FILE2 虐殺 5

 棘館から電車で十分と少し、そこはある。

 大人と子供が交錯し、子供が大人を誘惑する、そんな街が。

 ――汚い。

 そう感じる。

 その汚さを心地よいと感じるほど、虐殺は腐っていない。

 怪しげな店が乱立する路の空気は居心地が悪い。すれ違った男女は片方がどこかの高校の制服を着ていた。

 こんなにも腐敗したように見える街は、それでもぎりぎり表社会なのだろう。片足を突っ込んでしまった哀れなお店もあるかもしれないが。

 ――哀れなのは、どちらなのか。

 全身をどっぷり裏社会で浸している虐殺と、片足だけ突っ込んでしまった名も知らない誰か。どちらももともとは、表社会の住人だったのに。

 同類である毒殺の言葉ではないが、それこそ『毒を食らわば皿まで』なのだろう。それともその言葉は、刺殺のものだったか。

 どうも判然としない。思考に靄がかかったような不快感が虐殺を包む。

「なあ、お嬢さん」

「うん?」

「お前さんに言っているんだよ、お嬢さん。きらびやかなナリしてどこ行くの」

「!」

 気付けば、目の前に、小さな体躯が行く道を阻んでいた。

 虐殺の目線の位置にやっと頭が来るほどの矮躯の、女。

 秋も終わりの肌寒い季節だが、冬には早い。しかし彼女は見ているだけで暑くなってしまいそうな厚着である。厚手の着物の上にさらに厚い羽織、首にはマフラーまで巻いている。

 被っている浅葱色の帽子を押さえながら、女はすっと虐殺を見据えた。

 瞬間、ぎょっとする。

 なにに驚いたのかは、わからないけれど。

 唐突に魂を掴まれたような感覚が虐殺を襲っただけだ。

「お嬢さん? ひょっとして耳が聞こえないのか?」

「……聞こえてるよ」

 やっとの思いで答えると、女は満足げに微笑んだ。

「そりゃ良かった。五感は使えるに越したことはないから」

「………………」

「なにか用事があるのか」

「ない……けど」

 目的があって住処を出てきたわけではない。

 強いて言うなら、誰かを殺そうと思っただけだ。腐った街の人間なら、誰が死のうと誰も困らないだろう?

「だったら道案内をしてほしいんだ。ここからそう遠くはないはずなのだが、おれにはこの地図がとんと理解できない。力を貸してはくれないか」

「……わかった」

 差し出された地図を受け取り、自然と視線はそれへと向かう。

 なんとも個性的な女性だが、そういった個性は裏社会に行ってしまえばむしろ普通の個性なのでちっとも不思議に思わなかった。

 自分のことを『おれ』と言っていることも、どこか古風な出で立ちも。

 思慮の浅い行動だ。その後に展開がどう転ぼうとも、知らない大人に道を訊ねられたら、それは不審者だと警戒すべきなのだから。

「は?」

 手渡された地図に落とした目をむいた。

 端的に言えば驚いた。

 その地図――いや、それは地図とも言えない、子供の落書きと同然だったのだ。

 理解などできるはずもない、画用紙にクレヨンで描いた落書き。

 女性はそれを地図だと言って虐殺に渡した。

「え、いや、これ……」

「ああ、その店に行きたいのだよ。しかしておれには土地勘がなくてね」

 薄い笑みを浮かべ、彼女はなおも落書きを地図だと言い張る。

「や、じゃなくて」

「おう? もしや案内してくれないのか」

 途端、不満げに眉を顰めた。

「一度は引き受けてくれたというのに、随分と無責任ではないか。程度が知れるな、お嬢さん。親に人には親切にせよという教育を賜らなかったのかね?」

「…………………」

 親は自らの手で殺している。

 もしかしたら遠い記憶の片隅に、そんな教育を受けたこともあるかもしれないけれど、今の虐殺には親の教育などあってなきがごとしだ。もちろん、彼女はそんなこと知るはずもない。知っていれば声をかけさえしないだろう。

「まあいいか。ならば別の者を頼るのみだ。すまんね、お嬢さん」

 彼女の枯色の瞳が、虐殺の瞳を捉えた。

 それは声がなくとも饒舌に、虐殺のことを罵っていた。

 虐殺の知らない言葉で、虐殺を蔑んでいた。

「…………っ!」

 なんなんだ今日は。

 謀殺に呆れられ、鷹姫に嘲られ、見ず知らずの女性に蔑まれる。

 ここまで自分がみじめになったのは初めてだ。

 なんという屈辱。

 赤面ものだ。

 生き恥だ。

 そんなものを、アタシが許すわけがない。

 そのとき虐殺の瞳に宿った光を、人はなんと呼ぶのだろうか。

 執念と呼ぶのか。あるいは意地と呼ぶのか。

 それとももしかしたら、覚悟と、呼ぶのかもしれない。


 ◆◆◆


 そんな心ひとつでどうにかできるような問題ではなかったのが現実だ。すでに虐殺を見限った女性を呼び止め説得するのと、やっと認めてもらい再び渡された子供がクレヨンで描いたような地図を解読するのに、時間はたっぷりかかった。

 気付けば十九時を回っている。

 お腹もすいたし、なにより疲労感がひどい。

 解読した地図の示す場所も、その場から歩いて行くには少々遠い。その事実がさらに疲労感を増幅させた。

「お嬢さんはさ、何歳なの」

 目的地へ歩く道程で、女性はそんなことを虐殺に訊ねた。

「十六歳だけど」

 対する虐殺は端的に答える。

「へえ、十六歳。もう祝言も挙げられるのだね」

「しゅうげん?」

「結婚のことだよ」

「……十六で結婚する人なんて、そうそういないけど」

「そういう時代になったね」

「なんだかおばあさんみたいな言い方をするんだな。その……そういう時代になる前を知ってる、みたいな」

「知ってるからな。お嬢さんくらいでたくさんの子宝に恵まれているおなごがいた時代を」

「なんだその冗談。ボケとしては少しつまらないけど」

「おや、辛辣だな」

 ほかにも。

「どうしてお嬢さんはそんなきらびやかな、大人っぽい恰好をしているのだね?」

 と、虐殺の服装を指摘した。

「似合ってはいるが、少々年不相応ではないか。そのくせ化粧はしていない。あまり上手なコーディネートとは言えないよ」

 確かに、虐殺のその恰好はどうにもアンバランスな印象を受けるものだった。

 ふんわりとした真っ赤なスカートにブラウス。肌寒いので丈の長い紺色の上着。その服装だけ見ればおしゃれに見えたかもしれないが、それで身を包んでいる虐殺自身が、どこか、幼い印象を与えるのだ。

 なにか決定的なものがあるわけではない。けれど、圧倒的に感じる違和。

「……初めて働いて貰ったお金で、買ったんだ」

「うん?」

「知り合いと一緒に選んで、きっと似合うって言われて、浮かれて買っちゃったんだ」

 一緒に選んだのは抉殺だ。殺人鬼クラブに入ってすぐに仲良くなった。だから買い物に付き合ってもらったのだ。当時の抉殺もけして大人と言える歳ではなかったけれど、虐殺から見れば十分に立派な大人の女性だった。そういう振る舞いも見られたし、きっと、抉殺はあの歳で大人だったのだろう。彼女の背景を鑑みれば、当然なのかもしれない。

「大人みたいな恰好をすれば、手っ取り早く大人になれると思った。だから、今日もまた着ちゃった。大人と対等に関わるために、恰好だけでも大人になろうとした」

 どうしてさっき初めて会った女性にこんなことを話してしまうのだろう。

 そんな虐殺の心とは裏腹に、言葉は濁流となって口から零れる。

「早く大人になりたかった。なのになんでアタシはこんなに子供なんだろう……」

「………………」

 返事はない。背後を歩いていることはわかるが、それ以外はなにも感じない。

 呆れているのだろうか。笑っているのだろうか。

 その返事を待っているうちに、目的地に到着してしまった。

 しっとりとした上品な店。料亭と呼ぶのが相応しい風格。

 こんなところに、背後の女性はこんな間抜けな地図で来ようとしたのか。彼女は一体何者なんだ。

「あの、着いた――」

「振り向くな」

 その声で、振り返りかけた身体が強張る。

 重々しい、抗ってはいけないなにかを感じた。

 女性を見ようと傾いて中途で止まった視線に、手が映り込む。

 どこか色素の薄い、しなやかな手。

「振り向いてはいけない。そう、いい子だ。お嬢さんの財布には五万入っているのだから、食事くらいできる。そう、そのまま。誰かに話しかけれるまで、振り向いてはいけないよ。いいね?」

「…………アナタは」

「うん?」

「アナタは何者ですか……」

「おれかい。そうだな、おれは、『作家』とだけ、名乗っておこう」

「………………」

「じゃあね、お嬢さん。虐殺さん」

 その言葉を最後に、背後の気配は綺麗さっぱりなくなった。

 それ自体には驚かない。気配を消すことくらい虐殺も少しできる。裏社会に目を向ければそちらのほうが多いくらいだ。

 しかし彼女は言った。「虐殺さん」と。財布の中身を当てられたことよりも、虐殺を、殺人鬼クラブの虐殺と、疑うことなく見破った――!

 その事実が虐殺を驚愕させ、言葉は重みを持ち、結果、虐殺は彼女の言葉に従わざるを得ない状況へと運んだ。

「………………」

「……――――」

「――――――」

「あの」

 そんな風に、綺麗な声で話しかけられるまで、どれくらいかかっただろう。時間にして五分もなかったかもしれないが、虐殺には五百年も待ったような感覚だった。

「間違ってたらごめんなさい。でも、もし、そのお店でお食事をするようでしたら、ご一緒してもいいですか?」

 振り返ると、そこには、虐殺と同い年くらいの、セーラー服の少女が立っていた。

 もしも運命の人が恋人だけでなく友人にも当てはまるのなら、その少女は、虐殺の運命の相手だった。

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