FILE2 虐殺 4

『蜜薔薇学園』を説明するとなると、さらにその根幹部分である一族――蝶咲家を説明しないわけにはいかなくなる。

 先にも説明した通り、蝶咲家は世界屈指の大財閥である。それこそ、世界を支配していると言ってもいいほど。『蝶咲家はこの世の王』とまで言われ、今や世界中のどこを探しても、蝶咲家の息がかかっていない表舞台の組織はないのだという。彼らの指先ひとつで首は飛び、彼らの微笑みひとつで家が滅ぶ。そんな幻想がまことしやかに囁かれるほど、絶大な組織――人呼んで『蝶咲帝国』。

 そして蝶咲家の持つ様々なパイプのひとつが、学校法人『蜜薔薇学園』。世界各国の未来を背負う要人の二世、三世を育成し、養成する教育機関。噂では、『なにかひとつでも秀でたものがあれば入学できる』学校である。

 蜜薔薇学園を管理するのは、蝶咲家の分家である鳳来寺家。

 ――表向きは。

 ならば裏の顔は別の家が管理しているのかと言えばそうではなく、もちろん鳳来寺家の直轄であることには変わりない。変わりないが――問題がある。

『蜜薔薇学園』は、裏社会とも深い関わりを持っているのだ。

 そして学校そのものが武装集団なのである。

 生徒はひとりひとつずつ、好きな武器を所有することが許され、カリキュラムの中には当然のように『戦闘』が含まれている。通っている生徒は、もちろん上流階級のご子息ご息女もいるが、全員残らず軍隊ばりの戦闘訓練を受けなければならない。

 上流階級にいるとそれだけで命を狙われるような昨今だ。通う学校がそんな風になってしまったのも頷ける――が、少々過剰すぎる。

「まあ、れっきとした紳士淑女を育てるための『蜜薔薇学園』でもあるから、清濁併せ呑む教育機関なわけだ。きみもこちらに来たとき謀殺君に教えてもらったはずだから、知ってるね?」

「………………」

 もちろん、知っていた。

 それどころか、同類である惨殺が編入予定でさえある。

 しかし失念していた。

 何故アタシは気付かなかった。蝶咲家の分家である蓮璉家のご子息ならば、そういう学校出身であっても不思議はなかったのに!

「…………っ」

 これでは子供だと揶揄されても仕方がない。

 自分は強いと驕って、真実へ目を向けずに粋がって……。

 なんて幼い。

 幼稚な子供だ。

「心に隙ができた」

 ひゅん。

 と、鷹姫の声となにかが風を切る音。

 次の瞬間、虐殺の目の前には、刀の切っ先が向けられていた。

「……う、ぅ」

 冷や汗が頬を伝う。

 鷹姫が少しでも踏み込めば、虐殺の命はない。

 死ぬのだ。

 死んでしまうのだ。

 こんなに簡単に。

 ……いやだ。

 アタシはまだ……。

 まだ?

 まだ、なんだ?

 アタシはなにに執着している?

 なにかをしたいわけじゃない。

 なにかをやり残したわけでもない。

 なにもない。

 殺す理由も。

 ない。

 ならば今死んだって、なにも変わらない。

 鷹姫にナイフを向けたことが間違っていたのだ。

 いや、それ以前から、殺人鬼になったことから間違いなのだ。

 因果応報ということである。

 死んだって、いい。

 死んだほうが、いい。

「………………」

「………………」

「…………やめた」

 そう呟く前に、鷹姫は刀を鞘へと戻していた。

「は……?」

「なに変な声あげてるのさ。もしかして殺してほしかったの?」

 重く迫るような圧迫感は変わらないが、鷹姫からの殺意がほんのわずかに薄らいだ。

「いやだねえ、きみのような年頃の女の子は。すぐに死のうとする。ああいやだいやだ。僕の刃は死にたがりを殺すためにあるんじゃないのに」

「………………」

「僕は死にたがりを殺さない。そんなのつまらないもの。僕はね」

 耳元まで口が裂けたかのように、彼女は笑った。

「希望を持った人間を頓挫させるのがいいのさ」

 そしてくるりと、身体を出入り口へ向けた。

「お茶とお茶菓子、ごちそうさま」

 長い髪を揺らして、鷹姫はその場から去ろうとする。

 彼女の性格から推測するに、このままではもう二度と、虐殺の前には現れないだろう。

「ま――待って」

 唇から漏れた声は弱々しく、情けないくらいみじめだった。

 けれど、ここで素直に退室を認めたら、鷹姫は虐殺を軽蔑したままだろう。虐殺が死ぬまで、もしくは鷹姫が死ぬまで。

 いつか虐殺が死んだとき、鷹姫はいつも通り笑って「ほらね」と呟くのだろう。

 いつまでも虐殺を嘲笑い続けるのだろう。

 そんな。

 そんな屈辱があってたまるか。

 彼女に殺戮対象として見られない屈辱を抱えたまま生きるなんて。

 アタシは『虐殺』だ。

 誰もが恐れる『殺人鬼クラブ』の虐殺だ。

 くだらない『恥』を晒して生きるなんて、まっぴらごめんだ。

「アタシは死にたいだなんて思わない」

 一時の気の迷いに流されるなんて、まるで子供じゃないか。

 それは本当に、滑稽だ。

「証明してやる」

 鷹姫は振り返らない。

 しかし、立ち止まっている。

 虐殺の話を、聞いている。

 ならば宣言するまでだ。

 聞いているのなら、聞かせればいい。

「アタシが『つまらない』だなんて、二度と言わせない! アタシは――」

 鷹姫は、どんな顔をして聞いているのだろう。

「――殺人鬼『虐殺』だ!」


 ◆◆◆


 鷹姫は帰った。

 気づけばあんなに青かった空がほんのりと赤く染まっている。

 冷め切った紅茶を飲む気にもなれず、虐殺は投げ出された己の長い三つ編みをほどいた。毛先がつま先近くまで来ている。そろそろ切り時かもしれない。

 この長い黒髪を洗うのは骨が折れるが、入浴自体は嫌いではないので大して苦ではない。

「……お風呂、入ろう」

 呟いた。

 声に出さないと行動に移せないような気がしたからだ。思っているだけではなにも変わらない。行動に移さなくては。

「…………あ」

 浴槽を洗っていないことに気付く。これでは満足な入浴ができない。

 どうにもままならない。

 鷹姫相手に啖呵を切っておいて、その言葉のひとつひとつを気にして立ち止まっている。

 ぐるぐると思考を巡らせるうちに、空はどんどん暗くなる。

 謀殺の言う『殺人鬼の住みよい時間』だ。

 思い返してみれば、殺人鬼クラブに入っていなかった頃の虐殺も、今の虐殺も、夜の暗い時間に行動していたように思う。

 夜のとばりは、大好きな阿鼻叫喚を響かせる絶好の舞台なのだ。

 人の死にゆく瞬間に流れる絶叫の、なんと甘美なことか。

 波打つ黒髪を眺めながら、ふと、外に出たくなった。

 人が放つ死の間際の絶叫が、恋しくなった。

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