物で手足を切り落とすのかぁ。
痛そうだなぁ。
「やめてくださいっ!」
蓮華が取り乱したように叫ぶ。
「やるなら私をやってください!」
「いやよ」
蓮華の懇願を、根上は無下にする。
「蝶咲のご令嬢には価値があるもの。でもその小娘には価値がないでしょう? 価値がなくても有効活用してあげようとしてるんじゃない。ああ、でも安心して? 蝶咲のご令嬢も、もし蝶咲家がお金を出すのを渋ってきたら、指を切り落とすくらいはしてあげるから」
安心する要素今いずこ。
「さ、撮影の準備は出来ているわ。撮影開始」
設置されたビデオカメラを慣れた手つきで操作する。無機質な音が倉庫に響いたように感じた。
「蝶咲のご令嬢に血が付いちゃいけないわ。縄をほどきなさい」
男のひとりが頷いて、虐殺と蓮華に近付き、ふたりを縛る縄を解く。
――ああ、いやだなぁ。
虐殺の心は悲愴に暮れていた。
――蓮華に嫌われるのは、いやだなぁ。
「蓮華」
呼びかける。それは最後の、人間としての理性。
ほどかれる縄。
自由になる腕。
「アタシ、蓮華に嫌われるようなことをするけど、ごめんね」
自由になった腕は、袖の中にしまってあったバタフライナイフを掴み、男の首へと突き刺さる。
飛び散る血液。
響く叫喚。
倉庫の中で、虚しくこだまする。
物言わぬ屍となった男の体を投げ飛ばし、ずっと前からチラチラ見えていた、よく断じることができそうな斧を持った別の男へぶつける。
成人男性の全体重分の衝撃をくらえば、無事であるはずがない。
斧を取り落とし、倒れた。
虐殺はその斧を手にして、検分する。
ああ、いい斧だ。
二年前の、初めて人を殺したときを思い出す。
あのときの、両親の阿鼻叫喚も、ぞくぞくするくらい気持ちよかったっけ。
あのとき以上に素晴らしい阿鼻叫喚を聞いたことがないけれど、今回はどうかな?
「え……?」
ようやく、事態を飲み込んだ根上が声を零す。
「小娘……?」
「小娘?」
アタシは、口が裂けたかのように、嗤う。
「違う」
「ありすさん……?」
蓮華の綺麗な声が、怯えているように震えている。
「違う」
どこか胸を締め付ける切なさを感じながら、アタシは名乗った。
「アタシは殺人鬼――『虐殺』だ」
ビデオカメラに映るのは、両腕両脚を断じられて犯される哀れな少女ではなく、大勢の大人を蹂躙し、虐殺する、殺人の鬼の姿だった。
虐殺は戦う者ではない。けれど、殺す鬼だ。
戦う用意のできていない者に、殺す覚悟のできた者。どちらが主導権を握るか――なんて、明白だろう。
悲鳴。
叫び声。
喚き、慄き、恐怖する。
歓声。
嬌声。
悦楽、快楽。
どの言葉も役立たずだ。
この興奮に名前をつけるなんておこがましい。
山となる死体。
海となる血液。
何人目かを切りつけたら、斧は呆気なく刃こぼれしてしまった。
斧を捨て、得物を替える。
次に使うのはチェーンソー。
わざわざ持ってきてくれたのだから、使ってあげないともったいないだろう?
「あははは! あはははははははははははは! あははははははははははははははははははははははははははははははハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!」
皮を破り肉を裂き、殺すことのなんと素晴らしきことか!
人間の死ぬ間際に発される断末魔の、なんと甘美なことか!
いつの間にやらほぼ全員絶えていた。
生きているのは、アタシと蓮華と――
「あれぇ?」
最後のひとり、被害者たちの紅一点。
名前は……えーっと。
「なんだっけ」
「あ……ひ……」
「まあいいや。お顔を見せてよ」
ダサい仮面を取って、そのご尊顔を拝見する。鼻筋に通る、新しい真一文字の傷。
「あ? その顔、その傷、見覚えあるなァ――」
なんだっけ。
「その傷」
ええと、えーっと。
「思い出した。この間殺さなかった抹殺対象の奴じゃん」
気分が乗らなかったから、殺す直前でやめた奴。
ああ、謀殺が殺したがった理由はそこにも由来するのか。
本家の蝶咲に害をなす、危険分子の排除。
世間とは、本当に、意外なところで繋がっているものだ。
「じゃあ、図らずも、謀殺さんの思惑通りになっちゃうんだ。でもこれは謀殺さんの意志じゃなくてアタシの意思で殺すわけだから――結果オーライ?」
そうして彼女は、一度使うのをやめた斧を再び持ち上げる。切れ味の鈍った、大きな斧を。
「アタシさ、斧で殺すのが大好きなんだよ。なんでかな? 一瞬で、死ぬような傷を与えられるからかな。わかんないや。そういえば、アンタ、アタシの腕と脚を切り落とそうとしたんだっけ」
小さなことだったから、忘れてた。
でも、思い出したのなら、きちんとやり返さなくては。
鬼に、どんなに小さくても牙を剥いたのなら、その報いを与えなければ。
「さっき、髪掴んで、揺らしたよな」
顔を近付けて、問う。
恐怖で歪んだ、醜い顔。
「あれ、痛かった」
死を間近に感じ、それによる震えでまともに言葉も発せられない。
「痛かったんだよ」
斧を持つ手と反対の手で、根上の頭、髪を掴む。
乱暴に、ぶちぶちと髪の毛が抜けるのが感じ取れたが、殺人鬼はその程度で手を緩めるような甘い存在ではない。
鬼なのだから。
甚振り尽くして殺す、殺人鬼なのだから。
「ちゃんと、カメラの前で殺してやる」
引き摺って、ビデオカメラの中央に映るように立つ。
「あぁぁぁぁぁあああああああああッ!」
それは、悶絶。
響く絶叫。
「蓮華」
最後の理性を振り絞って、彼女は友達へ声をかけた。
「目を、閉じていて。見られたくない。見てほしくない」
もう怖がられているだろう。
もう蔑まれているだろう。
もう――嫌われているだろう。
でも、それでも、見てほしくない。
怖くて蓮華を見ることができない。
それでいい。
いやなことから、目を逸らそう。
子供ならば、そうしよう。
そして、虐殺は斧を振り上げる。
「…………っァアアアッ……」
まず、右腕。
叫び。
左腕。
喚き。
少し待って、左脚。
嗚咽。
右脚。
叫喚が収まるのを眺めて、断頭台のように、首を断じた。
「あっ……ぁぁぁあああああああああああああああああ!」
最後に聞こえた断末魔は、暗い倉庫に響いて消えた。
「蓮華」
なにも聞こえない。
「アタシのおすすめの店に一緒に行く約束、破っちゃうことになる。ごめんね。甘いケーキ、一緒に食べたかった」
振り返らずに、倉庫を出た。
そしてずっとポケットに入っていた薄い端末を取り出す。
電話をかけて、繋がった。
『はい?』
穏やかな、淡々とした声。
ここまで冷たく感じたのは初めてだ。
「抹殺対象、殺しました」
『おや』
「掃除人の手配を、お願いします」
『はい』
「生きている子は、殺さないでください」
『はい』
「それから」
『はい』
「いろいろ――ごめんなさい」
『……委細承知しました。迎えを呼びましょうか?』
「……お願いします」
通話が切れた。
……なんだろう、この感覚は。
過度の多幸感と、一種の切なさと、無尽蔵の寂しさ。
殺したことはとても楽しかった。
ああアタシは殺人鬼なのだと自己承認が終わった。
自分を再認識して、満足している。
満足しているのに、涙が溢れる。
満足している。
満足している。
「アタシは、どうしようもなく、殺人鬼なんだな」
後悔なんてしていない。
していないからこそ、哀しいのだ。
◆◆◆
蛇足的な、後日談。
虐殺は「斧崎ありす」として蜜薔薇学園に編入することになった。
きちんとした戦闘のレクチャーを受けたいと申し出たところ、ならば戦術のほかにも普通の教育も受けることができる蜜薔薇学園に編入してはどうだろうと提案されたのだ。虐殺も、それが最良だと判断した。
蜜薔薇学園への編入日も決まったクリスマスの朝。
先日は大規模なクリスマスパーティが開かれた。
枕元には大きなプレゼントの箱。その横に、小さな手紙が添えられていた。
機械で打った文字だった。
『外に出てごらん』
誰だよ、悪戯かよ。
外に出た途端冷水ぶっかけるとかは勘弁してくれ。
と思いながら、外へ向かった。
仕掛けた相手が鷹姫だったら、窓から侵入されかねない。
それは冷水をぶっかけられるよりも避けたい事態だった。
クリスマス仕様に彩られた棘館の廊下。
その壁に、どう考えても虐殺宛てであろう貼り紙が、何枚かある。
『貴女は大人ですか?』
虐殺が答える。
「大人ではないだろうな」
貼り紙が問う。
『貴女は子供ですか?』
虐殺が答える。
「子供なのかもしれないな」
貼り紙が問う。
『貴女は大人になりたいですか?』
虐殺が答える。
「……まだ、いいや」
貼り紙が問う。
『貴女は一体、何者ですか?』
「………………」
立ち止まる。その貼り紙は、棘館の出入り口に大きく貼ってあった。
「アタシはアタシ。殺人鬼の虐殺だ」
そして、扉を開ける。
そこに立っている人物は――。
「さあ、甘いケーキを食べに行きましょう」
大人びた、セーラー服を着た女の子だった。
「指切りをしたのですから。友達でしょう?」
ああ、アンタは。
どうしてあんなことがあったのに、アタシを友達だと言ってくれるんだ。
「もう一度伺ってよろしいですか?」
微笑んで、彼女はアタシに問う。
「貴女のお名前は、なんですか?」
アタシは非道な殺人鬼、虐殺。
だけど、こう名乗ってもいいのかな?
アタシは貴女の友達の――。
FILE2 完
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